歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくるの面白さはいい加減なところ

2020-05-07 | 麒麟がくる
私は割とテキトウが好きです。映画でいうと日本一の無責任男とか好きなんですね。

麒麟くるも考えてみると随分といい加減で、それが「良い加減」でしょう。

そもそもこの数回、光秀全然麒麟なんか意識してません。高政と道三を「とりもてる」のは光秀だけでしょ。光秀だけが「美濃の平和」を実現できるのです。ところが何にもしない。孫四郎だって追い返すだけじゃだめでしょ。「そういうことやめろ」と強く諭さないと。美濃に麒麟はこないとか言ってましたが、呼ぶ気持ち0です。

孫四郎が殺されてやっと帰蝶のもとに行く。帰蝶じゃないでしょ、高政でしょ。「何やってんだお前」と言わないといけない。

道三も道三です。老いて家督を譲ったのは分かったが、なんで高政なのか。全くわかりません。ミヨシノが死んだから、、、んな馬鹿な。

で考えてみると、光秀は「高政のいうことを何でもきく」という約束をしているはず。あれどうなったー。

シーン単体の美しさとか緊迫感はすごいわけです。でも前後で脈略が合わない。

聖徳寺の信長もそう。食いはぐれの三男坊を雇う、という人材登用のすごさを見せる。と思ったら、やっぱり成長してなくて「冬に花があるとかないとか」。やっぱりトロいじゃん。

で、そういうとこ満載の作品なのに、全体としてみると面白い。不思議な作品です。

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