本郷和人氏と言えば、大河「平将門」の時代考証を担当し「王家の犬とは何だ」とちょっとした騒ぎになったことがあります。私のような史学とは無縁の人間であっても、権門体制論でも二つの王権論でも、天皇家を王家と呼ぶことは知っています。最近の説では堀新さんの「公武結合王権論」があり、ここでも朝廷・天皇家は「王」です。(正確には公武が結合して初めて王権が形成できる。天皇単独でも武家単独でも王権は形成できない。)
日本史学の常識として王家と呼んだら「日本は中国の冊封下にない」と騒がれた。変な話です。でもそれはやはり私のような歴史好きの考えなのだと思います。「王権論」なんてもの知らないのが当然で、知らないからといって責められるべきでもない。生きるのに何の不都合もない。
昔の「新平家物語」では「公家の犬になりたくない」と仲代達也さん(平清盛)は言っています。「公家の犬」にしておけば良かったのかも知れませんが、あの騒ぎで王権論を知った人もいるでしょう。ならそれなりの意味はあったことになります。
本郷氏の本はたまに読みます。あっちこっちに話題が広がって、それなりに面白いし、学ぶべき点もあります。私は信長・秀吉・家康以外の日本史の知識は教科書程度しか知りませんから、学ぶべき点はあるのです。たまにトンデモないことも書きますが、根はかなり真面目な人だと思います。氏の本は「本当かー」と疑いながら読むと楽しい。というか私はあの篤実な歴史学者の鑑みたいな東大の金子拓氏の本ですら「本当かー」と疑いながら読むタイプの人間です。
この本で本郷氏は面白い説を「紹介」しています。氏の本は参考文献が最後にずらっと並んでいないと批判する人がいますが、本人も書いているように、大事な本は「本文で」きちんと紹介しています。
面白い説というのは「尾藤正英」さんの水戸学に対するものです。本の題名は載ってませんが、これまた本郷氏がググればわかると書いている通り、すぐ分かりました。『日本の国家主義 「国体」思想の形成』岩波書店、2014年です。幸い図書館にあったので、今予約を入れたところです。
詳しくはこの本を読まないと分かりません。本郷さんの「紹介」を信じて引用すると、水戸学には前期と後期がある。「尊皇」がことさらに強調されたのは「後期」である。
で尾藤正英さんです。水戸光圀は本当に「将軍よりも天皇である」なんて言ったのだろうか。それは「後期」の話で、水戸光圀がそんなことを言うとは思えない。むしろ北朝の天皇である現天皇家には正統性がないと水戸光圀は思っていたのじゃないか。それを「南朝が正統」という定義で言いたかったのでないか。
実は本郷さんは「水戸光圀は北朝の天皇を偽物であると考えていた説」と書いているのですが、「いささか刺激的」過ぎます。私は人を刺激して楽しむ趣味はないので、偽物という言葉を「正統じゃない」と読みました。同じことなんですが、天皇問題はデリケートなので、こんなブログでも一応気は遣います。こういう私の虚弱な精神に比べて、本郷さんは図太いというか大胆です。
本当に尾藤さんがそういう「感じ」で書いているかは、本が届いてから確かめます。
前回の「青天が衝く」で、水戸斉昭が「将軍よりも天皇家」と慶喜さんと徳川慶篤(よしあつ、水戸家の当主、慶喜の兄)に訓戒をしていました。「うん?」と思ったのです。そこまで言うかなという感想です。しかし後期水戸学の徒である水戸斉昭の言葉としては自然だと分かりました。ただし水戸光圀(水戸黄門)は「そんなこと言っていない」と言うのが尾藤さんの説のようで、それは本が届いてから確かめようと思っています。
ドラマの話ですが、上記の水戸斉昭の言葉に対して徳川慶喜の反応の描き方は微妙でした。一応おとなしく聞いていますが、その後すぐに阿部正弘とのシーンに転換し、「父も老いました」と言います。徳川慶喜のこの時の意識としては「将軍も天皇も」ということであったように思います。天皇に逆らう気はみじんもないが、といって将軍家を捨てることもできない。それこそ公武結合王権論が慶喜の立場ではないかなと思います。だから苦労するわけです。この後、慶喜は「天皇と将軍が対立しないように」行動しますが、不慮の予測不能の出来事でそれは挫折します。
本郷さんの「空白の日本史」では見直すべき書として他に高村逸枝さんの「招婿婚」研究などが挙げられています。大学時代、仲の良かったクラスメイトの女性がよく高村さんを読んでました。懐かしいなと思います。
日本史学の常識として王家と呼んだら「日本は中国の冊封下にない」と騒がれた。変な話です。でもそれはやはり私のような歴史好きの考えなのだと思います。「王権論」なんてもの知らないのが当然で、知らないからといって責められるべきでもない。生きるのに何の不都合もない。
昔の「新平家物語」では「公家の犬になりたくない」と仲代達也さん(平清盛)は言っています。「公家の犬」にしておけば良かったのかも知れませんが、あの騒ぎで王権論を知った人もいるでしょう。ならそれなりの意味はあったことになります。
本郷氏の本はたまに読みます。あっちこっちに話題が広がって、それなりに面白いし、学ぶべき点もあります。私は信長・秀吉・家康以外の日本史の知識は教科書程度しか知りませんから、学ぶべき点はあるのです。たまにトンデモないことも書きますが、根はかなり真面目な人だと思います。氏の本は「本当かー」と疑いながら読むと楽しい。というか私はあの篤実な歴史学者の鑑みたいな東大の金子拓氏の本ですら「本当かー」と疑いながら読むタイプの人間です。
この本で本郷氏は面白い説を「紹介」しています。氏の本は参考文献が最後にずらっと並んでいないと批判する人がいますが、本人も書いているように、大事な本は「本文で」きちんと紹介しています。
面白い説というのは「尾藤正英」さんの水戸学に対するものです。本の題名は載ってませんが、これまた本郷氏がググればわかると書いている通り、すぐ分かりました。『日本の国家主義 「国体」思想の形成』岩波書店、2014年です。幸い図書館にあったので、今予約を入れたところです。
詳しくはこの本を読まないと分かりません。本郷さんの「紹介」を信じて引用すると、水戸学には前期と後期がある。「尊皇」がことさらに強調されたのは「後期」である。
で尾藤正英さんです。水戸光圀は本当に「将軍よりも天皇である」なんて言ったのだろうか。それは「後期」の話で、水戸光圀がそんなことを言うとは思えない。むしろ北朝の天皇である現天皇家には正統性がないと水戸光圀は思っていたのじゃないか。それを「南朝が正統」という定義で言いたかったのでないか。
実は本郷さんは「水戸光圀は北朝の天皇を偽物であると考えていた説」と書いているのですが、「いささか刺激的」過ぎます。私は人を刺激して楽しむ趣味はないので、偽物という言葉を「正統じゃない」と読みました。同じことなんですが、天皇問題はデリケートなので、こんなブログでも一応気は遣います。こういう私の虚弱な精神に比べて、本郷さんは図太いというか大胆です。
本当に尾藤さんがそういう「感じ」で書いているかは、本が届いてから確かめます。
前回の「青天が衝く」で、水戸斉昭が「将軍よりも天皇家」と慶喜さんと徳川慶篤(よしあつ、水戸家の当主、慶喜の兄)に訓戒をしていました。「うん?」と思ったのです。そこまで言うかなという感想です。しかし後期水戸学の徒である水戸斉昭の言葉としては自然だと分かりました。ただし水戸光圀(水戸黄門)は「そんなこと言っていない」と言うのが尾藤さんの説のようで、それは本が届いてから確かめようと思っています。
ドラマの話ですが、上記の水戸斉昭の言葉に対して徳川慶喜の反応の描き方は微妙でした。一応おとなしく聞いていますが、その後すぐに阿部正弘とのシーンに転換し、「父も老いました」と言います。徳川慶喜のこの時の意識としては「将軍も天皇も」ということであったように思います。天皇に逆らう気はみじんもないが、といって将軍家を捨てることもできない。それこそ公武結合王権論が慶喜の立場ではないかなと思います。だから苦労するわけです。この後、慶喜は「天皇と将軍が対立しないように」行動しますが、不慮の予測不能の出来事でそれは挫折します。
本郷さんの「空白の日本史」では見直すべき書として他に高村逸枝さんの「招婿婚」研究などが挙げられています。大学時代、仲の良かったクラスメイトの女性がよく高村さんを読んでました。懐かしいなと思います。