まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

水くむしもべ

2007年08月18日 | Weblog
朝方猫の恋愛の声で目が覚め、そのまま5時前に起床する。今朝も大阪城に行く。あれ程喧しかった蝉の声も随分少なく弱くなって、合唱していても気にならなくなった。
今朝も、童謡から始まる。見てござる、春の小川、緑のそよ風、(初めてで知らなかった)兎のダンス、おぼろ月夜、この道、冬の夜、この歌の3節にお父さんの戦場での手柄話を子どもに話していて、子どもは手を握り締めて感動?している歌詞があり、それは、作者の自発的なものか、それとも当時の権力者の要請であったのかわからないが、気になった。家路、花嫁人形、琵琶湖周航の歌、故郷の空、月よりの使者、ここで例の、「暑さに負けず今日も元気に頑張ろう」と檄がはいり一同、拳を上げてエイ、エイ、オーを三唱の後、下町の太陽で締めくくる。体操もすまし元気が与えられて感謝。
帰宅後、植木に水をやりシャワーを浴び朝食後、久しぶりに吹田の朝祷会に行く。勘違いをして、早く着いたものの、迷惑かと思い、市役所にお茶のボトルを買う。(付近に自動販売機がなかった)それから吹田教会に行くも、早いと思ったが、結局10分遅くなる。
すでに千里コミュニティー教会のY師がヨハネ2:1~11から「水をくむしもべ」と題してメッセージされていた。Y師は、前任での牧会を例に話される。ある時、関大から3名の学生が教会に来た。1名はアメリカ人と2名の日本人であった。初めは熱心ではなかったが、そのうち、3人は街角に出て行き、賛美伝道をするようになった。それは午後8時ごろから12時ごろまでの、常識はずれのもので、教会の役員はいぶかりこのまま放っておけば、教会にとってマイナスになると言い出し、Y師ご自身も不安を覚えるも主からでたものであればとの思いで暖かく見守っておられた。教会での賛美は3人には理解されず、彼らは彼等なりのフイーリングの歌を好んだ。そうして彼等3人は大学を卒業してそれぞれの道に進む、何年かの後、日本人の2名は当初の進路をやめ、献身していることを知り主のなさることに感激される。主の命令に何の疑問も持たず、召使は水を甕に満たし、別の召使は、主の言葉どおり世話役の所に持って行った時、奇跡が起こった。主の命令、主のなさることに従順なものとなりたい。と語られた。

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