歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

私の「ほんとにあった怖い話」・論理破綻したインチキ怪談(の面白さ)

2020-10-31 | トンデモ
私は、子供の頃から怪談が好きで、「怪談慣れ」しています。以下の話(の冒頭部分)は、私にとっては怖くもなんともなく、実際、怪談を語るわけではないのですが、人によっては怖いかも知れません。また「そんな経験しながら、平気ってどういうこと、お前が怖いわ!」となるかも知れません。つまりはご用心を。


いきなりですが、私は金縛りにあったことも、なんなら幽霊を見たこともあります。でもすべて脳が起こした「幻影」です。金縛りは科学で説明できます。幽霊は幻です。怖くもなんともありません。

もっとも金縛りも幽霊も18歳の時だけです。浪人だったのですね。勉強ばかりで精神が不安定でした。「金縛り慣れ」していて、抜け出すことも可能でした。ある日、また金縛りになって、「もういいよ、金縛り」とか心でツッコミ入れていたのですが、抜けようと目を開けると(実際は開いていないのです)、そこに幽霊がいて、私を見ていました。「こんにちは」と言いそうになったのですが、やめました。「まずい、幻影だ」と思いました。それで金縛りの方を選んで、金縛りから抜けるのをやめました。私の体は押し入れに引き込まれていき、気が付いてたらどこかの図書館でした。という夢。本当に気が付くと、もちろん自室でした。「やべ、幽霊まで出てきた。大学入らないと」と思いました。大学に入ったら金縛りは全く起きなくなりました。

でも「ほんとにあった怖い話」は、まず泥酔状態で運転をした21歳の記憶です。泥酔すると右折優先か直進優先かもわからなくなります。人生でただ一回です。今思い出しても「リアルほんとにあった怖い話」です。人を殺していたかも知れません。泥酔ですから、完全に殺人です。若気の至りじゃ済みません。本当に怖い。

次のは「肝試し」の友人です。肝試しは怖くないけど、友人の感覚が怖いのです。お墓でした。ところが一人が消えたのです。大学の時の肝試しなんて、女子と組んでそれを楽しむって甘いもんですが、この肝試しはマジでした。一人で行って一人で帰ってくるのです。焦って「消えた友人」を探しましたがルートにいません。まさか墓の奥深くに行けるわけもありません。本当に怖い場所なんです。危険人物の存在とか現実的な危険もありました。ところが、墓の奥の奥からその友人が歩いてきます。「物音がして、影が走った。怖いから確認していた」と言いました。ぞっとしました。「圧倒的にお前のその感覚が怖いわ!」とみんな「どん引き」しました。

最後は小学4年で読んだ「子供だましの怪談」です。インチキおやじの怖さです。論理破綻甚だしい。学校のトイレの幽霊を探しに行った子。夜中2時。ドアが閉まっている。男の子がトントンと叩くと「トントン」と入っているという音がする。男の子は思います。「おかしいな、こんな夜中に誰だろう」。そんなわけあるかい!逃げるだろ。とツッコミ入れながら読んでました。
で最後の一文「たけし君は翌朝、気を失っているところを発見されたが、何も覚えていなかった」、、、マジか。おい、じゃあ誰が今までのストーリーを語っているのだ。こんなインチキが子供にばれないと思っているインチキおやじが怖いわ!中岡俊哉!と明確にそう「言語化」して思いました。中岡さんが作者です。実際母に「おかしい」と訴えたのですが「怖い話でしょ。おかしくないわよ」と言われました。「おもしろいという意味じゃない」のですが母は「おかしい=おもしろい」ととったのです。母は相変わらずの天然でした。私と違って「論理的整合性」なんて面倒なことを考えない善良な人間。愛すべき人です。

「ほんとにあった怖い話」、録画しましたがまだ見てはいません。伊藤健太郎君が出演していて、で、ガタガタしたようです。伊藤君は私と違って事故を起こしてしまった。私は泥酔しながら21の時、事故を起こさず、その後反省して一切やらなかった。紙一重という気がします。(この部分は志賀直哉の「城の崎にて」のパクリですが、実感でもあります)

まあ実はそれより、稲垣吾郎さんがまだMCのようで、大変うれしい。頑張ってほしいと思います。

「光秀のスマホ」「麒麟がくる」外伝・「どうせなら全員生かしてしまおうホトトギス」の巻

2020-10-31 | 麒麟がくる
ある程度歴史の事実に合わせて、光秀と信長を両方とも「長生きさせる」方法はあるかを考えてみました。無論「トンデモ設定」が必要です。可哀想ですが、ある程度の人々には史実通りに死んでいただかないといけません。このぐらいトンデモにしないと無理なようです。柴田勝家・織田三七信孝には悪者になってもらいます。ただしタイムスリップは使いません。それが使えるなら、現代にタイムスリップさせて、助けてしまえば簡単です。

帰蝶・信長・十兵衛・煕子・信忠が「現代で繰り広げるドタバタコメデイ」は、もう誰かが小説にしているかも知れませんし、それはそれで面白そうです。「俺って人気者なんだな。でも人気が出るとディスるやつも多いから、考えもんだね、帰蝶」「最近はどうも私の方が人気があるぞ。アンチ帰蝶はほぼ0だぞ。私の勝ちー」とか信長と帰蝶に言わせてみたいものです。しかし今回はタイムスリップは封印します。私は「女信長」の情報を知りませんが、もしかすると似ているかも知れません。

天正10年、1582年5月、本能寺の変の年、十兵衛は信長に呼び出され、本能寺に向かいます。そこには帰蝶と織田家嫡男、織田信忠がいました。

信長「十兵衛、これを見ろ。この手紙を」
十兵衛「なんと、3男織田信孝殿、ご謀反!」
丹羽長秀「それだけではない、津田信澄殿も加担しておる。十兵衛殿の縁者であろう。」
信長「信澄ごときはいい。わしにとっても甥ぞ。問題は次の手紙だ」
十兵衛「信孝殿擁立には、柴田殿、滝川殿も加担!まさか」
信長「滝川も信孝も柴田に踊らされているらしい。首謀者は権六だ。しかしここまで裏切られれば、もう笑うしかなかろう」
十兵衛「手紙は、羽柴秀吉殿からですな」
信長「あやつは、中国にいながら、これだけの情報を送ってきよった。神か天狗じゃな。もう呼び寄せたがな。」
十兵衛「しかし本当でしょうか」
丹羽長秀「わしが証人じゃ。柴田勝家からはわしにも誘いがあった。3日前までわしは信孝様といた。四国遠征軍じゃ。」
帰蝶「十兵衛、そちは近畿管領であろう。この情報つかめなかったのか」
十兵衛「申し訳ありません」
信長「申し訳ないでは済むまい。帰蝶と話しあってな。この際、明智家は取り潰しとすることにした」
十兵衛「仕方、、、ありません。御意のままに」
帰蝶「それとな、十兵衛、この際、織田家も取り潰すことにした」
十兵衛「はあ」
帰蝶「十兵衛、織田家は私と十兵衛と信長様で作った。けれど大きくなり過ぎた。無理をし過ぎた。人を殺し過ぎた。そして人々の信を失ってしまった。織田家が天下人である限り、麒麟はこない。」
信長「だから織田は一代で店じまいじゃ。信忠もわかってくれている。わしにもまとめられぬ織田を、信忠に任せるのは酷であろう」
十兵衛「いやいや、変でしょ」
信長「変ではないわ!わしがいなくなれば、滝川についている関東の国衆は離れていく。滝川も生きては戻れまい。信孝の四国遠征軍も所詮は寄せ集めじゃ。この信長が死んだと聞けば、雲散霧消するであろう。残るは柴田のみだ」
十兵衛「死ぬなどと。切腹などもってのほか」
信長「おいおい、誰が本当に死ぬと言った。死んだことにすればいいだけだ。」
帰蝶「十兵衛、十兵衛には天下人織田信長を作った責任がある。その責を負ってもらう。汚名を着てもらいます。許してほしい。」
十兵衛「わたしが、、、、信長様を殺せばいいのですな(やだなー)」
信長「さすが、話が早いな」
十兵衛「しかし次の天下人は誰に、、、、あっ、、、羽柴殿ですな」
帰蝶「秀吉の知謀は底しれぬところがある。人々に支持される天下人。あの男しかできぬであろう」
十兵衛「しかし秀吉殿にはお子がおりませぬ。秀吉殿の天下、続きましょうか」
帰蝶「だからもう一人、生きてもらわないといけない人間がいます」
十兵衛「それは、、もう誰でもわかるけど、、、家康殿で、、、ございますな」
信長「家康は慎重すぎるところがある。秀吉ほど機敏でもないし、芝居もできぬ。が、ねばり強く信念を持っておる。藤吉郎が暴走しないためにも、家康を対抗馬として残しておくことにする」
十兵衛「で、信長様は」
帰蝶「京にいますよ。信忠は堺に行きます。信忠は商人になって、世界を相手に貿易をしたいと申しています。堺の今井宗久も、協力してくれることになっています。納屋の家に入るのでしょ。名前はもう決めたの、信忠」
信忠「はい、母上。助左衛門に決めました。納屋助左衛門。ルソンと貿易をするつもりですから、ルソン助左衛門を名乗ります」
十兵衛「で、柴田殿は。信孝様は」
信長「それは藤吉郎が考えよう。だが信孝は生かしてはおかぬ。秀吉が殺せないというなら、2男の信雄に殺させるまでだ」
ここで藤吉郎登場。
藤吉郎「殿、殿、勘弁してくだされ、十兵衛殿、十兵衛殿からも言ってくだされ。そんなトンデモないことしなくても、ただ柴田・滝川殿、信孝様を討てばいいだけの話ではありませんか」
帰蝶「トウキチ、織田家が天下人である限り、人々は織田を恐れ、謀反の種は尽きない。そちは世間では人を殺さぬ男と思われておる。下ってきたものは殺さず活かす」
藤吉郎「と言って、こんなトンデモない芝居をうたなくても。それに三七信孝殿は殺しはしませんぞ。信忠様、ルソンに落ち延びさせてくだされ」
信忠「心配するな。あやつは乗せられただけだ。きつく叱っておく。任せておけ」
十兵衛「藤吉郎殿、わしはそなたがさほど好きではないが、それでもこの世でこんなずる賢い、いや真に賢い男はいないと思っておった。しかも発想が人とは違う。たとえば検地、楽市楽座、そちが領内で行った政治をみて、わしは舌を巻いた。近頃は人を殺すことにも迷いを覚えるようになった。それが本来のそちなのだ。そちならできる。荘園をなくせ。世を救え。新しい世の扉は、羽柴秀吉が開くのだ!麒麟を呼ぶのだ!」
藤吉郎「そういわれると悪い気はしませんな。でも上様が堺の商人とは。」
信長「馬鹿か。誰が商人になどなるか。それは信忠じゃ。わしは朝廷に入る。近衛か二条に入り込んで、大納言にでもなり、お前を監視する。あとは蹴鞠でもして帰蝶と遊んでくらすわ」
藤吉郎「わしが征夷大将軍になるのでございますか」
帰蝶「将軍より上の位が良かろう。わたしたちが朝廷に入って工作します。関白にしてあげようぞ」
藤吉郎「関白、、、ははー、承ってございまする」
信長「十兵衛すまぬ。汚名を着てもらう。その代わり、そちには徳川に入って、トウキチを監視してもらうぞ」
十兵衛「はあ」
帰蝶「すぐにでも出家するのです。法名は天海です。顔は駒が、南蛮の魔術で、十兵衛とはわからぬほどには、変えてくれます。煕子殿や十兵衛のお子らは私たちが保護します。そちの重臣たちも、、一度は死んだことにしますが、藤吉郎が取りてるから大丈夫です」
藤吉郎「しかし信長様ならで、誰が天下をかくも鮮やかにまとめ上げることができたでしょう。この先、わしがいくら偉うなろうとも、織田信長の名こそ長くこの国の歴史に刻まれましょうぞ」
信長「トウキチ、もう一人の名を忘れておる。明智の名よ。しばらくは明智の名は汚名として語られるであろう。しかしある時、人はふと気がつくのじゃ。この信長という鬼を止めたのは誰であるかと。明智十兵衛という男が、一体何者で、何を望んでいたのだろうかと。わしの名が消えぬなら、明智十兵衛の名もこの国の歴史から消えることはない。」
十兵衛「信長様!」

ときは移って、1616年。京都。信長の邸宅。

信長「大阪の陣も終わり、世は太平になった。帰蝶、わしはいったいいくつになったのだ」
帰蝶「ボケたふりを。殿は82歳、私は81歳、十兵衛は87歳、煕子殿は83歳です」
十兵衛「この天海、まだまだ死ぬ気がいたしませぬ、駒殿の不思議な薬のおかげですな」
駒「そして私も81歳になりました。菊丸さんは90歳。東庵先生はとうに100を超えています。妖怪ですね。」
信長「秀吉が死んだ時は、どうなることかと思ったがの、大御所、よくぞやってくだされた、百万の死者の上に築いた平和じゃ、守っていかねばな」
家康「これも全て、十兵衛殿のおかげです。麒麟を呼べ麒麟を呼べと十兵衛殿にはうるさく言われましたわ」
十兵衛「信長様、お市様は?」
信長「また遊びに出かけおった。とうに70を超えて、元気なもんじゃ」
帰蝶「十兵衛殿、ガラシャ殿は」
十兵衛「関ヶ原のおり、大御所に助けていただいて、今は長崎で、祈りの毎日だと手紙を寄越しました」
家康「ガラシャ殿のお子たちも、孫たちも、時々長崎に出向くそうですぞ。しかし十兵衛殿、麒麟がくる道は遠かったのう。義昭様が生きておられたら。」
駒「でも義昭様。最後は藤吉郎さんと大坂に住んで、人々の尊敬も集め、見事な大往生でした」
十兵衛「大御所、まだ麒麟は首を見せただけですぞ。麒麟が本当にくる世は、まだまだ先ですぞ」
家康「わしはことし74になるがの。体が持ちませぬわ。もうここらで本当に隠居いたします。あとは十兵衛殿、秀忠を頼みます」
信長「それが良い。もう楽をいたせ」
家康「右府様、酔った勢いで文句を言わせてもらいますぞ。どれだけ辛い選択をしてきたか。太閤殿とわたしに足を向けて眠っては駄目ですぞ」
信長「で、あるか。しかし秀頼と淀殿はルソンで元気らしいぞ。信忠が、いや天下の豪商、ルソン助左衛門がついておるからな」
十兵衛「義輝様、義昭様、道三様、義龍、今川殿、浅井朝倉殿、秀吉殿、柴田殿、摂津晴門殿、本願寺門徒、叡山の僧たち、武田勝頼、死んでいった者たちの為にも、もうひと頑張りですな」
帰蝶「いったい十兵衛は何歳まで生きるつもりじゃ」
十兵衛「百歳超えてもまだまだ生きますぞ」
一同「アハハハハ」

めでたし。めでたし

織田信長と正親町天皇と「麒麟がくる」と。

2020-10-29 | 天皇制
東大准教授の金子拓さんが、2014年に出版した「織田信長、天下人の実像」という本があります。

この本の主張は実に明快でして「織田信長は天下静謐を大義としていた。全て天下静謐という言葉で説明することが可能である。ただし四国政策で、その大義に変更があった」というものです。(あくまで2014年にそうお書きになっているということです。)

天下静謐についての詳細な内容は本を読んでもらうしかありません。それはもともと室町幕府も目標としたもので、畿内が平穏であり、その畿内に天皇と将軍がいて、地方の大名が畿内を中心に、ゆるく連携しながら平和を保っている状態、、、とここでは書いておきます。金子さんが見たら「違うよ」と言われるでしょう。きっと。

一見すると天皇を頂点とする秩序に、補佐役として将軍がいて、さらに周辺に大名たちがいる、、と理解されそうですが、違います。というか「ちょっと違い」ます。金子説によれば、信長の考えでは「天皇すらも天下静謐という大義のもとにいる」とされます。この主張の是非は別にして、今の天皇を考えると理解はしやすい主張です。天皇はあくまで「公的存在」であって公正無私な「公」が天皇個人に優先します。「公」を期待され、もし「私利私欲の行動」を取れば、天皇すら批判されます。現実には、そうした行動は「とれない」ので「私的行動だ」と天皇皇后が批判されることはありません。皇族はどうでしょうか?「過剰な批判にさらされる」ことがあり、ああかわいそうだな、と個人的には思います。そしてその批判は必ずしも「私」に対するものとは言えない。宗教に対する、歴史的経緯を知らぬ誤った思い込みと不寛容からも起きているようです。

「麒麟がくる」に引き寄せて書くなら「お天道様」太陽=公が一番偉いのです。次が天皇と将軍、ということになります。

なぜ金子さんはことさらに「天皇すら天下静謐の大義のもとにある」と主張しなければならなかったのでしょうか。それは「信長が天皇の恣意的な判断を批判したとおぼしき史料」が厳然として残っているからです。それを示して自説を批判する人を「前もって制止している」わけです。

それは例えば「興福寺別当職の座をめぐる相論(争い)」に関するものです。ここは「引用」します。

「自分の提案が無視されたことに怒った信長は、(朝廷の)奉行職の所領を取り上げ、彼らを謹慎処分にして、天皇の失策を強く批判する。ことの重大さに気がついた天皇は、深く反省し、信長に対して奉行職の赦免を乞い、詫びを入れるという前代未聞の事態に立ち至った」

金子さんほど史料批判をマジメにする方もいませんので、もちろん元になった史料があり、その史料を批判的に検討してから述べています。

その前提としてあるのが「すでに戦国時代において、朝廷の政治判断能力は目に見えて低下しており、天皇や関白・公家衆など複数の判断主体が併存し、それぞれ自分の利益にかなった方向にみちびこうとして統制がとれていなかった。しかも彼らはこのあり方がおかしいものだと感じていなかった」という認識です。

天皇・関白・公家衆は「各自がバラバラに判断すること」や「利益誘導」を「おかしいものだと感じていなかった」わけですから、なおるわけはないのです。それに疑問を持ったのが三条西実枝だと続きますが、私は「朝廷統制がとれていなかったという認識」を紹介したいだけなので、金子さんの引用はここまでです。
なお別にこの説は「信長と朝廷が対立していた」と言っているわけでも「信長は天皇の上にいた」と言っているわけでもありません。むしろ逆です。信長と朝廷の親和性に注目しています。ただ信長の行動原理は「天下静謐」という大義であり、それに反する行為は相手が天皇でも許さなかったというだけです。

実は私は金子さんの「天下静謐の信長」には疑義を持っています。例えば金子さんは明智光秀が惟任日向守であること(彼の名前は惟任光秀です)を軽く見ます。軽くみる根拠も「信長は変な名前が好きだったから」「動機を書いた一次史料がないから」と脆弱です。動機など説明するわけありません。これが今まで言われてきたように九州制覇を前提とした名だとすると「天下統一など目指していなかった」という金子さんの主張が崩れます。それは実はどうでもいい細かい問題に過ぎませんが、その他疑義は「いっぱい」あります。ただ最近は「わざとやってるのじゃないか」と思っており、それらしき発言(私の主張で信長を塗りつぶしては駄目だ。研究は永遠に終わらない)もあり、氏の本をなるべく沢山読んで「いや違うだろ」とか突っ込み入れながら「いい勉強させて」もらっています。私は特定の学者を信奉したりすることはありません。別に私の「先生」ではありませんし、カリスマ化は真実を曇らせます。でも金子さんのマジメな姿勢は尊敬すべきとも思っています。だからと言って氏の説に同意するわけではない。でも御本は拝読します。上記の本も四回以上読んで、やっとある程度理解できました。さらに言えば朝廷の実態など、こういう「個々の事実認定」は説への疑義とは全く別の次元の話です。それは大変丁寧に行っており、信頼に足るものだと私は考えます。偉そうに書いてますが、史料読みなんて私にはほぼできません。活字になっていれば多少できます。私がやっている作業はただ「論理的整合性の検証」だけです。論理的にみて「正しいか否か」を考えているのです。

蛇足でさらに加えれば、SNSで多くの人が高い評価をしている「先生」でも、読んでみると特定の立場からバイアスを持って歴史を論じており、それが理由で、私にとっては一文の価値もないと感じることがあります。逆に多くの人が束になって馬鹿にしているような「先生」の本に、多くの示唆を与えられることもあります。どっちにせよ私の「先生」ではありませんが。

話もどして、この「朝廷統制がとれていなかった」という認識は、金子さんとは史観を異にする堀新さんも同じです。堀新さんの提言も凄いと思います。虚像と実像を共に追求する、まさに我が意を得たりです。第一線の日本史学者が「自分と同じことを考えていた」と知り、はしゃぎそうになりました。しかしだからと言って氏の「公武結合王権」説に同意するわけではありません。まあ、本当は「もしかすると正しい」とは思っていますが(笑)。まだ分かりません。もっと御本を読まないと分かりません。

天皇の問題は、どの学者も強いバイアスを持って論じることが多く、基本どの学者のいうことも信じてはいけないと思います。同じ史料から「全く反対の解釈がでる」こともしばしばです。ただ「バイアスに自覚的な学者さん」が何人かいて、その代表が堀新さんだと思いますが、金子さんもおそらく自覚的です。バイアス=偏見を避けることは誰にもできません。しかしそれに対して自覚的か否かによって、説の質は全く違ってきます。自覚的であるほど、質のよい説になっていると私は考えています。なお私自身も人間だから、当然のこととしてバイアスを持っています。

そんなこんなで、この「朝廷統制がとれていなかった」という認識は正しいと思って大丈夫だろう、と考えています。これは大変に参考となる事実認定です。

「麒麟がくる」に正親町帝が主要な出演者として出たのをきっかけに、久々に天皇について考えています。もう20年ぶりぐらいで、頭が回転しませんが、まあそれはいつものことです。この文章は別にさほどの意味はないのです。「勉強してます」という報告に過ぎません。

麒麟がくる外伝・「朝倉義景を討て」・勝手なあらすじ

2020-10-27 | 麒麟がくる

「光秀のスマホ」が許されるなら、私が「このぐらいふざけてもいいかな」と思ってます。

さて上洛後の信長です。「美濃は帰蝶のためにとった。京都は将軍のために占領した。帰蝶は喜んでくれた。将軍も天皇も喜んでくれた。京都の人々も歓迎してくれた。まずは嬉しい限りだ。」と考えています。十兵衛は史実上は両属ですが、ドラマ上は幕臣です。

帰蝶「まずは良かったですね。帝も将軍も殿を褒めていたのでしょう。」
信長「まあ、そうじゃがな。だが、この後どうすればいいのかな。」
帰蝶「美濃も伊勢も近江も、まだ落ち着いてはいません。ここからは内政ですよ」
信長「内政か、、、苦手だな。信長の野望なんかでも内政コツコツやるの苦手なんだよな」
十兵衛「なんの話をしてるんだ、おめーは」
帰蝶「指出検地じゃなくて、検地もしっかりやって。信長は内政面において遅れてるとか、そういう汚名返上ですよ。」
十兵衛「その通り!」
信長「あっ、十兵衛いたのか。おい、どさくさに紛れて、おめーとか言わなかったか」
十兵衛「何の話だか。それより幕府の腐敗ですよ。腐敗。どうにかしないと」
信長「摂津晴門だろ。めんどくさいな。歌舞伎役者みたいだし、からみたくない。おいしいとこ全部持っていくからな。鶴ちゃんは」
十兵衛「でもこのままだと、三好やユースケ義景をけしかけて、織田を攻撃すると思いますよ」
信長「なんでじゃ。おれは幕府の恩人だよ」
十兵衛「この間、怒鳴って摂津に扇子を投げつけたでしょ。恨んでますよ」
信長「そうか、知らない、ボク知らない。」
十兵衛「とにかく天下静謐のために、織田家は頑張らないと」
信長「てんがせいひつ?なんだそれ」
帰蝶「天皇の代行者である将軍が京都周辺の平和を実現する。その将軍の天下静謐作戦を信長様が軍事で支える、ということです」
信長「長いよ、わかりにくいし。要するに天皇と将軍を尊重して、京都あたりを平和にすればいいのだな。褒めてくれるか」
帰蝶「みな、口々に殿を褒め称えましょう」
信長「そうかー。夢のような話だな。よし、それで行こう。とりあえず朝倉さんに仲良くしようと言ってみるわ」
十兵衛「いや、それが、摂津さんは既に朝倉に手を回し、三好と朝倉で織田をハサミうちしようとしているのです」
信長「えー、それに乗ったの?馬鹿じゃないかユースケサンタマリア、サンタマリアのくせに。でも三好と組んだというのは怪しいな」
十兵衛「とにかく先手を打って、越前を攻めましょう」
信長「でもさー、天下って畿内だろ。越前関係ないじゃん。あれ、天上天下唯我独尊の天下も畿内なのか?お釈迦様は日本の畿内で唯我独尊なのか」
十兵衛「なに言ってんだ、てめーは。とにかく先手必勝ですよ。ユースケはへたれだから、すぐ白旗あげますよ」
信長「でもユースケ義景が、謝らずに、本気で攻撃してきたらどうするんだよ。結構強いぜ。ここは和平でしょ。静謐、静謐、静かにしていようよ」
帰蝶「いや、ここは摂津の計略を逆手にとって越前をやっちまいましょうよ、ユーやっちゃいな」
信長「うーん、そうかな。まあ考えてみると魅力的かも、十兵衛、帰蝶、おぬしらもワルよのう。越前とれば太平洋から日本海まで領土が拡がる。貿易の金も入る。みんなも褒めてくれる。うん、いいかも。戦大好きだー。で、浅井長政くんはどうするの」
十兵衛「伝えると、余計悩みますよ。攻め込んでしまえば、見てみぬふりでしょ。」

ということで信長は越前に攻め込みます。その前に光秀の助言で正親町帝から勅許ももらっています。が、浅井長政は「見ぬふりなどできるか、俺は、その他大勢キャラじゃないぞ」と怒り狂います。で朝倉側につきます。信長は挟撃され、ピーンチ。

信長「だから長政くんには伝えようと言ったじゃん。考えてみると十兵衛、ほぼ実践経験ないよな。大将首事件だけ。長良川でも本圀寺でも戦っていない。よく玄人みたいな口がきけるよな。このド素人が!詫びろ、聞こえなかったか、詫びろ詫びろ詫びろ!」
十兵衛「はい、ごめんなさいね。今は私の人格攻撃とかしてる場合じゃないでしょ。逃げないと」
信長「あと正親町さんに勅許もらったけど、役に立たないじゃん。長政くんやユースケは朝敵だろ。そんなこと全然気にしてないじゃん。」
十兵衛「まあそれはですね。これから天皇権威を高めていけばですね、、まあ天皇問題はデリケートだからやめましょうよ。とにかく逃げるのです」
信長「デリケートって、正親町帝登場させちゃったわけだし。難しいよな、描き方が。うるさい人多いから。それはそうと、逃げてもさー、途中で殺されたら恥じゃん。とにかく、まず失敗を認めろよ。お前時々わかったような大きな口きくけど、戦争経験値ほぼ0だろ。ユースケ義景にもべらべら戦争とはを語っていたけど、戦った経験ないくせに、よく言えるよな。間者から聞いたぞ。知ってるぞ」
十兵衛「ねちねちうるさいなー。天下静謐という大任を果たすため、織田信長は死んではならんのです!」
信長「大きな声だしても騙されないから。でもまあ逃げるのは正解だろな。なんか恥だが役に立つとも聞いたしな。よし、逃げる」
十兵衛「逃げるが勝ちですよ。すると後の大河が、、、信長はひた走りに走った。敦賀平野に舞い降りた速さもさることながら、勝ちいくさの収穫になんの未練もなく、戦場を離脱した異常な速さは、戦術の常識を打ち破った信長の天才を示している、、、と言ってくれますよ」
信長「褒めてくれるというわけか。逃げても褒められる。それが徳川慶喜くんとの違いか。慶喜くんが逃げたから戊辰戦争はあの程度だったんだけどな。まあいいか。よし、逃げる」
藤吉郎「あのー。本当に逃げないといけないんですか?」
信長「どういうこと?」
藤吉郎「いや具体的な兵力は完全には把握してないんですが、、、浅井の動員できる兵力から考えて両面作戦も可能だったんじゃないかと」
十兵衛「だった、ってどうして過去形?。まあね、やってやれないことはないかな。でもそういう賭けをやらないのが信長なんだな。勝てるまで調略やって、人数を整えて、勝つべくして勝つ。この戦いで信長が学んだのそれなんじゃないでしょうかね。木下殿。」
藤吉郎「十兵衛様、そうでしょうか、姉川だって結構危なかったんでしょ。それは信長の天才性を買いかぶり過ぎている意見だと思いますがね」
十兵衛「いや、この戦いだってここまでは勝っているわけよ。でもその収穫に未練なく、異常な速さで戦線を離脱しているわけ。天才かどうかはともかく、そこは評価しないと」
藤吉郎「本当に異常な速さだったのですか。そこからして怪しいな」
十兵衛「4月25日に金ヶ崎城を攻撃し、4月30日に逃げている。浅井裏切りの報をどの時点で知ったかによるでしょうな」
信長「てめーら。なぜ俺を置き去りにして信長の歴史的評価ごっこやってんだよ!いいんだよ。いろんな信長がいて。逃げるぞ。トウキチ、後はまかせた」
藤吉郎「うけたまわって、ござりまするーー」
信長「お前、時々そういう変な発声をするけど、狙いはなんなんだ?」
藤吉郎「てへっ」
信長「てへっ、じゃねえよ」

とういうことで信長は金ケ崎からやっと脱出します。しんがりは、秀吉・十兵衛らがつとめました。十兵衛もいたという史料は一色藤長の伝聞史料だけみたいで、史実と違う可能性もあります。

信長「だから言ったろう、十兵衛、お前は考えが浅いのだよ」
十兵衛「いや、大したことなかったですよ。生きて帰ったわけだし。」
信長「そもそもさー、絶対裏切らないと思っているなら、どうして浅井に伝えないのだよ。もしかして、と思ってるから伝えないんだろ。本当に伝えなかったのか?」
十兵衛「済んだことをねちねちと。どうしたんですか、どっか痛いのですか」
信長「痛いよ。鉄砲の傷。かすり傷でも痛いんだよ。やっと京都にもどってさ、一息ついて岐阜に帰ろうとしたら、なんと「黄金の日々」でおなじみの杉谷善住坊に鉄砲で狙撃されたよ。千草越え。命いくつあっても足らんわ。黒幕は六角上等らしいぞ。上等じゃねえか、やってやるぞあいつ」
十兵衛「上等じゃありません。六角承禎(じょうてい)です。藤吉郎殿と同じぐらいまで生きますよ。しぶといんです。」
信長「どっちでもいいよ。しかも一色藤長は十兵衛がしんがりだという手紙残してるけど、違うよね、一緒に逃げたじゃん。幕臣びいきもいいけど、伝聞でいい加減なこと言うのはどうかなー」
光秀「申し訳ありませんね、細かいな」
信長「謝ってすむことと済まないことがあるぞ。あー腹立つわ、そのしたり顔。帰蝶、どうする。わび入れようよ。浅井と朝倉に」
帰蝶「もう無理みたいですよ。お市さんが手紙に書いてました。ユースケ義景はともかく朝倉家中はかんかんだそうです。それにあの信義を重んじる浅井長政さんが、怒り狂ってるそうで」
信長「そうだよなー。あいつ真面目だもの。そりゃそうだよなー。あーあ知らないよ。もう天下静謐は終わりかな」
十兵衛「いや、こうなれば、全て天下静謐で押し切るしかないと思いますよ。天皇と将軍が後ろ盾です。なんでもかんでも天下静謐で押し切りましょう。信長に逆らったら全部天下静謐の敵、これで押し切るしか生き残る道がありません」
信長「いやなんだよね、現実にはもっと柔軟に対応しないと。それじゃあ天下静謐原理主義者じゃん」
帰蝶「しかしこうなれば、仕方ないでしょ。十兵衛の言う通りですよ」
信長「いう通りじゃないって。浅井と朝倉に謝ればいいのだよ。誤解があったと。分かってくれるよ」
十兵衛「しかし摂津は裏ではどんどん浅井、朝倉、叡山をたきつけてますよ」
信長「だから将軍は何やってんだよ。信長のカイライじゃなくなったと思ったら、摂津のカイライじゃん。どっちにしろカイライ。がっかりだよ」
十兵衛「憎きは摂津。やられたらやり返す。近いうちに倍返しだ!」
信長「それはスルーするよ。まあとりあえず天下静謐で押し切るけど、どうも危険だな、あの将軍は。それに静謐って字読みにくいし。高校生だって読めないだろうし、日本史用語としてどーなの。畿内平定、畿内平和維持じゃ駄目なの。静謐の謐って字、普段絶対使わないでしょ。」
帰蝶「ぐちぐち言わない!当時の手紙にだってちゃんとある言葉です」
信長「そんなの関係ねえ!はい、オッパピー。だったら幕府だって公儀って書くべきじゃん。」
帰蝶「はいはい。分かりました。それより十兵衛、なにげなく言ったけど、比叡山?」
十兵衛「そうなんですよ。小朝がね。いや天台座主の覚恕が、まー悪いやつなんすよ。史実は違うと思いますけどね。でも、あれは焼いた方がいいですね。叡山焼き討ちですよ」
信長「怖いこと言うね。石仏壊すのとわけが違うよ。今度こそバチ当たるよ。そもそも叡山は700年の昔、最澄上人、伝教大師が顕密仏法を伝えるために勅命をもって開いた聖地であってね。国家鎮護、王法冥護のためにね、、」
十兵衛「信長、おめーは坊主か!仏像なんて木とカネ(金属)で作ったもの。坊主たちはみんな破戒坊主ですよ。何の験もない。そういう古き世の妖怪どもをすりつぶして新しい世を招きいれるのが、織田信長の大仕事なのです!」
信長「大きいんだよ声が、、びくっとするじゃん。それにどうしておれの仕事をお前が決めるわけ?この間は天下静謐が仕事だって言ってたよね?」
十兵衛「叡山はもはや天下静謐の敵なのです」
信長「論理的におかしいだろ。天下静謐は幕府の目標で、俺はそれを助けているだけでしょ。でも叡山を敵にしたのは幕府の摂津で、義昭さんは黙認。結局天下の静謐を乱しているのは幕臣とそれを咎めない将軍だろ。その将軍をおれが助けるわけ?」
十兵衛「ままならぬのがこの世なのです。とにかくやられたらやり返す。それしかありませんよ」
信長「やだなー。そもそも京都嫌いなんだよね。伏魔殿じゃん。絶対自宅作らねーぞ。伏魔殿である京都を焼いた方が早くないか。あっでも帝のお膝元の京都を焼いたら、天下が乱れるか」
十兵衛「それはまた後の話になります。上京焼き討ち。義昭幕府の最終段階の話になりますな。」
信長「ふーん。京都まで焼くのか。やだな、そういうの。でも幕府滅んでないだろ。鞆幕府って知らないのか?」
十兵衛「さあーどうなんでしょう。土地を給付することはできたのですか。」
信長「知らないよ。そんなこと。未来の話じゃん。それより今だよ。どうしたら人と人は争わず、傷つけ合わずに生きていけるのだ。教えてくれ十兵衛」
十兵衛「答えが出ないのです。答えが出ないままに、でも麒麟がくる世を求めて、迷いながら進むしかないのでしょうな」

「麒麟がくる」に「三条西実澄」が登場することの意味

2020-10-26 | 麒麟がくる
麒麟がくるに登場するお公家さんのうち、重要な役割を果たすのは3名です。近衛前久(さきひさ)、二条晴良(はるよし)、三条西実澄(さねずみ)の3人。三条西実澄はのちに三条西実枝(さねき)と名を変えます。大納言です。

近衛さんと二条さんは「ライバル」です。では三条西さんはというと、「歌の家」の人です。古今伝授という「秘法」を代々受け継ぎます。三条西さんが老齢になっても、息子がまだ若かったため、「中継ぎ」として三条西さんは「細川藤孝」に伝えます。藤孝はそれを三条西さんの子供に伝えます。でもその息子が早死。藤孝さんは三条西さんの「孫」に古今伝授を伝えます。

でも藤孝さんは麒麟がくるの主人公ではありません。おそらく古今伝授で三条西さんが登場する「わけではない」と考えられます。

じゃあ、なんでということになります。

NHKは「学問好きで変わり者の老公卿」と紹介しています。この「変わり者」「老公卿」に私は注目します。おそらくそんなに大きく出るわけではないでしょうが。

ときの天皇は正親町帝です。この人の「おばあちゃん」と「三条西さんのおばあちゃん」は姉妹です。親戚ですね。年齢は6つほど三条西さんが上です。正親町帝にとっては「親戚のお兄ちゃん」なわけです。

結論を急ぎますが、つまりは「朝廷のご意見番」かと思うのです。おそらく正親町帝にも「もの申す」ことがあるでしょう。

正親町帝は天皇ですが、無謬(むびゅう)の存在ではないと思います。美化は当然されるから等身大とはいかないものの、間違えることもある、と描かれるはずです。来週の予告編「朝倉義景を討て」で信長は「勅許をもらった。勅命をもらった」と喜んでいますが、この後、信長は天皇に対してその朝廷ガバナンスの弱さを指摘するようになります。それが「絹衣相論」と言われる出来事です。正親町という「王」が出てきて「麒麟がやってきた」となることはないのです。既に義輝・向井さんが「帝を信用していません。武士がいなけりゃなにもできない」とディスってます。あれは伏線でしょう。

ちなみに宣伝ビデオでは正親町帝は東庵先生と「碁を打って」いました。「信長とはどんな武将か」と問いかけています。(史実としては信長が美濃を制服した段階で、天皇領地の回復を信長に要請してますから、ある程度知っているはずです)

さて、三条西さん。史実として「正親町帝の朝廷運営に色々ともの申した人物」ではないかと考える学者さんがいます。「麒麟がくる」の影の時代考証家とも言える東大の金子拓さんです。歴史秘話ヒストリアが「世にもマジメな覇王、信長」を放映した時、メインで登場したのが金子さんです。この金子さんが「織田信長、天下人の実像」の中で、かなり大きく三条西さんを取り上げ、「蘭奢待問題の時、またその後も正親町帝の朝廷運営を鋭く批判した人」として三条西さんを取り上げています。朝廷の意思決定の方法に問題があり、それを天皇に内奏して批判したのが三条西さんということです。

ちなみに堀新さんは「現代思想」に載った文章で、三条西さんに関して、また別の意見を述べています。別といっても朝廷ガバナンスが弱かったという認識では一致しています。ということで意外とホットな人なんです。

詳しく書く力は私にはないので、あとは上記の本をご覧ください。

追記 「もの申す人物」ではないようです。十兵衛と天皇を取り持っています。すると「蘭奢待」の一件で活躍するのでしょうか。香木、蘭奢待切り取りで、正親町帝は信長に怒ったと言われています。史実としてはそんなに怒ってません。「聖武天皇も怒るぞ」と書いたのはどうやら、この三条西さんのようです。では三条西さんは信長に怒ったのか。ドラマではそうなるかも知れません。
でも実際は正親町帝に怒ったのです。「開封の手順が間違っている」というのです。では三条西さんは「朝廷の手順を重視する気骨ある重鎮」なのでしょうか。これまた奇々怪々で、そうでもないのです。要するに「なぜ自分を通さない」という怒りです。「聞いてないよー」ということらしいのです。そして結果としては三条西さんの息子が東大寺別当になって、その「小童」に開封(蔵を開くこと)の勅命が下っています。「小童」の補佐は三条西さんです。最後は自分の息子のお手盛り人事になっているのです。朝廷とは奇々怪々なところです。このことについては「蘭奢待(らんじゃたい)と信長と三条西実澄・信長と正親町天皇の関係は「対立」なのか「協調」なのか。」を参照ください。

麒麟がくる・第二十九回・「摂津晴門の計略」・感想・浅井長政がその扱い?

2020-10-26 | 麒麟がくる

まず大雑把な感想
・摂津晴門が「悪代官」みたいになっている。これでは悪役VS善玉になってしまうのじゃが。じゃが!ただ、鶴ちゃんの演技が素晴らしいので許せる。
・足利義昭は駒ちゃんと組んで、小石川療養所みたいな施薬院を作ろうとしている。悲田処か。初めて聞いた。東京近辺にあったらしい。
・光秀の横領は史実的には事実らしいが、取り上げる必要あったのか。ブーメランになってしまうぞ。
・浅井長政が「その他大勢」だった。えっという感じだった。
・なんか「帝」が急にクローズアップされてきたが、十兵衛を尊王の人として、帝のために信長をうつ、とか安易なことはしてほしくない。

1,光秀と横領

史実の明智光秀に寺領押領の「くせ」があったことは事実のようです。丹波でもやっているとのこと。ほら、調べると事実がブーメランになって十兵衛に戻ってきてしまう。いくら幕府の腐敗を描くためとはいえ、この話題はとりあげる必要がなかったと思います。

「明智光秀 残虐と謀略」によれば、元亀二年、光秀は二度にわたり、正親町帝から比叡山領の押領を訴えられているとのことです。綸旨まで出て、信長まで訴えは行ったとか。
文が引用されているので、史料的裏付けもあるようですが、まあ調べないと分かりません。

2,足利義昭の小石川療養所?

足利義昭が悲田処のような無料治療施設を作ったなどという話は聞いたことがありません。私の知識不足かも知れないので、調べてみます。ドラマ的には別にそうしても構わないと思います。ただ、足利義昭の現実逃避の場所になっているようで気になりました。リアルの政治に関わらず、施薬院を目指すということか。大して多くの人を救えるわけではない。「麒麟がくる世」に比べると、スケールが小さい。モデルは東山文化に逃避の場を求めた足利義政なのかなとか考えました。慈善は行為としては立派でも、もっと立派なことが将軍ならできるはずです。

とはいえ「全て設定」なので、これもまた「信長と義昭の距離が開いていく」または「光秀と義昭の距離が開いていく」ことへの伏線かも知れません。でもこのドラマ、「伏線かと思ったら、特に伏線でもなかった」なんてことが多いのです(笑)

下層民対策や撫民という考えは、江戸も四代の徳川家綱ごろからやっと始まるとされています。もちろん戦国大名だって多少のことはしたかも知れません。施薬院全宗がいましたね。義昭と繋がりがあるのか。調べないと私には分かりません。なお療養所である小石川療養所ができたのは徳川八代の吉宗からです。

3、帝のクローズアップ
一体十兵衛はどういう人物として設定されているのかと思います。教養人設定のはずなのに、帝のことを「あまり知らない」という風に描かれていました。イロハさんに言われて、初めて帝のことを考えたという風に描かれます。帝の問題については、道三とも話していたのですが。

光秀を「尊王の人」に仕立て上げ、譲位を迫る信長をうつ。うーん、嫌ですね、その展開は。私の見立てでは「そうはならない」のですが。おそらく光秀にとって正親町帝もまた「麒麟が呼べる人ではない」とされると予想しています。

さて正親町帝は信長の美濃攻略時にすぐ「信長と連絡」をとっています。その内容は「皇室領を保証して欲しい」というものです。誠仁親王のことも言及しています。

行事を行うためには金が入ります。天皇は食うに困るということはありませんでしたが、大きな行事を行うためにはあまりに困窮していました。この時代の帝のリアルな姿はこのようなものです。ただし奥野さんという学者さんによると収入は銭だけで年間7千5百万円。その他もあるので1億円ぐらい。ただし困窮する前はその10倍以上。昔に比べて困窮というだけです。築地塀が崩れているとか、あれは江戸期に流行った作り話です。朝廷式微論といって、すでに否定されています。

イロハさんが正親町帝に優しくしてもらって、美しいと感じていました。「太平記」の場合、足利尊氏は片岡孝夫さんの後醍醐帝を見た瞬間「最高に美しい」と感じます。あれは理由がよく分かりません。あれに比べればイロハさんの実感は経験に基づいていました。正親町帝はたぶん今53歳なので、イロハさんは45歳ぐらいでしょうか。

私は正親町帝についても一通りのことしか知りません。これも宿題です。大河は原則として天皇を描かないし、その方がいいと思いますけれども。

4,えっ浅井長政がその扱い?

長政が信長を裏切る理由、描かれるのか描かれないのか?私はその解釈がどうなるのかとワクワクしていたので、あの浅井長政の軽い扱いに、驚きました。

とりあえず以上です。文句ばっかり書いている。要求水準が高いというか、私の要求水準がおかしい、のかも知れません。

麒麟がくる・第二十八回・「新しき幕府」・感想・面白くなってきた

2020-10-25 | 麒麟がくる
「麒麟がくる」の演出が「良い加減」だということは、私は散々指摘してきました。「いい加減」ではなく「良い加減」です。前後の脈略とか結構大きく無視します。「光秀ともっと早うに会いたかった」、これは足利義輝の言葉です。12歳の時に初めて会って、10代でまた再会もしています。一体いつ会いたかったのでしょう。5歳か!

本当に「批判じゃない」のですよ。こういう所も楽しんでいるのです。
今回もそういう「楽しいつっこみ所」満載です。「今井宗久はどこに行った?この本圀寺の戦いで堺は三好三人衆と組み、2万貫の矢銭を課されるのに」
とか「あんなに京の火災を心配していたお駒ちゃん。結局戦になった。実はこの後も桂川の合戦というのがあるぞ。どうして十兵衛を責めない」とか。

それにしても本圀寺合戦、1秒でいいから義龍の子の龍興を出してほしかった。「寄せ手」の大将の一人です。
あと越前攻めの理由が「朝倉と三好が手を組んだから」、、、これは調べてみたいと思いました。

1、将軍足利義昭・上善は水のごとし

今までの大河の中でも際立って「へたれ」です。でも「へたれ」には強みもあります。

上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。

(最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もがみな厭(いや)だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。)

明らかにこの老子の言葉を意識したような人物になっています。そうすると今回「義昭が水を運んでいた」ことも意味があるのかも知れません。
「水は斬れない」のです。この義昭はなかなか「斬れない」と思います。信長も「織田殿」なんて呼ばれたのでは手が出しにくい。「一番強い義昭」という言い方もできるかも、と思いました。

2、摂津晴門

政所の執事はずっと「伊勢氏」だったのですが、義輝の時代に摂津に変わりました。伊勢氏に代えて起用したのだから、史実としては骨のある改革派だったのかも知れません(これから調べます)。ウィキペディアを読む限りでは、一貫して義昭に従っており、義栄を拒んでいます。息子は13歳で義輝と共に死んでいる。実像は気骨ある老人なのかも知れません。とにかくこれから勉強します。

摂津さんはドラマでは伏魔殿の妖怪です。妖怪代表は彼と、比叡山の天台座主、覚恕親王です。正親町帝の弟です。兄に対してはコンプレックスを持っている設定みたいです。この設定、池端さん、大好物です。
さて、摂津さん。鶴ちゃん。
歌舞伎みたいな言葉遣いでした。「信長に一泡ふかせてみしょーぞ」。もう明らかに「半沢直樹」の「歌舞伎系悪役」、猿之助さんなんかを意識した演出です。
そして光秀と信長はやがて「反撃」を始めるようです。「倍返し」ですね。

どうして義昭はそのまま摂津を任命したのか。それはドラマ上では分かりません。史実としては当然という感じがします。ドラマ上は、どうやら三淵や一色が賛成したと、細川藤孝の言葉からは「うかがえ」ます。三淵や一色も「伏魔殿の一員になっていく」のかも知れません。いずれにせよ、これまでの大河で義昭が担っていた「信長包囲網」作りは、摂津晴門が担うようです。幕府本体と将軍を分離する。これは新しい描き方でしょう。
義昭がどうかかわり、またどう「かかわらない」のかも見どころです。(あくまでドラマの話)

3、今井宗久はどこにいった

今井宗久は信長おかかえ商人として、時にブレーン(参謀)として、信長の「天下布武」(ドラマでは天下静謐・せいひつ)を助けていきます。大河「黄金の日々」では、丹波哲郎さんが演じて「ほぼ前半の主役」です。
しかしこの時の宗久はまだ堺を主導していたわけではなく、堺の会合衆の一人です。そして今回の「本圀寺合戦」では、堺は三好三人衆の味方、どころではない、三好と組むのです。なお三好とは三好三人衆。覚えにくい三人です。三好本家は、三好義継で、松永久秀とともに「信長陣営」にいます。
堺はこれで「矢銭2万貫」を課されます。一回目は乗り切った?「黄金の日々」はこの場面の少しだけ前からスタートします。2万貫は計算にもよりますが、20億から24億でしょうか。もっととんでもない計算もあります。そして、この件から堺は信長を恐れ、今井宗久の地位は格段に上がっていくのです。その辺りの話はスルーでしょうが、ここから今井の活動にも目が離せなくなっていきます。

4、松永さんのお茶

つくも茄子を献上したのは有名です。大河「信長KING OF ZIPANGU」では、そのあと「つくも茄子も知らないのか。田舎大名め!」と毒舌を吐きます。今回は「なーんだ、十兵衛も知らないのか、わはははは」と豪快です。
松永さんの「見直し」が始まっていて「このままではいい人になってキャラ崩壊」しないかと心配です。松永新説はよく知りませんが、読んで判断したいと思います。
もっとも松永さんが大活躍するようになったのは「信長協奏曲」からで「最近の出来事」です。

松永をどうして許したのか。信長の思惑、義昭の考え。幕臣の考え、、、探っていくときっと面白いことに満ちています。今までは大河で活躍しないので、私は考えたことがないのです。あくまで「大河を楽しむ」ために史実を調べているのです。ちなみに史実では松永さんはこの時、すでに「たくさんのお土産」を持って、岐阜まで行って信長に会っています。信長は本圀寺を聞いて、松永さんを連れて京にきたのです。動きが早い。まさに梟雄です。

筒井順慶と戦うようです。「セリフありの筒井順慶」は大河初だと思います。「敵か味方か」と「おなじみのフレーズ」で紹介されていました。古いから新しいのでしょうね。松本人志さんも書いています。「敵か味方か、カウボーイ」。昔のドラマ予告ではこの「敵か味方か」が繰り返し使われたのです。敵かな?味方かな?史実も面白いのです。

5、信長は不信心者なのか。

なんかいつの間にか信長が「いつもの信長」のようになっています。さらに摂津への怒りなど見ると、いつもより格段に感情的です。まあ「子供みたい」な点では一貫しています。「自分を認めないものに怒り狂う」点でも一貫しています。そう考えると「いつもの信長ではない」か。ないですね。

さて「石仏」の件。
いかにも信長が不信心という演出でした。ただ、石仏を石垣にするのは「転用石」という専門用語があるほどで、一般に行われていました。松永もやってますし、十兵衛の福知山城なんかには沢山の「転用石」(主に墓石?)があるようです。ただし二条城の石仏の転用は異常だという都市考古学の学者さんの説を見ました。十兵衛の城では石仏は極少で、松永さんの城では「ない」そうです。全部墓石か石塔?すると二条城は異常となります。

私は「石垣と宗教に弱い」ので、あまり「ウンチクめいた」ことは書けません。ただバチは怖くなかったのでしょうね。石仏を運んでいた男も別にバチなど恐れていない様子でした。それはドラマの話としても「この上に実際に住んでいた」のです。多くの人が。
「かえって魔除けになるのでいいのだ」という説明も当時からなされていたようです。あっ、するとバチはやっぱり怖かったのか。宗教と風俗は難しくて「こうだ」とはなかなか断定的には書けません。

土田御前が「仏のバチが当たると言った。バチを待ったが何も起きなかった」、、また「母親の育て方が悪かった」みたいな感じですが、土田御前は当然のことを言ったまででしょう。ただし「バチが当たればいい」と「何の愛情もない言い方」をしたことは十分に予想できます。ともかく「バチが当たるのを待った信長が異常」なのです。ただし「バチが当たって土田御前が優しくしてくれることを待った。が、何も起きなかった。何も」となるなら、、、ちょっと悲し過ぎます。

バチ問題はともかくとして、信長の表情はまたいつもの「サイコパス」になってました。今までの大河では、というより、一般的な理解では「信長は合理主義者だから、敵対してない寺社には寛容だったが、敵対する寺社にはバチなど恐れずに攻撃した」とされます。「合理主義者ではなくサイコパス的だから」というのが「新しいと言えば新しい」点です。単に変なだけとも思いますが(笑)

寺社、特に比叡山や本願寺は、寺社というより戦国大名に近い武装集団でした。「バチも武器」なのでしょう。「バチなど恐れる余裕はなかった」というのが真相かも知れません。寺社と戦うなら、そんなもの恐れていたら命がないのです。石仏の件は「信長は意外と信心深かった」という説にも、一石を投げかけそうです。しかも紀行で「実際に使われた石仏」が紹介されました。「どうだ」という感じです。ただし反論はできます。私にだってできるのだから学者さんなら簡単です。私は織田信長の特殊性を示していると思いますが、、、。人並みに神仏を大事にすることもあったが、敵になると、つまり本願寺や比叡山や高野山には、厳しかった。特に一向宗には相当厳しかった、でいいような気がします。

「バチが当たるかどうか自らの体で人体実験をした」となると、さらにそれに併せて「池の水を抜いて化け物を確かめようとした」という描写もあったことを考えると、脚本家と時代考証家はふんわりと「合理主義者として」描きたいのかも知れません。ただ露骨にそれをやると「新しい信長じゃない」と言われる。だから「ふんわりと遠回しに、信長の合理的側面を描いている」、そんな解釈もできそうです。

さて義昭二条城の建築現場ですね。信長も先頭に立って建築に加わりました。「祭り」のようなもんだったと思います。「大石を運んでその上に乗った」(大石は描かれるようです)とか「女性にちょっかいを出した織田兵を見つけて即座に首を自ら斬った」(織田軍の軍律の厳しさを物語る逸話、フロイス)とか、エピソード満載の「建築現場」です。

6、十兵衛と鉄砲
私は、この本圀寺の合戦で「十兵衛が初めて鉄砲を実践で使用する」と思っていたのです。なにしろ前はずっと背に鉄砲を背負って歩いていた。分解もできる。産地だって当てられる。次は連射の工夫です。例えば3人が十兵衛について、3丁の鉄砲を装填する。すると実質3段撃ちのようなことになります。そんなことを十兵衛が工夫するのではないか、と思っていました。
ところが十兵衛は蔵に籠もって、義昭と昔話です。あれっと思いました。十兵衛が一番活躍したわけではありませんが、それでも信長公記に名前が残っている。それなりの軍事的活躍をしたと思われます。しかし十兵衛は鉄砲を持たない。結局今に至るまで、十兵衛は一回も鉄砲を実践で使用したことがありません。ちょっと不思議な演出でした。

さて石仏。史実としては転用石程度に十兵衛が驚くわけはないのですが(墓石はよくあっても石仏はないから驚く?)、ドラマとしては驚き不安を感じていたようです。あれ、十兵衛も「いつもの光秀」なのか?考えてみると思考回路は「ずっと、古いものを大切にするいつもの光秀だったのか?」まあこれからの展開が見ものというところでしょう。ますます面白くなってきました。

大河「麒麟がくる」における「織田信長像」・史実と虚像・「大河新時代」とは。

2020-10-23 | 麒麟がくる
麒麟がくるにおける「ここまでの織田信長」を考えると、「史実とのかねあい」で言うなら28年前の「信長KING OF ZIPANGU」より「むしろ後退した」と言えます。そもそも美濃攻めも描きませんでしたし、ほとんど何も描いてはいません。三好や松永、足利義輝といった「畿内の情勢」に時間をとるので、信長を描いている時間はないとも言えそうです。

NHKは最新研究に基づき「保守的側面も」描くと言っていました。「も」です。「保守的側面を」ではないのです。どこが保守的なのか。1、旧権威に対する言葉遣いは丁寧である。頭ごなしに将軍を否定することも、天皇を否定することもない。2、親父から多くのことを学んだ。3、初めから天下を取ろうとなんてしていない。ぐらいでしょうか。親父から学ぶことは別に保守的側面ではないと思いますが、去年の段階からNHKは「父から学ぶなど保守的側面」という言い方をしていました。

あくまで「も」描くなんですね。だからここにきて信長は改革者としての一面を強く印象づける人間になっています。上洛については十兵衛が主導した感じになっていますが、その割には藤吉郎を送り込むなど、十兵衛の知らないところで着々と手を打っている感じです。

信長が「保守的」とか「定説は違っていた」とか「普通の武将だった」とか言われる場合、以下のようなことがよく指摘されます。それは「ドラマ上は」どうなっているでしょうか。

・初めから天下を狙ってなどいない。→これは狙っていない。前半では天下という言葉すら登場しない。「大きな国」である。今は「大きな世」に変わっている。
・旧守護をそれなりに尊重する→わからない。結局守護斯波の息子はどうなったのか?
・政治的システム的には室町幕府のシステムを超えるものではなかった。→わからない。描かれていない。
・室町幕府の存続を考えていた。→今はそうかも。ただし今までの大河でもそうだった。
・特に土地制度については先進的とは言い難い→描かれない。
・反抗しない限り、宗教も保護した。→わからない。まだ描かれていない。熱田神宮はそんなに信奉していない。「熱田に行って、神にでも拝むのか」というセリフがあった。
・朝廷を尊重した。または利用した。天皇を超えようなんて考えはなかった。→正親町帝とは「そりが合わなく」なるらしい。
・楽市楽座も不徹底であり、座を保護することも多かった。→わからない。ただし織田家は金持ちである。津島を押さえているためらしい。
・宗教心を持っていたのではないか。→石仏を「ぺんぺん」していた。あまり持っている感じはしない。
・常識的な人間だった→承認欲求が強すぎて、情緒不安定で、常識的な普通の人間という感じはしない。

つまり「新説の信長」(私は新説に懐疑的ですが)はほとんど描かれていないのです。ただし「天下という用語を避けた」のは新説への配慮でありましょう。そこは「大きな変更」なので、新しく見えることは確かです。

一方で信長は「それでも信長だ」「やっぱり普通の武将とか常識的人間は言い過ぎでしょ」「改革者の側面の方が強い」と言われる場合、以下のことが指摘されます。「ドラマ上」はどうでしょうか。

・臨機応変な思考、合理的判断→あまり鋭い感じはしない。が後編になってやけに「戦略的」になって鋭くなり「いつもの信長」に近くなっている。池に潜ったのは合理性の表現か?
・居城の敵地接近移転→描かれない。小牧山城は出てこなかったと思う。細かくみると出てきているのかも知れない。
・新兵器の活用→「鉄砲の話」がどっかに行ってしまった。十兵衛も信長も話題にしなくなった。長槍の話も全くない。ただし今井宗久が出たので「鉄砲復活」であろう。
・軍事組織のスケールの大きさ→わからない。描かれない。
・強い配下武将支配・重臣の合議制ではない意志決定→決定権は信長にあるようである。配下武将を怒鳴り飛ばしたり蹴飛ばしたりすることはない。実力主義はとっているようでもある。柴田と佐久間ぐらいしか重臣が出ない。幕臣の摂津晴門は散々怒鳴られて復讐を誓っていた。
・関所の廃止、ある程度成功→強くは描かれない。光秀が関所を疑問に思うシーンは1話にあったし、菊丸と関所を通りぬけるシーンもあった。
・伝統権威でも逆らえばつぶす方向で「慎重に」行動する、比叡山→そうなるらしい。
・室町幕府の存続を本心で望んでいたかは不明だが、結局は交渉決裂。義昭の子を将軍としてたてることはなかった。→どう描かれるか分からない。
・官位をもらうこともあるが、すぐ辞任してしまう。執着はない。官位を辞して後、死ぬまで官職はなかった。→官位への執着はなさそうで、義輝と対面した時、官位を断ったらしい。ドラマ上は官位が描かれる。しかし義昭は最初は「尾張守」と呼んでいたが、今は「織田殿」と呼んでいる。官位で呼ぶということもなさそうである。
・ある程度の検地→検地は描かれない。
・兵農分離もそこそこ成功・専業武士団の創設→描かれない。前田と佐々が出てきた場面、あれは専業武士団なのか?十兵衛は田を耕してはいた。
・反抗する宗教勢力・自治都市などには容赦なかった。ただし自治都市はさほど反抗しなかった。→描かれない、比叡山は描かれるが、本願寺は分からない。というより堺への信長の「攻撃」などは「なかったこと」にされるようである。
・座の保護も含めた、商業政策の重視→商業政策は重視しているらしい。ただし「座」は全く描かれない。

ほとんど「描かれない」わけです。これは「信長が主人公ではないから当然」でもありますが、堺の件のように「あえて嘘を描く=フィクションにする」ことも多いような気がします。

で、今のところの私の結論なんですが「大河新時代というのは、どうやら史実にこだわらず、フィクション性を高める。あと画像を美しくする。」ということみたいだ、となります。後半を見ないと断定はできませんが、「フィクション性を高める。エンタメ度を高める。その為に時代考証より文化風俗考証に力を入れる。新鮮味を演出する」というのが「大河新時代の中身」になっていく気がします。もっとも風俗考証がどこまで正確かは私の力量では分かりません。「青天を衝け」でも「鎌倉殿の13人」でも絵を美しくするため文化風俗は詳しく描かれる「予感」がします。ただ「青天を衝け」は「近代」なので戦国ものよりは史実にこだわるだろうし、近代はこだわってもらわないと困ります。私は大河はフィクションでいいと思いますが、近代は別です。だから「近代は扱わないほうがいいかも」とも思っています。

ノストラダムスと「と学会」と「麒麟がくる」

2020-10-21 | 麒麟がくる
思い出話から初めて、最後少しだけ真面目なことを書くつもりです。

「と学会」というは、世の中の「とんでもない本」を楽しみながら、いかに「トンデモ」かを分析していく方々の集団です。前はよく本を読みましたが、今はあまり出版されていないようです。

小学生の頃は、「超常現象」が好きでした。怪談とか超能力とか。大人になってから、そういう「思い出」を思い出すのに「と学会」の本は最適でした。
日本で唯一の「TV番組の予言が本当に当たった」とされるのが、ジェラルド・クロワゼットの予言です。1976年みたいです。予言通り、少女の遺体が湖から見つかりました。しかし警察はもう湖のその場所以外のすべてを捜索しており、遺体があるとしたらその場所であり、すぐにでも捜査をする予定でした。TV局のフタッフなら当然知っている情報です。まあ「そんな裏話」が「と学会」の本を読むと、色々明らかになるわけです。

ノストラダムス、16世紀のフランスの預言者です。世界で一番有名?なのかな。神秘主義に傾倒したナチスなどもその予言を自らを有利にするために利用しました。「日本に輸入」されたのは1973年みたいです。「冷戦と核戦争の恐怖」の時代です。五島勉さんというライターが書いた「小説みたいなもん」なんですが、リアルに受け止められ、大ブームとなりました。その後五島さんは今年2020年になくなるまで、結構な数の「ノストラダムス本」を書いています。1999年の7月に世界が破滅するという予言で有名です。

1999年の7の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
マルスはその前後、幸福に支配する

「暗記で書いている」ので、まあこんな感じです。私が読んだのは発行から数年後です。まだ小学生でした。5年ぐらい。兄が古本で持っていたのです。なかなかにリアリティーのある叙述で、何より16世紀フランスが舞台ですから「小説的な面白さ」がありました。それに世界は今と同じか、今以上に物騒でした。いつ滅んでもおかしくない気がしていた時代です。小学生の頃は半分ぐらい信じていたと思います。

もっとも「信じても」、私の生活は何も変わりません。小学生ですから忙しいのです。それに遠く遠くの出来事でした。まだ20年ぐらいあったのです。

その後もノストラダムスは「おもしろおかしく」取り上げられることが多かったのですが、私は高校生ぐらいになっていて、もうあまり神秘主義に興味はありませんでした。「まだやってるよ、五島勉」ぐらいに思っていました。それでも超能力ものの映画とか好きでしたが、あくまでフィクションとして楽しんでいただけです。

事態が変わったのは1994年からのオウム真理教事件です。麻原は「ノストラダムスの予言」を「勧誘」に利用しました。フランス人に「自分のことが予言されていないか」を聞き、そっけなく追い返されたりもしています。こうしたことからノストラダムスを「面白おかしく取り上げる」ことをマスコミはほぼやめました。

だから30歳以下の人の中には「名前も知らない」人もいるかも知れません。

神秘主義というものは、楽しんだり、それで癒やされてたりしているうちは、個人的な行為としては全く無害だと思います。信仰も神秘主義の一つだとすれば、それ自体を否定することはできません。ただしそれが宗教の勧誘に「脅しという形」で利用されたり、霊感商法に使われると話が違ってきます。また社会全体が一種の神話、神秘主義に支配されることはより危険な事態をもたらすでしょう。

「子供のうちに慣れていたほうがいい」と私は自分の経験から思っています。インチキおやじに騙されればいいのです。そうすると高校ぐらいになって、もう神秘主義に「支配されたり」することはなくなります。自ら信仰を選ぶことは問題ないし、それもできるのかも知れませんが、私は信仰がないので分かりません。とにかく「インチキおやじ」が小学生を騙さない無菌社会は、あまり良くない(笑)

オウムを見たとき、若くて勉強がよくできる「子」たちが、どうしてころっと悪い方の神秘主義にハマったのかと思いました。「子供の頃、さんざん騙されなかったのかな」と。耐性というものがないのです。

で、あれっと思ったのです。

「王が仁ある政治を行うときに必ず現れるという聖獣、麒麟」

これも一種の神秘主義です。私が小学生なら、けっこうハマるかも知れません。で、ハマってどうなるかというと、まあ別に害はないかなとも思います。救世主めいた為政者が出てきて、彼、彼女が「王」となり、全体主義的な社会になってしまう。あまり想像はできません。それでも「大河はフィクションであり、フィクションとして楽しむもの」ということは教えておいた方がいいのか。

矛盾しています。「子供は騙されたほうがいい」と書きました。「麒麟や聖獣がいる」と感じ、やがて「騙された」と思った方がいいのかも知れません。以上です。

麒麟がくる・第二十七回・「宗久の約束」・感想・大河はフィクション

2020-10-17 | 麒麟がくる
やっと明智光秀の「史実時代」に入ったと思ったのに、まああんまり史実には縛られていないようです。信長は実際はもちろん武装解除して入京なんてしていません。まだ三好三人衆の掃討は終わっていないわけで、武装解除するわけがない。ただし厳しい軍律があった為、織田軍が乱暴狼藉なく入京したのことは確かなようです。武器を持たないから平和なのではなく、軍律が厳しいから平和なのです。女性をからかった織田兵の首を信長自身が一瞬ではねたというエピソードが載っている史料もあります。フロイス日本史です。日本語訳をそのまま写すと。

(義昭御所の)建築を見物しようと望む者は、男も女もすべて草履を脱ぐこともなく、彼(信長)の前を通る自由を与えられた。ところが建築作業を行っていた間に、一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、そのかぶり物を少し上げたことがあった時、信長はたまたまそれを目撃し、ただちに一同の面前で、手ずからそこで彼の首を刎ねた。

となります。「木曽義仲軍の乱暴」などは信長も知っていたでしょう。乱暴と略奪には気をつかったと思います。全くなかったとは思いませんが。何にでも想定外はある。

まあ「武装解除」ではなく「ただ兜と鎧はつかなかっただけ」なら「可能性として絶対ない」わけではありません。個人的には「絶対ない」と思いますが、、、。

さて義昭は剣も嫌いなようです。足利義昭が剣が嫌いか好きかは分かりませんが、信長公記によれば入京の後、信長は「義昭から剣」を「拝領」しています。義昭というのは武断的な面があり、中立を守らず、それが調停役としての将軍像とあまりに違い、それで失敗した人です。義輝はなんとか中立的でいようとした人ですが、義昭にはそういうバランス感覚はなかったようです。

堺の今井宗久との関係もあんなものではなく、信長は堺に「2万貫の矢銭と服属を要求」し、堺を武力で屈服させています。多くの会合衆が信長と対立する中で、パイプ役を買ってでたのが今井宗久であり、また津田宗及です。「京を焼かないなら信長に味方する」とか、そんな甘い関係ではありません。

でも、それはいいのです。大河はフィクションなので嘘はいいのです。昭和史の嘘は困りますが、戦国時代の話です。考えるべきは「どうしてそんな嘘をついた」のか。

①足利義昭と光秀ラインを「平和と民のための政治」を願う側にし、信長を「武断政治」の側にするのか。図式的に言えば「天下静謐ごっこ」と武断主義の対立。でもそうすると、あとあと困ったことになる。光秀は義昭をあーしてこーするわけなので。
②今井宗久=商人の力を大きくみせる。というより単に今井宗久を大きくみせたい、のかも知れません。Twitterなどでは、お茶の所作が美しいという感想が多いかな。もしかすると人物のイメージより、そういう一つ一つの「画面の美しさ」を優先させているのかもしれません。
③庶民目線で戦国を描くというが、駒とか伊呂波太夫とか今井宗久は庶民なのか?大物の知り合いがたくさんいる「特別な人間」のような気がするが。

まあ、突き詰めて考えるほどのことではありませんが。

今井宗久はいわば「信長にのめり込んだ」人で、秀吉時代になるとあまりぱっとしません。この今井宗久は、今井宗久というより、むしろ「最後のほうのルソン助左衛門」です。この作品、折々に大河「黄金の日々」の影がちらつきます。松永久秀のツボの話などもそうです。(と、こう書いた後に「黄金の日々」を少し見返しました。今井宗久はほとんど主役で丹波哲郎さんです。この今井宗久の部分は筆が滑りました。間違いです。)

でもまあ、やっと光秀もぱっとしてきた感じです。40歳です。信長は35手前です。「麒麟がくる」はドラマだからフィクションで、どうせ史実などに縛られていないのだから、もっと早くから光秀を大活躍させてもいいものを。もったいなかったなと思います。

あとは雑感です。今までも雑感ですけど。

上洛の折の六角攻め。「信長KING OF ZIPANGU」では30分くらい使って丁寧に描かれましたが、今回はやっぱりスルーです。未だに六角さんが登場するのは「信長KING OF ZIPANGU」と「黄金の日々」だけだと思います。

帰蝶はどこに行ったのか。川口春奈さんは「極主夫道」というドラマで主演級みたいです。そっちに行っているのでしょう。ただ別に「亡くなった」という史料もないので、どこかで復活するのだと思います。

それに加えて菊丸はどこにいったのか。家康自身は参加していないが、徳川兵も織田軍に参加しているから、菊丸が登場してもいいわけだが。

秀吉は「三か月で一夜城を作った」ことになっていた。「敵の大将に会いに行った」とあるが、西美濃三人衆なのか竹中半兵衛なのか。

駒は今井宗久とも親密である。なぜ信長とだけは会わないのか。それにしても駒は光秀や秀吉とコンビだと、輝いてみえるな。