まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

熊本バンド

2012年01月23日 | Weblog
「福音の光」を聞きながら4時45分起床、OCCに行く。受付を担当している相方のY兄が風邪の
ため休んでおられ今日は、一人で受付をする。私自身風邪のため咳がよく出て困る。
今朝は、交野教会を隠退されたY師が「熊本バンド」と題してヨハネ10:16からメッセージされた。40年前、熊本草場教会を牧会中に熊本日日新聞に「熊本バンド」と題して投稿されている。それによると熊本バンドは、札幌バンド、横浜バンドとともに、日本におけるプロテスタント(新教)キリスト教の三源流の一つである。札幌バンドは、クラークの感化によってキリスト教に出会い、キリスト教を信じた人々の群れをいい、内村鑑三、新渡戸稲造、その他の人物を輩出した。今日の無教会主義キリスト教は、この流れから出ている。
横浜バンドは、バラ及びブラウンの感化を受け、日本最初のプロテスタント教会で、日本基督公会を創立した集団ある。なかでも上村正久は、東京神学社を創立、後に他の神学校と合併して、今日の東京神学大学へと発展した。熊本バンドは明治三年に第二洋学校が設立、肥後藩立学校が、アメリカの退役軍人ゼーンズを教師として招いて、明治4年に改称した学校であった。ゼーンズ、ここで知育偏重をさけて、徳育に重きをおき、開発的な自学自習主義による教育をした。希望の生徒には、自分の官舎でバイブル・クラスを開き聖書の講義をした。この情熱あふれるゼーンズの感化を受け、キリスト教を信じ始めた生徒が多くなりにつれ、校内反対派の儒教主義者の運動も盛んになった。とうとう明治9年1月30日、キリスト教を信ずる同志は花岡山に集い、祈祷会を開き奉教趣意書を読み上げこれに署名し、さの信仰を表明した。しかし、役人、親たちの強い迫害が起こった。そして、熊本洋学校は廃校になった。廃校によって中断した生徒たちは、創立間もない同志社に迎え入れられた。この中から、後に同志社総長になった海老名弾正や徳富蘇峰のほか有能な人物が排出した。このように近代キリスト教に大きく影響を及ぼした。


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