まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

私の十字架は、どこ

2008年07月09日 | Weblog
午前4時に目が覚める。もう一眠りをしようかと思ったが、眠れば寝過ぎてニューオーサカホテルの朝祷会に出席できなくなると、そのままニユースを聞き、こころの時代を昨日に続き「遊牧の人々から学ぶ生き方②」を聞く。今、家族の崩壊、地域の衰退が進んでいるなか、もう一度、循環型の社会を構築し、自然と共に生きる社会にしなければならない。と語っておられた。35分になり、「希望の声」を聞く。S師は、この放送を35年前に始められる。この時期になるとその証しをされる。それは、S師と友人と名古屋に向かう自動車の中で、友人がS師に「朝日放送で放送伝道をしないか」と声をかけられ、即座にそんなこと出来ないと断ろうと思った。事実、開拓伝道をしたばかりで、出来るはずはなかった。断る言葉が出る前に、友人は「直ぐに答えを出さないでじっくり祈ってから決めてほしいと」の言葉で、S師は祈られた。やがて出来ないと思っていたラジオ放送が導かれて出来るようになり35年も継続出来るていることに感謝の証しをされた。
「世の光」聞いた後起床、ニユーオーサカホテルの朝祷会に出席する。今朝は、アライアンス・大阪キリスト教会のK師が「私の十字架は、どこ」と題して、ルカ9:23~24から話された。K師は、高校2年の時、カトリックの門を叩き、導かれ洗礼を受け司祭の道を志されるが、やがてその召命が無いことを悟るり断念。その後,31才の時、宣教師に出会いプロテスタントに転向、43才で献身される。K師の洗礼名は、ルドリエ・イバラギである。その名前は、26聖人の一人として殉教の死をとげた12才の少年の洗礼名であると、その殉教者が京都から長崎まで連行される。途中、役人は子どもを不憫に思い、信仰を捨てるなら許すとの言葉に、少年は、束の間の命より永遠の命を選ぶと断る。長崎につき十字架に処刑される前に、役人に「私の十字架はどれですか」と問い、指差された十字架に抱きついて泣いたといわれている。
帰宅して、10時から始まるK姉の家庭集会に出席する。
写真は、ご近所の家の前に咲いていた。もう、そんな時期なんだ

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