まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

みち

2010年01月11日 | Weblog
4時35分に目が覚める。直ぐに携帯ラジオのイヤーホンを耳に「真の力」を聞き続いて「世の光」を聞いて起床、大阪城に行く。地下鉄は、成人の日の休日で空いていた。今朝は、温度が少し高めで風がなかったので過しやすかった。牛若丸、春よ来い、おぼろ月夜、かもめの水兵さん、大阪市歌、隅田川、故郷の人々・・・最後、北国の春の11曲合唱した。

その足で大阪クリスチャンセンター行く。櫻門を出て空を見る、東南の斜め上に雲につつまれて三日月がぼんやりと見えた。今朝は、日基教団夜久野教会牧師で大阪朝祷会のチャプレンのT師が「神の道」と題して詩篇51:15からメッセージされた。私達の体内に神のみちがある。それは神経という神の道という意味である。「みち」とは、みは、美であり、ちは知から出来た平仮名である。道という漢字は、首と辶から出来ている。道には、呪いを解く浄めの儀式と部族間の闘いの意味がある。私達は、キリストの教えと実践が求められている。それは、十字架の道(義と愛)復活の道(死の克服)命の道(時間性の克服) 波多野静一博士「時と永遠」より 信者とは、信に徹することであり行者は行に徹すること証人は、信、行を通して光、塩となることである。と語られた。その後、世話人会に出席するも途中から不整脈が出てしんどかった。

その後、恒例の「近畿地区壮年会の一日研修会」に出席のため、桃谷のK兄と徒歩で開催の桃谷教会に出席した。午前の部の講演会は体調不良のため耳に入らなかった。昼食を頂いて体調が戻ってやれやれ、午後の部「救いの恵みを広げよう」と題して、コリントⅠ9:23から語られた。時代は大きく変わった。旧態以前とした伝道では、結果は同じ。種々の事例を紹介されて、発想を変え知恵を働かせて伝道に励まなければと示された。

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