歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・なんとなく本能寺の変・原因設定

2020-05-31 | 麒麟がくる
麒麟がくる・この十兵衛が本能寺の変を起こす原因についてはある意味最初から明示されています。。
①武士のほこりのため
②麒麟をよぶため
のどっちか、または両方です。で、なんとなく考えてみます。

①頭を信長にぶたれた
子供みたいな理由ですが、十兵衛は「母にも頭を殴られたことはなく、お尻をぶたれた」人間です。私も高校生以降、人に頭を殴られたことはない。相当頭にくると思います。武士のほこりを守る理由としては十分なんですが、視聴者は「はあ」となるし、なにより今までも描かれており、新鮮味がありません。

②母親が人質になって殺された これは採用されるわけがない。嘘ですから。採用したらSNSは批判の嵐です。

③室町幕府をつぶした 十兵衛も加担してますし、義昭さんの追放から時間がたちすぎています。それに義昭さん、毛利の領地で元気ですし。

④天皇家をつぶそうとした  正親町天皇も出ていませんし、そんなデリケートな問題に踏み込むわけありません。武士のほこりとあまり関係ないし。

⑤明智家をつぶそうとした  私憤になってしまいます。たしかに明智から惟任に苗字は変えさせたけど、作品ではずっと明智だろうし。

⑥明智家をつぶそうとしたパート2
佐久間や林を追放したものの、明智が織田家で大きくなりすぎたことを危惧。秀吉と信長本軍で挟み撃ちをして明智を根こそぎつぶそうとする。そんなことしている場合じゃない。そんな余裕は織田家にない。あまりに史実を無視しすぎだし。

⑦徳川家康謀殺を依頼された  無理がありすぎます。こんな陰謀論を採用したら、、、と思うけど「おんな城主」では採用されていたような記憶が。まあ絶対ないでしょう。家康はほとんど家臣化していたようです。大仰に計画たてて暗殺するほど信長にとって重要人物ではない。いつでも殺せます。殺しませんが。

⑧四国問題で面目をつぶされた   よっぽど四国と光秀の関係を丁寧に描かないと見ている側に分からない。面目をつぶされたなんてのは私憤に近いし。面目をつぶされるぐらい、これまでも何回かあったような気がします。

⑨信長非道阻止説       ありえるけど「非道」とはなにか。ほとんどの「非道」に光秀だって加担しています。

⑩信長では麒麟はよべないので、自分が呼ぼうとした    ありうるけど、十兵衛がよほど変化しない限り難しい。自分は死んでも秀吉か家康が、、だとそういう設定は前にもありました。

どうやれば「いいところに」落ち着くのか。「十兵衛の気持ちも十分わかるし、信長がああする気持ちも分かる」、つまり道三と高政の関係ですね。どうすればそういう所に持っていけるのか、いくら考えてもいい案が浮かびません。

麒麟がくる・室町幕府・室町将軍と信長の関係の描き方

2020-05-30 | 麒麟がくる
ツイッターではネタバレに気を付けてはいますが、ブログでは一切ネタバレを気にしないので、注意してください。


私のような大河ファンにとっては室町ってよく分からない時代です。室町将軍が描かれた作品は「太平記」と「花の乱」ぐらいです。義輝さんと義昭さんは除きます。どうも建て前としては本州の関東以西は「室町幕府のもの」で、そこに代官として守護がいるという感じらしい。江戸幕府などとは本質的に違うらしい。そこがよく分からないのです。
ただ戦国ともなると、そういう建て前はもうなくなっています。いや建て前はあるのかな。信長は将軍に代わって尾張を平定した。それを将軍に報告したということになるのかも知れません。もはや「建て前とも言い難いな」と思います。
だから戦国でも義輝さんの幕府も義昭さんの幕府も「機能していた」と言われても、何がどう機能していたのか。そもそも領地がないじゃんと思ってしまうのです。だから「麒麟がくる」の描き方ぐらいが「ちょうどいい」のかなと思います。実質は機能してない、でも向井さんはかっこいい。それで「室町幕府すごいぞ派」も「すごいわけないだろ派」も渋々納得ということになればと、、、。
利害の調整はしてたんでしょうね。義輝さんも帰京あと、実際は張り切るようですし。でもそれはAとBが「そろそろ和議かな」と思っている段階でしょう。それに名前の一字も与えていた。「義」まで与えています。以下ネタバレしますよ。


さて最後の将軍義輝さん。麒麟がくるでは、どうやら「托鉢僧」として登場するようです。弱い人々に寄り添う「いい人設定」ですね。たぶんあまり将軍位にこだわりもない。怖いとも思っている。それが三淵さんや細川さんにかつがれて将軍となっていくのでしょう。むろん十兵衛もかつぐでしょう。「俺でいいのか」的なキャラだと思います。

だから信長包囲網なんかも政所執事の摂津晴門なんかが企むのかも知れません。

そういう義昭さんというか「幕府のあり方」に信長は注文をつけていきます。
上洛直後の1569年1月 殿中御掟16箇条
1570年1月      殿中御掟追加5か条
1572年10月     十七条の意見書

殿中御掟追加5か条
諸国の大名に御内書を出す必要があるときは、必ず信長に報告して、信長の書状も添えて出すこと。
これまでに義昭が諸大名に出した命令は全て無効とし、改めて考えた上でその内容を定めること。
将軍家に対して忠節を尽くした者に恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地がないのだから、信長の領地の中から都合をつけるようにすること。
天下の政治は何事につけてもこの信長に任せられたのだから、(信長は)誰かに従うことなく、将軍の上意を得る必要もなく、信長自身の判断で成敗を加えるべきである。
天下が泰平になったからには、宮中に関わる儀式などを将軍に行って欲しいこと。

十七条の意見書
1、足利義輝様は宮中への参内を怠りがちでした。それゆえ、神の加護も無しにあのような不幸な最期を遂げられました。信長は日頃から義昭様に参内を怠りなく勤められるようにと申し上げておりましたのに、義昭様は近年怠りがちのようで信長は遺憾に思っております。
2、諸国の大名に催促して、馬を献上させていることは聞こえが良くないので、再考なさったほうが良いでしょう。必要がある時には、信長に申し付けてくださればそのために奔走すると約束なさったではありませんか。このように信長に対して内密に事を進めるのは宜しくないと思います。
3、義昭様は幕府の忠臣に対しては恩賞を与えず、身分の低い新参者に恩賞を与えておられます。このようなことでは忠誠心など不要となってしまいます。人聞こえも悪いでしょう。
4、最近、信長と義昭様の関係が悪化したと噂になっております。将軍家の家宝類をよそへお移しになった事は京の内外に知れ渡っております。これでは信長が苦労して建造して差し上げた邸宅も無駄になってしまいます。とても残念なことです。
5、賀茂神社の社領を没収して岩成友通にお与えになり、岩成に賀茂神社に対し経費の負担をするよう表向きは厳命なさり、裏では「それほど気にかけなくても良い」とお伝えになったそうですね。そもそも寺社領を召し上げるという行為は良いことではないと思っております。岩成がもし所領に困っているのであれば、私が都合のいいように取り計らったでしょうに。このように内密に行動されるのは良くないですね。
6、信長に対して友好的な者にはどんなに下位の身分のものであっても不当な扱いをなさるそうで、彼らは迷惑しているそうです。そのような扱いをするのには、どういった理由があるのですか。
7、何の落ち度も無いのに、全く恩賞を受けられない者達が信長に泣き言を言ってきます。私は以前にも彼らに対して恩賞をお与えになるように申し上げましたが、その内の一人にもお与えになっていないようですね。私の彼らに対する面目がありません。「彼ら」とは、観世国広(かんぜくにひろ)・古田可兵衛・上野豪為(うえのひでため)のことです。
8、若狭国・安賀庄の代官の不行跡について、粟屋孫八郎が告訴しましたが、私も賛同して義昭様に進言いたしましたのに、音沙汰の無いまま今日に至っております。
9、小泉が妻の家に預けてあった刀や、質に入れてあった脇差までも没収なされたようですね。彼が謀反を企てたりしたのなら別ですが、彼は喧嘩で死んだだけです。この措置は法規的に処理されておらず、人々は義昭様を欲深い将軍だと考えるでしょう。
10、「元亀」の元号は不吉なので改元したほうがいいと、民意を参考に義昭様に意見を申し上げました。宮中からも催促があったようですが、改元のためのほんの少しの費用も義昭様が出費なされないものですから今も滞ったままです。
11、烏丸光康を懲戒された件ですが、その息子・光宣に対する処置は妥当と感じるものの、信長は光康は赦免なさったほうが良いと申し上げたはずです。どなたか存じ上げませんが、密使を光康へ遣わして金銀を受け取って再び出仕を許されたそうです。嘆かわしいことです。今や公家は彼らのような者が普通なのですから、このような処置はよろしくないと思います。
12、諸国から金銀を集めているにも関わらず宮中や幕府のためにお役立てにならないのは何故でしょうか。
13、明智光秀が徴収した金銀をその地の代官に預けておいたところ、その土地は延暦寺領だと言って差し押さえになったようですね。そのような行いは不当です。
14、昨年の夏、兵糧庫の米を売って金銀に変えられたと聞きました。将軍が商売をなさるなど前代未聞、聞いた事がありません。兵糧庫に兵糧がある状態こそ、世間の聞こえも良いのです。義昭様のやり方には驚いてしまいました。
15、幕府に仕えている武将たちは戦など眼中に無く、もっぱら金銀を蓄えているようで、これは浪人になった場合への対策と思われます。義昭様もいざとなれば御所から逃げ出してしまうものと見受けられます。そのために金銀を蓄えていらっしゃるのでしょう。「上に立つものは自らの行動を慎む」という教えを守ることは義昭様にとっても簡単なことでしょう。
16、世間一般の人々は「将軍は欲深いから人がなんと言おうとも気にしない」と口々に言っております。ですから、しがない農民でさえ義昭様を「悪御所」と呼んでいるそうです。かつて足利義教様がそう呼ばれたように。何故下々の者達がこのように陰口を叩くのか、今こそよくお考えになったほうが良いと思います。
引用はWikipediaからのコピペです。

義昭さんが「托鉢僧で登場するいい人設定」というのはほぼ確実です。その「いい人」がこうなっていくとすると、「将軍はいい人だけど、幕府役人が腐っていた」とされるのでしょう。
しかし色々疑問は生じます。そもそも光秀は幕臣です。となると他人事ではないのです。どうやって義昭さんと手切れするのか。藤吉郎の暗躍なども考えられます。
信長には「ある程度室町幕府を尊重してくれないと」、学者さんなんかがうるさい。だから信長の「ワル」の面は藤吉郎と帰蝶が引き受けるのかなと思います。

麒麟がくる・本能寺をちょっとだけ考えてみる。

2020-05-29 | 麒麟がくる
何の情報もないのでネタバレしないとは思います。

史実として本能寺がどうして起きたかは分かりません。光秀の単独犯行で偶発的というのが優等生的解答だし、それでいいのかも知れません。光秀の気持ちなんて分かりません。気持ちを書いた手紙はあります。細川忠興と自分の息子のために起こしたという手紙です。信じる人はほぼいません。だから今後光秀の手紙が見つかっても、それが本心かは分かりません。

ドラマと史実にはディスタンスがあって当然です。ただ大河は今まで黒幕説や陰謀説はほぼ採用しませんでした。それは踏襲されるのか。

光秀は汚い政治ができない純粋な男です。ドラマの話ですよ。唯一のこだわりは「武士のほこり」です。ではどうすれば武士のほこりに基づいて本能寺が起きるのか。
史実は全く関係ないということはなく、矛盾を指摘されない程度には参照にされると思います。

結論から書くと、幕府を再興しようとした、となるかなーと。室町幕府のことではありません。

光秀のドラマ上での大仕事は信長の戦いに貢献したことではなく、幕府を再興しようとしたということのようです。足利将軍は素敵に描かれています。義輝さんとはからんでいるようで実は幕臣ではなく、幕臣扱いになるのは義昭さんからです。ところが1573年に追放されてしまう。

その追放された義昭さん(まだ将軍)を呼び返そうというのではない。新しい幕府でいいわけです。

武家の棟梁たる将軍が平らかに治める大きな国、です。

うーんでもそうなると織田幕府でもいいわけです。なぜ織田幕府じゃだめなのか。信長が将軍を超えて王になろうとしたとでもするのか。まだ分かりません。

麒麟がくる・外伝・「義昭と信長の上洛」を勝手に想像で書く

2020-05-28 | 麒麟がくる
内容は私の「趣味の文章」に過ぎないものです。従って「麒麟がくる」は「こうはなりません」。しかし少しは情報を得ているので「ネタバレの可能性」はあります。少なくとも「史実」はネタバレします。注意してください。

と間をあけて


前提、SNSで足利義昭さんの「画像」を見たのです。まるで「托鉢僧」でした。一乗院門跡にはとても見えなかった。「ああそうくるか」と思いました。きっと「いい人設定」です。考えてみると、光秀の「大仕事」は「足利幕府の再興」です。だから足利将軍を悪く描くわけないのです。最近の足利義輝さんは無気力ですが、それでも向井さんですから、無気力も素敵という感じになっています。義昭さんは権謀術数の人ではなく、基本善人として描きます。
1565年5月、永禄の変が起きます。義輝さんが亡くなります。名刀とっかえひっかえをやるのかな。

一乗院の門跡であった弟の義昭(覚慶)は日ごろから托鉢僧になって奈良を回り、人々の困窮を目にしていました。「何もできない将軍家なら、将軍家などなくなって、人々の為の政府ができたほうがいい」とか考えていました。そんな時兄の死を知ります。で松永久秀がやってきて、軟禁状態に置かれます。ところが松永さんは「逃げろ」というのです。寺の外に明智十兵衛という男ががいる。彼の手引きで逃げろと。
義昭「なぜ逃がしてくれるのだ。兄を殺したのはそなただろう」
松永「わたしではなく、三好三人衆や三好義継様、そして私の息子です。私は反対していたのです」
義昭「その明智とは何者じゃ」
松永「土岐源氏の明智です。正しい幕府ができれば世が平らかになると夢想している馬鹿な男です。あんなピュアな男は見たことがない」
義昭「汚い政治を好まぬ誇り高い武士か。それなら三淵や細川より信頼できるかも知れないな」
ということで、光秀と伊呂波大夫に助けられ、脱出します。そして甲賀の和田惟政の城へ。それから若狭へ、そして1556年9月に越前へ。もちろん三淵も細川藤孝も合流しています。一色藤長なんかもいます。

光秀はユースケ義景の許しを得て、越前に行く前から義昭さんの傍にいます。おそらく「理想の将軍像」を語り合うとは思います。
義昭「わしが将軍になれたとして、それには朝倉、六角、浅井、織田などの力が必要であろう。となれば将軍は実力ある大名の傀儡に過ぎないではないか」
光秀「わたしが知っているのは信長様だけです。人々が喜ぶことが嬉しいと語るお方で。戦が嫌いで。あっ、それと朝倉さんもいい人はいい人みたいですよ」
義昭「人々が喜ぶ顔が見たい。戦が嫌い。おお、わたしと同じではないか。朝倉はちょっと知っている。変な男だよな」

そして越前へ。光秀はユースケ義景を必死で説得します。「面倒だなー、この越前に御殿も建てるからそれでよくない?」とか言ってた義景も段々乗り気にはなってきます。でも重臣の朝倉景鏡とか、山崎吉家は慎重論です。義景は逆らうことはできません。力がないというより、逆らうのが面倒だからです。光秀も段々あきらめの境地になっていきます。

となれば織田家しかない、そう思った光秀は信長に会いにいきます。が、この上洛には乗り気ではありません。「義輝様を見たであろう。どんな将軍を立てたとて、京は魔界のような都市だ。治めることは難しいぞ」
光秀「京を治めるわけではありません。もっと大きな国を作るのです。道三様の遺言です」
信長「大きな国とはなんだ。天下=畿内か。」
光秀「もっと大きな国です」
信長「それなら日本全土になってしまうではないか。」
光秀「そうです。日本全土、それが天下です。天下を治めるのです」
信長「そんなことができるのか。できるならやってみたいものだ。凄いな光秀、それ自分で考えたの?」
光秀「だから道三殿の遺言って言ってるじゃないですか」

この時は暗黙の了解で、織田が天下をとるのではなく、天下の主は足利であり、織田が執権をつとめるという感じになっていくと思います。また足利を立て直せば、信長が嫌いな戦争をさほどしなくても大丈夫という感じにもなるかと思います。これが1567年のこと。

帰蝶は笑って二人の会話を聞いていますが「この真面目な二人にやらせていたら、織田はただ兵を使うだけでないか、天下をとるなら織田がとるべきだ。将軍などいらない」と考えています。そこでお気に入りの藤吉郎(結構出世している)を呼んで、いろいろ相談します。藤吉郎はワルというか「狡猾」(こうかつ)設定です。(ネットに書いてありました)
義昭を追い詰めていくと思います。

1567年、織田は美濃を平定します。稲葉一鉄(村田さん)などを調略した結果です。ただし簡単にとれたわけでなく、斎藤龍興と死闘の末です。龍興はその後も活躍すると思います。「まむしの孫」です。

それから上洛の下地を作っていきます。六角を説得したり、伊勢を調略したり、浅井長政にお市を嫁がせたり。六角の説得には結局失敗しますが。それから伊呂波大夫を利用して、近衛前久にも手を回すでしょう。伊呂波大夫と近衛前久は兄弟同然です。ただし近衛前久は義昭派では、史実上はありません。

この「上洛前の色々な工作」はかつてほとんど描かれたことがないので、多少時間を使うかも。

そして信長は義昭と対面します。「わしも戦が嫌いだし、人々の喜ぶ顔が好きじゃ」という「いい人」の義昭を信長は笑いながら「観察」します。
御殿を作ってはという三淵に対し、すぐ上洛できるから不要と言った信長は、言葉通り、美濃尾張、徳川、浅井の兵、4万程度とともに、六角を押しつぶして上洛します。

麒麟がくる・第二十一回「桶狭間(仮)」・あらすじを想像で書く

2020-05-28 | 麒麟がくる


題名も分からない麒麟がくる「第二十一回」中断直前話の「想像あらすじ」です。想像でもSNS情報とか知っているので「ネタバレ」があります。注意してください。
というかこれは「あらすじ」というより「桶狭間の戦い」の顛末です。




今川義元は家督争いで死んだ兄、玄広恵探の幻に悩まされています。しかし左文字の刀を振るい、幻を斬ります。
義元は沓掛城にいます。そこから大高城に入って、信長の清州城を攻める作戦です。先鋒隊は松平元信(家康)と朝比奈泰朝です。

家康は大高城に兵糧を運んだ後、引き返して丸根砦を攻めます。朝比奈は鷲津砦と攻めます。地図で言うと西です。

清州では信長と簗田政綱(やなだまさつな)が兵力の分析をしています。
梁田「義元は慎重な男ゆえ、駿河に兵を残しましょう。兵力はおそらく1万5千。尾張の各砦を攻めるのが9千。義元本隊は6千ほど」
信長「こちらも砦に人がいる。おれが率いていける兵はまずは2千5百か。元康は裏切らないだろうな。父親を殺したこと、やはり失敗だったな」

信長は圧倒的な兵力の差ではないと考えますが、まずは籠城と伝達し、あとは寝て本を読んでいます。
信長「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、か。なんだ下天のうちをって」
帰蝶「天上世界の一昼夜と比べるという意味です」
信長「どうしてそんなに長く言葉を補えるのだ。下天のうち、だけで天上世界の一昼夜なのか。うちってなんじゃ。どうも分からん」(私にも分かりません)

林秀貞ら重臣たちは「だめだこりゃ」という感じで城から帰ってしまいます。

☆地図でいうと南東のあたりに義元本隊がいます。信長は北の善照寺砦で集合して一気に攻めようと考えていますが、兵力差は倍なので、死ぬだろうなと漠然と思っています。

信長は先鋭兵を集めて善照寺砦に向かいます。旧来だと、一騎で飛び出します。その後を藤吉郎が汚い服で追います。しかし今回の藤吉郎は綺麗な服を着ているし、ここにはいないでしょう。途中で丸根砦がおちて「佐久間盛重」が死んだことを知ります。佐久間大学です。

信長は「大学は一足先に死んだか。みんなおれに命をくれい。人間一度死ねば、二度とは死なぬ」(かつての大河ならこういいますが、言わないでしょう)

☆この地図が正しいという確証はないと思います。しかし正しいとして、義元本隊の右手には味方が配置されていない。いないから信長は義元に近づけるわけです。

さて、家康は裏切りませんでしたが、菊丸の手の者は義元本隊の位置をつかみ、それを梁田に知らせます。信長は手持ちの2500で突入することを考えます。途中で大雨が降ります。視界が悪く、音も伝わらない。それで義元は信長の動きを見失います。

雨が晴れた時は、既に信長は桶狭間山の山麓にいました。ここで鉄砲を使わせたいところですが、そうすると鉄砲の音が義元の他の陣に伝わる恐れがある。で、例の長槍だけを用いて「山をかけあがって攻撃する」という不利な攻撃をします。それでも義元隊は驚き、混乱します。義元の周りは300となり、退却します。それを追いうちし、毛利新介が義元の首をとります。山をかけあがって攻撃って、本当に勝てるのかな。そもそも史実なのかな?

麒麟がくる・第二十回「家康への文」・あらすじ完全に想像編

2020-05-27 | 麒麟がくる
第二十回の「完全想像あらすじ」です。「こうはなりません」よ。じゃあ何でこんなことやっているかというと、武将について勉強するため、あと「単に自分が面白い」からです。内容は想像ですがネタバレはしますよ。



さて70万から100万石ぐらいの大大名である今川義元は夢をみていました。兄である玄広恵探(げんこうえたん)が言います。「戦をやめよ。家が滅びるぞ」、義元は言い返します「命を奪ったこと、申し訳なく思っておる、どうか成仏してほしい」。恵探はいいます。「恨みや呪いで言っているのではない。信長は危険な男ぞ」

義元は眼を覚まします。「いやな夢だ」。義元もまた兄弟との骨肉の争いの末に戦国大名となった男でした。

その日将軍義輝から手紙が届きます。「織田との争いをやめよ」。義元は言います。「将軍家とは手を切ったと何度も申し送っているのにな。今川は足利家の家臣にあらず。同族ぞ。上下はない」

義元は療治のために東庵を呼びます。「元信(家康、元康)の将棋の腕はどうじゃ」
東庵「いやお強うございますな」
義元「駿河に来た時は、時折鋭い眼光をみせたが、今は柔和でわしに逆らうこともない。しかし時々、何を考えておるのか。分からぬときがある」
東庵「それを言うなら太守、あなた様こそ。信秀様や道三様にもない恐ろしさを感じることがありますぞ。」
義元「わしが尾張の虎や美濃のまむしより、、、言うわ、東庵、ハハハ」

家康(元信)が義元からの指示書を見ています。どっかの林の中で木材の上に座って、何か食べています。そこに薬草取りにきたお駒がやってきます。
ここにいればお駒に会えると家康は分かっていました。
お駒「また戦ですか」
家康「お駒殿、また薬草とりか。太守の命令だ。三河に先鋒隊を務めよとある。今の三河の力では断るわけにもいくまい」(と簡単に軍事情報を話します)
お駒「命を粗末にしてはなりませんよ」(と言いつつ帰蝶のことも気になる)
家康「必ず生きて戻ってまいる」
お駒は丸薬を渡します。これがお駒の運命を大きく変えるようです。(NHKのHPより想像)

一方、光秀は帰蝶からの手紙を読んでいます。織田の危機を知らせてきます。そこに月に一回ぐらいやってくる菊丸がやってきます。光秀はどうしたものかとつぶやきます。菊丸は「松平竹千代さまも戦に出るのです。命を落とさねばいいが」と言います。光秀は「竹千代?」と考えます。そして帰蝶への手紙を菊丸に託します。

織田家では今川の兵力についての情報が錯そうしていました。4万とも2万とも伝わってきます。さすがの帰蝶も読めません。帰蝶は台所係の藤吉郎を呼びます。信長も同席しています。「そちは駿河におったな。駿河の力はいかほどぞ」(と無茶ぶりをします)
藤吉郎「今川様は100万石と言いますが、まあ80万石というところ。総兵力は1万数千。守備兵や砦を攻撃する兵は分散しますから、まあ本隊は六千と言うところでしょうな。」(なんで分かるのだ)
帰蝶「そちは他に何か知っておるか」
藤吉郎「今川様は名門ゆえ、輿の使用が許されています。義元様は乗馬が得意ですが、今川の威信を見せつけるため、輿を好まれるそうです」
信長「なるほど、輿な。この乱世いまさら使用許可もなにもあるまいに。あれは疲れるものぞ。わしなどは酔ってしまうわ。藤吉郎、ほかに言うことはあるか」(輿が疲れるかは分かりません)
藤吉郎「殿様、台所係ではこの先の出世は知れたもの。どうぞ殿さまの近くに置いていただきたく」
信長「といって藤吉は前田のように槍刀は扱えまい。しかし、どうやらそちは面白き男じゃ。帰蝶のそばにおれ。帰蝶の指示を仰げ」(帰蝶が藤吉郎のボスになります、根拠なし、予告編に出ないから藤吉郎はでないでしょうね)

信長は「手も足も出ない」ほどの兵力差ではないと考えるようになっていました。

ところで信長には信忠という3歳の男子がいました。吉乃が生んで滝川家で養育されています。自分の死を考えた信長は帰蝶にそれを告げますが、帰蝶は全く動じません。どうやら知っていたよう。それどころか吉乃は体が弱いので、親子とも清州に引き取ろうと言います。

帰蝶に光秀からの手紙が届きます。「松平竹千代」を調略はできないかというものでした。帰蝶は藤吉郎を伴って(とはならないと思いますが)、家康の叔父である水野さんと母であるお大さんに会いにいきます。尾張の味方をしてほしいという願いをお大は退けます。「兄(水野)は織田様に従います。竹千代には戦から手を引いてもらいたいのです。戦ってほしくはない」と。そして、お大はそのことを書いた手紙を菊丸に託します。

家康が子供の頃、今川を嫌ったのは「織田に母の実家がついたため、父が母を離縁し、母と引き離された」からでした。今川に直接の恨みがあるのではない。信長も、家康も、秀吉も母上大好きです。まあ分かります。

で、家康。史実としては大高城への兵糧補給係です。しかし戦闘もして丸根砦を攻撃しています。大高城で休息していたら義元の死を知って、自害しようとしますが思いとどまり、岡崎城に戻るようです。岡崎城に戻ったのは氏真の指示という人もいるようです。どのように「新しい家康」を描くか、それは分からないのであまり深く考えずに書いてみます。

家康のもとに参上した菊丸は自分が水野の間者であることを告げ、「今川を倒して欲しい」と言います。家康は17歳でしたが、冷静で読書家です。古典に照らして「裏切り」は長い目でみると家の信頼を損ねると考えます。そもそも信長には父を殺されており(史実じゃない)、恨みこそあれ、恩はありません。義元の本隊が5千ぐらいであろうこと、信長も3千ぐらいあるであろうこと、そうなると結構いい勝負だとも思います。家康は迷いに迷いますが、様子見しかない。丸根砦をおとしたら大高城で休息しようと思います。菊丸には何も告げません。

信長には3000ほどの兵がいます。敵の本陣は6000と読んでいます。そこで1000を奇襲部隊、2000を正面攻撃部隊とします。このあたり、私は合戦をしたことがないので、現実的な策なのかどうか分かりません。

信長の鉄砲隊も活躍させたいところですが、当日は豪雨なので、難しいですね。でもまあ決戦時に雨が晴れ、鉄砲の使用が可能になったとできるかも知れません。しかしそれは20回の「家康への文」ではなく、21回で描かれるでしょう。

少し先走って書いてしまいます。義元が討たれたことが家康に伝わります。大高城の家康は病気を発し、体が弱っていました。その時、お駒との約束「必ず生きて戻ってまいる」を思い出します。瀬名はスルーします。で「お駒の丸薬」を飲むと、次の日には体調が回復します。そこに今川氏真から「岡崎城を守れ」という指示がきます(新解釈、嘘か本当か)

それを幸にして岡崎に入った家康は、織田にもつかず、今川にもつかず、武装中立を考えます。二つの国の緩衝地帯になれば平和が守れると考えるのです。

その頃、ユースケ義景は蹴鞠に興じて「アリ」とか「オウ」とかやっています。光秀は「おれは何をやってるんだろう」と焦ります。
ほとんど全て私の想像であって、こうはなりません。
次回21回「桶狭間(仮)」に続く。

麒麟がくる・第二十回「家康への文」・あらすじを予想して勝手に書く①

2020-05-27 | 麒麟がくる
ただ「遊びとして」勝手に予想して書いているだけです。ただし予告編は見ているし、SNS情報もあるのでネタバレはあります。ネタバレ回避の方は見ないでください。



ナレーションでは前回、道三の死から二年とありましたが、信長上洛は1559年なので三年じゃないかと思います。桶狭間は1560年です。斎藤義龍の死は1561年です。

①尾張に帰った信長、将軍家については「まああんなもんだろな」と思うと同時に「幕府を強くしないと合戦はなくならない」とも考えています。

②一方越前の光秀、今川が尾張に攻め込むことは既に信長に聞いて光秀は知っていました。で、光秀なりに回避策を考えるのです。で帰蝶に文を書きます。今川の先発隊である松平竹千代と連絡をとれという手紙です。

③帰蝶は、直接家康に会うことはできないので、家康の叔父の水野さんと母のお大さんに会いに行きます。竹千代を味方にするためです。

④一方お駒、東庵、菊丸は駿河にいます。今川領です。お駒と家康は仲良しになっています。で予告編にあるように、木材の上に座って会話とかしています。「帰ってきますよ」とか親しそうです。お駒は薬とか渡すのでしょう。

⑤家康、この時は元康でもなくて元信だそうです。お母さんからの手紙を菊丸から受け取ります。そこには今川を倒して欲しいと書いてありました。

⑥十兵衛は焦っています。おれ何やってんだろと思っています。ユースケ義景は「アリ」「ヤウ」「オウ」とか叫びながら蹴鞠をしています。

⑦信長はやることもなくて、腹が減ったので台所に行くと、妙に背が高い変な男がいて。

考察
①について 義輝には失望したらしい信長ですが、まだ天下とかちっとも考えていないので、強い将軍を望んでいます。
②について 美濃にいた時は大志らしいものをあまり持っていなかった光秀ですが、浪人して大志を持ち始めるのでしょう。
③について ずっと帰蝶の支えというか、プロデュースは続くのでしょう
④について 駒と家康が麒麟を呼ぶというのが私の説です、あえて誰だと言われれば阿茶局に相当する人、菊丸は天海になるというのが私の説です 根拠ありません
⑤について 家康、特に織田家に恩はないわけで、自発的に裏切る必要はありません
⑥について ユースケ、どっかで凄みが出てくると思うのですが
⑦について これはないと思います。変な男とは藤吉郎です。藤吉郎は信長に見出されるのではなくて、ボスは帰蝶だと思います。

麒麟がくる・こういう人物が出るらしい・配役を勝手に予想

2020-05-26 | 麒麟がくる
私の余計な解説にネタバレが含まれます。


      1568年時の年齢
織田信長     34   
明智光秀     39 

役者さんはすべて予想
   
織田信忠/高杉真宙11   奇妙丸も大人になると奇妙な顔ではなくなる。武田攻め、前に出すぎ。死んだらどうする。   

吉乃/江口のりこ 40   少し変わった人設定。帰蝶とは違うタイプ。

たま/永野芽郁5     ガラシャさん。よく考えるとなんか活躍したわけではない。

酒井忠次/光石研 41   信長のお気に入りか。例の事件は信長のせいじゃない設定だろうな。史上最狂の光秀を演じていた。

斎藤龍興/永山絢斗20   神出鬼没で光秀の前にたちはだかる。高政の子。 

和田惟政/近藤芳正38   名前はよく聞くのだが早死になんだよな。

一色藤長/温水洋一不明  権威をかさにきるタイプ?

松永久通/要潤 25     親父じゃなくてこいつが悪という設定か

三好長逸/ 國村隼不明   三好の長老? 三好三人衆

三好宗渭/荒川良々不明  三好三人衆

岩成友通/安田顕不明   三好三人衆

三好義継/志尊淳19    最期はほこりを守ります。
 
朝倉景鏡/嶋田久作43   ユースケに代わって軍事を執る。最後は、、。

村井貞勝/松尾諭40代   とっても優秀な役人肌?

お市の方/黒島結菜21   長政さんの妻

浅井長政/松下洸平23   最初に信長の危険性に気が付いた人

今井宗久/生瀬勝久48   堺の大商人

丹羽長秀/鈴木浩介33   丹羽氏は幕末まで存続する


麒麟がくる・今後の題名と内容・好き勝手に予想

2020-05-25 | 麒麟がくる
全部想像です。勝手に考えているだけです。史実が「ネタバレ」しますよ。



                                              
22回「我が名をあげよ」1565年   将軍義輝さんが                             
23回「稲葉山城を攻略せよ」1567年 そのまんま美濃攻略です               
24回「京都の戦慄」1568年     光秀が本圀寺で頑張ります
25回「脱出・金ケ崎」1570年    光秀と藤吉郎がしんがりをします
26回「姉川の死闘」1570年     姉川の戦いです 引き分け説か?
27回「比叡山の涙」1571年     あんまり焼きません 担当光秀です
28回「甲斐から来た男」1572年   信玄がやってくるけど、、、
29回「将軍は誰のために」1573年  義昭さんを
30回「小谷より愛をこめて」1573年 浅井長政さんが頑張ります 義景さんが「アリ?」となります
31回「武田を倒せ」1575年     長篠の戦い
32回「安土へ還れ」1576年     安土城築城をはじめます
33回「顕如恐るべし」1576年    本願寺怖いなー
34回「孫一の挑戦状」1577年    鉄砲隊鉄砲の本格的な闘い
35回「信貴山の轟音」1577年    松永さんが
36回「光秀のほまれ」1579年    丹波がおちます
37回「巨城おちる」1580年     本願寺と講和します
38回「京都御馬揃え」1581年    担当光秀です
39回「勝頼の栄光」1582年     武田が
40回「四国侵攻計画」1582年    光秀は反対?
41回「麒麟は何処に」1582年    光秀は苦悩します
42回「本能寺」1582年       そのままです
43回「史上最大の合戦」1582年   山崎の戦いです
44回「麒麟は死なず」1615年    光秀を師匠と仰いでいた家康君と家康くんの主治医である「駒」が麒麟をよびます。想像です。


麒麟がくる・桶狭間の戦いを「がっつり奇襲説」で描いてみる

2020-05-24 | 麒麟がくる
桶狭間の戦い、奇襲説は俗説として退けられたかと思ったら、やはり(というのは歴史学はゆりかえしの連続なので)、奇襲もありえるという説もあるようです。
なら「慣れ親しんだ旧説」でがっつり描いてみます。軽いノリバージョンです。史実をちょっとだけ基にしたフィクション。

沓掛城をおとした今川義元は、尾張に全面攻撃をしかけてくるようです。上洛戦なのか、尾張侵攻なのか、むろん信長には分かりせんが、どっちにしろ「死んじゃうかも」となります。
今度の義元は強そうだし、お白粉もお歯黒もしてないし。

1560年というきりがいい年の5月、徳川家康(松平元康または元信)が先発隊としてやってくるということです。家康は調略していますが、どう動くか分かりません。

今川義元は2万という大軍です。信長は守備兵も必要なので、戦闘兵は2000です。尾張の兵はもっといますが、義元についたり、風見鶏を決め込んだりしています。

「あーあ、もう逃げようかな。籠城かな。やっぱ籠城だよね、帰蝶」と聞くと、帰蝶は首を横に振ります。「援軍も来ないのに籠城したって、結局は死にますよ。いくら義元が二万でも、兵列が延びれば、義元の周りは5000.その5000を横から奇襲するのです。大将首などは無視して、目指すは義元の首ひとつ」

「そんなにうまく行くかな」と思って見ると、帰蝶の後ろにやたらと背の高い男がいます。誰じゃと聞くと、帰蝶お気に入りの藤吉郎だそうです。「このものは使えます」と帰蝶は推薦します。信長は背が高いやつ苦手、帰蝶の下にいればいいと藤吉郎に言います。万事帰蝶の指示で動けと。

信長は決心もつかず、城で横になっています。重臣たちも呆れて帰ってしまいます。前田、佐々、毛利新介(今井翼)などは残ります。

帰蝶は「人間はいつか死ぬものです。滅せぬもののあるべきか」と言って、敦盛「人間五十年」を舞います。前田は「帰蝶様が舞うのかよ!」と思っています。ところが帰蝶の舞を見ているうちになんだか元気がでてきた信長は「馬をひけー」と城を打ってでます。前田、佐々、イケメン勝家らが追いかけます。

その頃藤吉郎は「なんかやって」います。とにかく義元軍を「ながーく延ばす」ためになんかやっています。お酒とか差し入れする時もあります。

信長は2000の兵です。そこに菊丸がやってきます。桶狭間山に義元がいると伝えます。桶狭間山は「谷底にある丘」のような場所です。元康は一応まだ義元側で戦うとのことです。手は抜くと伝えてきます。なぜ無理に桶狭間山を谷底にしたいかというと、逆落としで奇襲したいという演出上の理由です。

信長は桶狭間に向かいます。途中嵐になって、信長隊の馬音を雨がかき消します。ところがどこに義元の本陣があるのかがわかりません。藤吉郎と一緒に工作をしていた梁田という武士が、義元の本陣の情報をつかんできます。

信長は逆落としでの奇襲攻撃を命じます。馬鹿殿設定ではないので用心はしていた義元でしたが、毛利新介に討ち取られます。でも見事に戦って見事に散ります。

義元のあとは氏真が継ぎます。なんやかんやで徳川家康を頼って生き延び、子供は旗本になっています。幕末には今川家から若年寄がでたはずです。