歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

雑談・武士はいかにして発生したか。開発領主・職能・ハイブリッド。

2021-04-16 | 天皇制
武士がどうやって発生したかについての「定説」はありません。有力な説として「開発領主説」「京都職能説」「ハイブリッド説」があります。

武士の発生は10世紀です。そのころ律令制が崩れて、というより、地方では最初から崩れていて、公地公民は有名無実となり、「私領を持つ領主」が存在しました。律令制度においても「墾田永年私財法」以降、公認で私領を持つことができました。

このような「開発領主」が武装して武士になったというのは「古い説」ですが、古いから否定されたわけではなく、十分有効性を持った説明のようです。ただ問題は「開発領主」とはどんな人たちなのかということです。主に「古くからの地方の豪族」「富豪百姓」という風に山川の教科書には書かれています。正確には「豪族と有力農民」と書かれています。「有力農民」の出自が気になりますが、それは書かれていません。

そういう「武士みたいな人たちがいた地方の土壌」に「京都から王臣家(天皇や藤原氏)の子孫がやってくる。また国司として役人がやってくる」、そういう「貴族階級」が地元の「開発領主」の娘と結婚して土着する。すると生まれた子供は「貴族の看板を持ち、開発領主の地盤を持つ」ことなります。これが武士だというのが「開発領主説」で、あり「ハイブリッド説」も同じです。

「そもそも武士みたいな人たちがいた」けれど、看板がなかったということです。武士だと朝廷が認めるのは少なくとも六位程度の人達で、「貴種」の看板がないと武士とは認定してもらえないそうです。ハイブリッド説はそこにこだわって、貴族の血がどうしても必要だったとします。

それに対して「京都職能説」は、「もともと武士みたいな貴族」は京都にいて「武芸を職としていた」。そういう武芸貴族が地方に下って、開発領主たちと結びつき、武士が生まれた。あんまり違いがないような気がしますが、おそらく「私のまとめ」が拙いせいでしょう。「開発領主説」「ハイブリッド説」では「地方に下る」のは「武士みたいな人」じゃなくてもいいとなるのだと思います。

職能説の場合、多少疑問が生じます。京都から「武士みたいな人」が下って、地元民を組織化して武士にした。つまり上からの武士化であったとなるようです。しかし「武士みたいな人」がいない状態から「武士を作り出す」ことが可能なのか。特に異常に鍛錬を必要とする「弓の技術」はどうやってつけるのか。もともと「武士みたいな人がいた土壌」を想定したほうが(開発領主説、ハイブリッド説)、分かりやすい気がします。

どっちにしろ「地方に下る」というワードは共通です。京都で武士が生まれて京都で育ったということはどっちの説も採用しません。当然です。藤原秀郷も平将門も「地方の人」であることは歴然としているからです。だったら「武士は地方で生まれた」としてもいいと思いますが、そう簡単にはいかないのが歴史学みたいです。ここまでの文章を読み直してみると「開発領主説」と「ハイブリッド説」の違いを私はちゃんと理解してないようです。

ハイブリッド説はさらに「武士の精神文化」はどうやって生まれたのだろうかにこだわります。平将門は「武士のほこり」みたいなことを口にします。江戸武士とは全く違ったものですが、「ほこり」があるわけです。そういう精神文化は、地方に下った「武官輩出氏族」がもたらしたとします。坂上田村麻呂などの子孫です。京で律令国家の「武官」を代々出してきた家です。

武士は地方で私領を持った農民から生まれた、とする場合、間違っているのは「農民」の部分のようです。「私領を持った地方有力者」から生まれ、彼らは「地方に下った貴族」と結びつき、武士団を形成した、ならさほど間違った説明にならないと思います。

武士の内実というか本体部分は地方で生まれたようです。彼らは領主階級で「弓と馬」を習う時間がありました。しかし武芸だけでは「単に武装した人々」になります。そこに貴族がやってきて婚姻を通じて結合し「血筋」と「精神文化」と「物質的武士文化=武具など」を加えた。そうして武士と認められる人々が誕生した。私の理解では「こんな感じ」になるのだと思います。最終的には朝廷が武士を制度の中にとりこんで、武士が完成します。「土地の寄進」の問題がありますが、どう考えても自分は理解していないので、触れませんでした。国衙発生説にも触れませんでした。

桃崎有一郎さん「京都を壊した天皇、護った武士」の感想文

2021-04-13 | 天皇制
「京都学」の本です。もう少し書くと、京都学、歴史学、天皇制学の本です。京都とは何か。日本とは何か。天皇とは何か。天皇制とは何か。日本文化とは何か、の本です。筆者は高千穂大学の教授です。歴史探偵にも出演なさっていました。他の本を読むと分かりますが、もの凄い博識で、中世の礼制と法制の専門家です。

「非常に読みやすい文体で、言いたい放題、目次が細かく目次を見れば内容が予想できる読みやすさ優先の本」なので、筆者の「本当の意図」が見えてこない場合もあるかも知れません。でも私が一番気になったのは、筆者の「動機」です。それは前書きとあとがきにきちんと書かれています。

「封筒を開くと憂鬱になる健康診断書が、根っこでは健康長寿を願う愛情に基づいているように、私も京都愛をそのような形で表明することにした」

これを言い換えるとこうなります。私が考えた言い換えです。
「天皇の行為についての憂鬱な史実の報告が、根っこでは天皇制、日本、日本文化への愛情に基づくと考え、京都愛(日本愛、歴史への愛、日本文化への愛)をこのような形で表現することにした」

そう考えるなら、筆者の異常ともいうべき「後醍醐帝への毒舌」が、どうして語られたかを理解できます。なお「武士が護った」というのは「忘れてくれるな」という「限定的な意味」だが、誤解を恐れず「主張してみた」としています。「わざと主張した」という意味です。これが分からないと筆者の術中にはまります。

「屈折しているなー」が感想です。筆者が「屈折させて」と書いているので、これは批判にはならないと思います。「なるほどね」と思いました。「あの有名な後醍醐帝、後鳥羽上皇は、京都を破壊する行為をしていたんだよ。知ってる?知らないでしょ。知らないなら天皇制や京都や日本文化をもっとまじめに考えようよ。」ということです。

戦国本にも京都愛、天皇制愛に満ち溢れたものはあります。しかしあまりに愛しているために、叙述が詳細になり、ひたすら細かいだけの叙述になってしまうこともしばしばです。そういう本は「こんなに儀式をしていたのだよ」と主張します。しかし大方の歴史学者の反応は冷淡で「凄いよね。でも戦国だよ。量より実効性でしょ。お祈りをして何になるの?武力から京都を守れるの?」で終わりです。私自身、そういう本を読み進めることはできず、さっとななめ読みして終わり、あとは歴史学者の「書評」を見るというのがいつものやり方です。

そういう本と比較すると「屈折した愛情に基づくこの本」は、確かに読ませる本になっています。京都に多少の興味がわいてくることも確かです。ただ私の場合は東京育ちで、京都愛は希薄なため、筆者が語る京都の変遷部分は、どうしても「さっと読み」になってしまいました。そして後醍醐、後鳥羽への「毒舌部分」、三種の神器への「毒舌部分=偽物だ」、明治維新への「毒舌部分」だけが耳に残ります。「毒舌が正確な歴史の叙述、評価になっているか」は、確かめてみたいと思います。確かめるとは他の歴史本と照らし合わせるということです。

京都を考えよう、日本文化を考えようとこの本は言外に主張しています。「日本文化」は面白そうです。ただ京都については、東京なので勘弁というところだし、京都を「そこまで詳しく考えなくても」日本史を考えることは可能だと思います。とにかく筆者が京都愛に満ち溢れて、そのあまりに毒舌になっていることは理解しました。頭がいい人は過剰な部分をみんな持っているようです。上から目線で不快でしょうが、桃崎さんの本は、他の本も含め、この二日ずっと読み込んでいたのです。やっと意図が分かりました。それに免じて許してください。

織田信長と正親町天皇と「麒麟がくる」と。

2020-10-29 | 天皇制
東大准教授の金子拓さんが、2014年に出版した「織田信長、天下人の実像」という本があります。

この本の主張は実に明快でして「織田信長は天下静謐を大義としていた。全て天下静謐という言葉で説明することが可能である。ただし四国政策で、その大義に変更があった」というものです。(あくまで2014年にそうお書きになっているということです。)

天下静謐についての詳細な内容は本を読んでもらうしかありません。それはもともと室町幕府も目標としたもので、畿内が平穏であり、その畿内に天皇と将軍がいて、地方の大名が畿内を中心に、ゆるく連携しながら平和を保っている状態、、、とここでは書いておきます。金子さんが見たら「違うよ」と言われるでしょう。きっと。

一見すると天皇を頂点とする秩序に、補佐役として将軍がいて、さらに周辺に大名たちがいる、、と理解されそうですが、違います。というか「ちょっと違い」ます。金子説によれば、信長の考えでは「天皇すらも天下静謐という大義のもとにいる」とされます。この主張の是非は別にして、今の天皇を考えると理解はしやすい主張です。天皇はあくまで「公的存在」であって公正無私な「公」が天皇個人に優先します。「公」を期待され、もし「私利私欲の行動」を取れば、天皇すら批判されます。現実には、そうした行動は「とれない」ので「私的行動だ」と天皇皇后が批判されることはありません。皇族はどうでしょうか?「過剰な批判にさらされる」ことがあり、ああかわいそうだな、と個人的には思います。そしてその批判は必ずしも「私」に対するものとは言えない。宗教に対する、歴史的経緯を知らぬ誤った思い込みと不寛容からも起きているようです。

「麒麟がくる」に引き寄せて書くなら「お天道様」太陽=公が一番偉いのです。次が天皇と将軍、ということになります。

なぜ金子さんはことさらに「天皇すら天下静謐の大義のもとにある」と主張しなければならなかったのでしょうか。それは「信長が天皇の恣意的な判断を批判したとおぼしき史料」が厳然として残っているからです。それを示して自説を批判する人を「前もって制止している」わけです。

それは例えば「興福寺別当職の座をめぐる相論(争い)」に関するものです。ここは「引用」します。

「自分の提案が無視されたことに怒った信長は、(朝廷の)奉行職の所領を取り上げ、彼らを謹慎処分にして、天皇の失策を強く批判する。ことの重大さに気がついた天皇は、深く反省し、信長に対して奉行職の赦免を乞い、詫びを入れるという前代未聞の事態に立ち至った」

金子さんほど史料批判をマジメにする方もいませんので、もちろん元になった史料があり、その史料を批判的に検討してから述べています。

その前提としてあるのが「すでに戦国時代において、朝廷の政治判断能力は目に見えて低下しており、天皇や関白・公家衆など複数の判断主体が併存し、それぞれ自分の利益にかなった方向にみちびこうとして統制がとれていなかった。しかも彼らはこのあり方がおかしいものだと感じていなかった」という認識です。

天皇・関白・公家衆は「各自がバラバラに判断すること」や「利益誘導」を「おかしいものだと感じていなかった」わけですから、なおるわけはないのです。それに疑問を持ったのが三条西実枝だと続きますが、私は「朝廷統制がとれていなかったという認識」を紹介したいだけなので、金子さんの引用はここまでです。
なお別にこの説は「信長と朝廷が対立していた」と言っているわけでも「信長は天皇の上にいた」と言っているわけでもありません。むしろ逆です。信長と朝廷の親和性に注目しています。ただ信長の行動原理は「天下静謐」という大義であり、それに反する行為は相手が天皇でも許さなかったというだけです。

実は私は金子さんの「天下静謐の信長」には疑義を持っています。例えば金子さんは明智光秀が惟任日向守であること(彼の名前は惟任光秀です)を軽く見ます。軽くみる根拠も「信長は変な名前が好きだったから」「動機を書いた一次史料がないから」と脆弱です。動機など説明するわけありません。これが今まで言われてきたように九州制覇を前提とした名だとすると「天下統一など目指していなかった」という金子さんの主張が崩れます。それは実はどうでもいい細かい問題に過ぎませんが、その他疑義は「いっぱい」あります。ただ最近は「わざとやってるのじゃないか」と思っており、それらしき発言(私の主張で信長を塗りつぶしては駄目だ。研究は永遠に終わらない)もあり、氏の本をなるべく沢山読んで「いや違うだろ」とか突っ込み入れながら「いい勉強させて」もらっています。私は特定の学者を信奉したりすることはありません。別に私の「先生」ではありませんし、カリスマ化は真実を曇らせます。でも金子さんのマジメな姿勢は尊敬すべきとも思っています。だからと言って氏の説に同意するわけではない。でも御本は拝読します。上記の本も四回以上読んで、やっとある程度理解できました。さらに言えば朝廷の実態など、こういう「個々の事実認定」は説への疑義とは全く別の次元の話です。それは大変丁寧に行っており、信頼に足るものだと私は考えます。偉そうに書いてますが、史料読みなんて私にはほぼできません。活字になっていれば多少できます。私がやっている作業はただ「論理的整合性の検証」だけです。論理的にみて「正しいか否か」を考えているのです。

蛇足でさらに加えれば、SNSで多くの人が高い評価をしている「先生」でも、読んでみると特定の立場からバイアスを持って歴史を論じており、それが理由で、私にとっては一文の価値もないと感じることがあります。逆に多くの人が束になって馬鹿にしているような「先生」の本に、多くの示唆を与えられることもあります。どっちにせよ私の「先生」ではありませんが。

話もどして、この「朝廷統制がとれていなかった」という認識は、金子さんとは史観を異にする堀新さんも同じです。堀新さんの提言も凄いと思います。虚像と実像を共に追求する、まさに我が意を得たりです。第一線の日本史学者が「自分と同じことを考えていた」と知り、はしゃぎそうになりました。しかしだからと言って氏の「公武結合王権」説に同意するわけではありません。まあ、本当は「もしかすると正しい」とは思っていますが(笑)。まだ分かりません。もっと御本を読まないと分かりません。

天皇の問題は、どの学者も強いバイアスを持って論じることが多く、基本どの学者のいうことも信じてはいけないと思います。同じ史料から「全く反対の解釈がでる」こともしばしばです。ただ「バイアスに自覚的な学者さん」が何人かいて、その代表が堀新さんだと思いますが、金子さんもおそらく自覚的です。バイアス=偏見を避けることは誰にもできません。しかしそれに対して自覚的か否かによって、説の質は全く違ってきます。自覚的であるほど、質のよい説になっていると私は考えています。なお私自身も人間だから、当然のこととしてバイアスを持っています。

そんなこんなで、この「朝廷統制がとれていなかった」という認識は正しいと思って大丈夫だろう、と考えています。これは大変に参考となる事実認定です。

「麒麟がくる」に正親町帝が主要な出演者として出たのをきっかけに、久々に天皇について考えています。もう20年ぶりぐらいで、頭が回転しませんが、まあそれはいつものことです。この文章は別にさほどの意味はないのです。「勉強してます」という報告に過ぎません。