日曜日に大切な人が家に。そのために、大掃除も兼ねて掃除、片づけ。また、その人との会食が終わるまでは、年賀状に手をつけられなかった。そして、本日、年賀状も仕上げて、投函。終わった!これで、本を思いっきり読むことができる。いやいや、今度はお節の準備である。しかし、すごい解放感。これで、ぐっすり眠ることができる。
関ジャニ∞が表紙の「CUT」 るんるんとジュンク堂に買いに行くと置いていなかった。しまった!普通の雑誌ではなかったか!と慌ててamazonで検索。すると、値段が吊り上がっているので、hmvを検索。ネットでは在庫なしとのことで店舗検索。✖が並ぶ中、△の店に取り置きサービスをお願いする。しかし、「商品の在庫が確保できませんでした」とキャンセル。結局、取り置きサービスをお願いした2店舗ともキャンセルになり、手に入れることができなかった。重版しないものか。
「Mステスーパーライブ」の丸ちゃん。いつも、TOKIOの城島リーダーがタモリさんの真似をし、丸ちゃんが城島リーダーの真似をするのだが、今回は丸ちゃんがひょっこりはん。似ているけれども、お腹が・・・。丸ちゃんが、ぽっこりはんのお腹をさらす。あまりにもである。丸ちゃん、シックスパックに腹筋が割れてなくてもいいが、アイドルならばお腹はせめてぺちゃんこでいてほしい。
「関ジャム」のジャムセッション「雪の華」亮ちゃんのギターにしびれた。
さて、「関西情報ネット ten.」で大倉くんのロングインタビュー。掃除ばかりしていて、ジャニーズネットをチェックしていなかったから、放送があるのを知らなかった私。たまたまザッピングしていて、見つけ慌てて録画。
インタビュー場所は、思い出の場所・松竹座。関ジャニ∞が松竹座でやっていた頃は、電飾もなく広い舞台のみ。助けてもらうものがなかったから、勉強になったと言う。関ジャニ∞に遅れて入った大倉くんは、自分の立ち位置を模索していた。他のメンバーが紹介されると「キャー」という歓声がとぶのに対し、大倉くんが紹介されると「なんでコイツが」感があったらしい。今では、考えられないことだが。
関西ジュニアの舞台の演出をしている大倉くん。出る側から、言えることは言うと。しかし、情熱的ではなく、いたってクール。ジュニアがあれだけいれば、(大倉くんを)嫌な子もいると思うとかどう思われてもいいとか。
そこで、なにわ男子が登場。大倉くんに対し「優しすぎる」「おまえら、ちゃんとせいよとか言ってほしい」という声が出る。そして、かわいい伊藤兄弟も。憧れの先輩として「小山くん」「藤ヶ谷くん」とあげる。大倉くんと言わないのがテレビ慣れしていなくて初々しい。大倉くんへのお願いが「大倉くんのちっちゃい頃の服、お下がりがほしいです」大倉くんが「ないわ!」と突っ込んでいたけれども、なんとも小学生らしいお願いだなあ。
なにわ男子が大倉くんの服のレパートリーが少ないと言った件について。東京暮らしの大倉くんが大阪に服をいっぱい持ってこられないから、レパートリーは少ないとのこと。ちなみに服はいつもいく店でおススメを買うらしい。すすめられるままの大人買い。お店がサイズ感もわかっているので、試着もしないとか。
大倉くんは、頭にきた時は、冷静になって冷静に言う。「高圧的になるのは、自分のポジションを誇示したいだけ」その言葉を聞いて、「この人はスゴイ」と思った。後輩には、「今の状況を客観的に見た時に、こう思うけど、このままじゃあかんとわかるよね」と理詰めで言うタイプ。
小4でテレビで見たV6の森田剛くんに憧れて、自らジャニーズ事務所に履歴書を送る。待つこと3年、12歳でジャニーズへ。ジュニア時代には、怒られまくりの大倉くん。髪の毛を染めただけで「オマエごときが生意気」と。大倉くんを怒ることで周りを緊張させる。と大倉くんは分析。怒られてばかりの大倉くんだったが「辞めたる」と思ったことは一度もないとか。「なんでオレやねん」をなにくそと言うパワーに変えたのだった。
話は変わって、カレーとラーメンが大好きだという話に。すると、大倉くんは周りをキョロキョロ。ラーメンかカレーが出てくると思ったのかな?その仕草がかわいかった。
後輩の「もっときてほしい」という言葉には「甘えるなよ」 この言葉にドキリ。大倉くんは「ガツンと言って、もっとこうしたらいいのにと言い過ぎてもおもしろくない」「ボクなりのメッセージも込めているので、気付いている人は気付いている」「ジャニ勉」での「頑固プロデューサー村上が行く」では、村上くんがジュニアをロケ職人に育てるべくビシバシと指導。それは、お店やスタッフという相手がいるから、迷惑をかけないように、その場で注意しなければならない。一方、大倉くんは、関西ジュニアが自分で考えて動くように育てるという立場。言われてやるのではなく、自分で気づくことで大きく成長すると考えているのだな。大倉くん、ほんま、スゴイ。
さて、本題の「恩人」それは、ジャニーさん。社長であり、父親であり、人生を変えて救ってくれた存在だから。ジュニアの大倉くんは、松竹座の舞台で島の住人の一人として、大きな岩の一番上に立っていた。すると、ジャニーさんが楽屋に来て「右側の岩の一番上に立っているの誰?」 褒められるにしろ、怒られるにしろ、とにかくアピールしなければと「ハイ!」というと「カッコいいよ」「YOUに目がいっちゃうんだよ」とジャニーさん。「一番高いところにいるから目立つやろ」と思った大倉くんは、やはりクール。スターになる子を見抜くジャニーさんもさすが。
ドラムをやっていたメインが抜けたので、大倉くんにドラムをやる話が回ってくる。歌も上手くなりたい、ダンスもずっとやってきたところにドラムの話がきて「まじか?」と思った大倉くん。でもラストチャンスかも、これを逃したらいけないと頑張ってみることにしたと言う。
ジャニーさんが「YOU」と言うのは本当かという話。たくさんジュニアがいて名前が追い付かないから「YOU」。大倉くんはボーッとしているから「大倉はボンクラだね」と「ボンちゃん」と呼ばれていたとか。しかし、ジャニーさんに名前を覚えてもらえることはジュニアにとってスゴイことなのだ。
関西ジュニアの演出を担当させてもらうことに。ジャニーさんは「やるからには良いもん作ってね」「いろんなことを言う人がいるだろうけど、いいものを作っちゃったら、YOUたちの勝ちだから」任せるジャニーさんもスゴイなあ。
大倉くん曰く「ジャニーズは伝統芸能」お客さんを飽きさせない、どんどんと展開していく作りが何十年と続いている。大倉くんは、その仕組みを作ったジャニーさんを「やっぱ天才」と。そして、大倉くん自身は、演出家・プロデューサーではなく演者でありたいと言う。出てるから言うことに説得があると。
大倉くんは、情熱と冷静を両方持っている人だと思った。情熱や負けん気を心に秘めながら、どこか一歩引いて、冷静に見ているところがある。スゴイ。
関ジャニ∞ 七人七色(朝日新聞 12月26日 朝刊) 大倉くん
関西ジュニアのプロデュースに携わる話。細かいところまで大倉くんが決めたリ、本人と話したり。関西ジュニアの多才な子たちが埋もれてしまうのはもったいない。関わることで少しでも知ってもらえるならお手伝いさせてもらいたいと始まった。土台は大倉くんが用意して、舞台上で輝くのはあくまで彼らの仕事。どれだけ成長するのかと楽しみだったとか。
関西ジュニアには、11月の京セラドームでの関ジャニ∞の公演にも出てもらった。このドームの景色を忘れないで、一つの目標にしてほしいという。先輩方に見せてもらった景色であり、後輩にも見せてあげたいから。
関ジャニ∞が表紙の「CUT」 るんるんとジュンク堂に買いに行くと置いていなかった。しまった!普通の雑誌ではなかったか!と慌ててamazonで検索。すると、値段が吊り上がっているので、hmvを検索。ネットでは在庫なしとのことで店舗検索。✖が並ぶ中、△の店に取り置きサービスをお願いする。しかし、「商品の在庫が確保できませんでした」とキャンセル。結局、取り置きサービスをお願いした2店舗ともキャンセルになり、手に入れることができなかった。重版しないものか。
「Mステスーパーライブ」の丸ちゃん。いつも、TOKIOの城島リーダーがタモリさんの真似をし、丸ちゃんが城島リーダーの真似をするのだが、今回は丸ちゃんがひょっこりはん。似ているけれども、お腹が・・・。丸ちゃんが、ぽっこりはんのお腹をさらす。あまりにもである。丸ちゃん、シックスパックに腹筋が割れてなくてもいいが、アイドルならばお腹はせめてぺちゃんこでいてほしい。
「関ジャム」のジャムセッション「雪の華」亮ちゃんのギターにしびれた。
さて、「関西情報ネット ten.」で大倉くんのロングインタビュー。掃除ばかりしていて、ジャニーズネットをチェックしていなかったから、放送があるのを知らなかった私。たまたまザッピングしていて、見つけ慌てて録画。
インタビュー場所は、思い出の場所・松竹座。関ジャニ∞が松竹座でやっていた頃は、電飾もなく広い舞台のみ。助けてもらうものがなかったから、勉強になったと言う。関ジャニ∞に遅れて入った大倉くんは、自分の立ち位置を模索していた。他のメンバーが紹介されると「キャー」という歓声がとぶのに対し、大倉くんが紹介されると「なんでコイツが」感があったらしい。今では、考えられないことだが。
関西ジュニアの舞台の演出をしている大倉くん。出る側から、言えることは言うと。しかし、情熱的ではなく、いたってクール。ジュニアがあれだけいれば、(大倉くんを)嫌な子もいると思うとかどう思われてもいいとか。
そこで、なにわ男子が登場。大倉くんに対し「優しすぎる」「おまえら、ちゃんとせいよとか言ってほしい」という声が出る。そして、かわいい伊藤兄弟も。憧れの先輩として「小山くん」「藤ヶ谷くん」とあげる。大倉くんと言わないのがテレビ慣れしていなくて初々しい。大倉くんへのお願いが「大倉くんのちっちゃい頃の服、お下がりがほしいです」大倉くんが「ないわ!」と突っ込んでいたけれども、なんとも小学生らしいお願いだなあ。
なにわ男子が大倉くんの服のレパートリーが少ないと言った件について。東京暮らしの大倉くんが大阪に服をいっぱい持ってこられないから、レパートリーは少ないとのこと。ちなみに服はいつもいく店でおススメを買うらしい。すすめられるままの大人買い。お店がサイズ感もわかっているので、試着もしないとか。
大倉くんは、頭にきた時は、冷静になって冷静に言う。「高圧的になるのは、自分のポジションを誇示したいだけ」その言葉を聞いて、「この人はスゴイ」と思った。後輩には、「今の状況を客観的に見た時に、こう思うけど、このままじゃあかんとわかるよね」と理詰めで言うタイプ。
小4でテレビで見たV6の森田剛くんに憧れて、自らジャニーズ事務所に履歴書を送る。待つこと3年、12歳でジャニーズへ。ジュニア時代には、怒られまくりの大倉くん。髪の毛を染めただけで「オマエごときが生意気」と。大倉くんを怒ることで周りを緊張させる。と大倉くんは分析。怒られてばかりの大倉くんだったが「辞めたる」と思ったことは一度もないとか。「なんでオレやねん」をなにくそと言うパワーに変えたのだった。
話は変わって、カレーとラーメンが大好きだという話に。すると、大倉くんは周りをキョロキョロ。ラーメンかカレーが出てくると思ったのかな?その仕草がかわいかった。
後輩の「もっときてほしい」という言葉には「甘えるなよ」 この言葉にドキリ。大倉くんは「ガツンと言って、もっとこうしたらいいのにと言い過ぎてもおもしろくない」「ボクなりのメッセージも込めているので、気付いている人は気付いている」「ジャニ勉」での「頑固プロデューサー村上が行く」では、村上くんがジュニアをロケ職人に育てるべくビシバシと指導。それは、お店やスタッフという相手がいるから、迷惑をかけないように、その場で注意しなければならない。一方、大倉くんは、関西ジュニアが自分で考えて動くように育てるという立場。言われてやるのではなく、自分で気づくことで大きく成長すると考えているのだな。大倉くん、ほんま、スゴイ。
さて、本題の「恩人」それは、ジャニーさん。社長であり、父親であり、人生を変えて救ってくれた存在だから。ジュニアの大倉くんは、松竹座の舞台で島の住人の一人として、大きな岩の一番上に立っていた。すると、ジャニーさんが楽屋に来て「右側の岩の一番上に立っているの誰?」 褒められるにしろ、怒られるにしろ、とにかくアピールしなければと「ハイ!」というと「カッコいいよ」「YOUに目がいっちゃうんだよ」とジャニーさん。「一番高いところにいるから目立つやろ」と思った大倉くんは、やはりクール。スターになる子を見抜くジャニーさんもさすが。
ドラムをやっていたメインが抜けたので、大倉くんにドラムをやる話が回ってくる。歌も上手くなりたい、ダンスもずっとやってきたところにドラムの話がきて「まじか?」と思った大倉くん。でもラストチャンスかも、これを逃したらいけないと頑張ってみることにしたと言う。
ジャニーさんが「YOU」と言うのは本当かという話。たくさんジュニアがいて名前が追い付かないから「YOU」。大倉くんはボーッとしているから「大倉はボンクラだね」と「ボンちゃん」と呼ばれていたとか。しかし、ジャニーさんに名前を覚えてもらえることはジュニアにとってスゴイことなのだ。
関西ジュニアの演出を担当させてもらうことに。ジャニーさんは「やるからには良いもん作ってね」「いろんなことを言う人がいるだろうけど、いいものを作っちゃったら、YOUたちの勝ちだから」任せるジャニーさんもスゴイなあ。
大倉くん曰く「ジャニーズは伝統芸能」お客さんを飽きさせない、どんどんと展開していく作りが何十年と続いている。大倉くんは、その仕組みを作ったジャニーさんを「やっぱ天才」と。そして、大倉くん自身は、演出家・プロデューサーではなく演者でありたいと言う。出てるから言うことに説得があると。
大倉くんは、情熱と冷静を両方持っている人だと思った。情熱や負けん気を心に秘めながら、どこか一歩引いて、冷静に見ているところがある。スゴイ。
関ジャニ∞ 七人七色(朝日新聞 12月26日 朝刊) 大倉くん
関西ジュニアのプロデュースに携わる話。細かいところまで大倉くんが決めたリ、本人と話したり。関西ジュニアの多才な子たちが埋もれてしまうのはもったいない。関わることで少しでも知ってもらえるならお手伝いさせてもらいたいと始まった。土台は大倉くんが用意して、舞台上で輝くのはあくまで彼らの仕事。どれだけ成長するのかと楽しみだったとか。
関西ジュニアには、11月の京セラドームでの関ジャニ∞の公演にも出てもらった。このドームの景色を忘れないで、一つの目標にしてほしいという。先輩方に見せてもらった景色であり、後輩にも見せてあげたいから。
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