まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

信仰の先達

2007年12月03日 | Weblog
4時50分に目覚ましで起床。小雨降る中、大阪城に行く。ひょっとしたら中止になるかと思いながら会場に着くと、既に15名ほどが集まっていた。体操組は中止なのか、来場した5~6名が、雨の為、合唱している場所で体操していた。定刻の6時から今朝も合唱する。田植え、おぼろ月夜、朝はどこから、暗路、雪降る町、ともしび、を歌った後、今朝は、大阪朝祷会の司会に当たっているので、雨の中徒歩で大阪クリスチャンセンターに急ぐ。今朝は、U兄が「夕暮れにも光がある」(大阪クリスチャンセンター2名の太郎)と題して、ゼカリヤ14:7から証しされた。K兄は、丹波笹山から大阪に丁稚奉公をしていたある日、寝小便をして大地図を書き、主人に知れたが、風変わりな主人は、「お前のこの地図、大阪府にソックリヤ、お前、今に大阪一の男になるでガンバリヤ」とケッタイナ激励に感激、感動をされ、これに奮起したのか、出世街道を駆け上がり、若くして繊維問屋の社長になる。大金をにぎったものの、好事魔多し、放蕩でスカンピンなる。どん底、クリスチヤンの弁護士に出会う。「アンタみたいな悪モンを探してアトをつけて狙っている、エライ神さんがいてはる、それがキリストや」との一言で信仰に入る。それからは、大胆に伝道し、各種の働きに力を注がれた。やがて家庭集会を開き、手書きの絵葉書の案内で毎回、100前後の素晴らしい家庭集会を開かれた事は有名である。もう一人のY兄は、20才の時、救われ、清教徒的な潔癖さをもって、朝祷会は勿論、大阪クリスチャセンターの総主事、救ライ協会、大阪女学院、日本キリスト伝道会、キリスト新聞等多くの役員を勤められ、静かなる祈りの人と言われていた。この証しを聞き、感動と励ましを頂く。

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