歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・第三十三回・「比叡山に棲む魔物」・感想

2020-11-22 | 麒麟がくる
比叡山の焼き討ち

織田信長は無神論者ではなかったという人がいます。無神論者などと言っているのは一部の人だけで、それを「否定しても」、あまり意味はありません。比叡山の焼き討ち、長島一向一揆の徹底的な殲滅、高野山との抗争。明らかに中世的な意識からは離れて見えます。これが「信長個人の資質に由来」するのか、「時代の価値意識の表れ」なのか、「戦という現実がもたらす必然なのか」、まあ私はそんなことを考えています。

覚恕さんが随分悪者にされ、また得意のブラザーコンプレックスの塊として描かれています。実際は何度も参内するなど正親町帝との関係は良好です。「室町・戦国天皇列伝」

描き方としてはいつも通りですね。浅井朝倉をかばったから、幕府と組んで信長を圧迫したから焼き討ちした。正親町帝が描かれたのは新鮮ですが、実際は「浅井朝倉の方から講和を申し出た」とする人が増えているような気がします。そういう説からみれば旧説になります。朝廷が仲介したのは確かですが、ドラマのように「実際に講和させる実態権力があった」とすると、御所の屋根が壊れているわけはありません。仲介をしようと思った。振り上げたこぶしを下ろしたい。そこで朝廷を両者が利用した、というのが実態に近いでしょう。

光秀が「積極的に参加した」というはもはや定説に近い。しかし「女子供は逃がす」という設定にしました。これは「主人公なので」そうなるのか。私としては「積極的に参加せざるえない光秀」を描いてほしかったので、工夫が足りないように感じました。摂津に対しては「信長の戦いは続くのだ」と随分傲慢に語っていましたが、「女子供を殺すとはこんなはずじゃなかった」となるなら、十兵衛は相変わらず「先が読めない男」ということになるでしょう。

十兵衛は比叡山に対し敵意をむき出しにしています。美濃に帰るという信長を止めるほどです。にもかかわらず「こんなはずじゃなかった」となるなら、「天然すぎる」ことになります。

信長にしてからが、どうして女子供まで虐殺するに至ったかの描写がありません。たとえば高邁な理想があるとも描かれない。そうなるとただの「虐殺者」になります。覚恕や正親町を描くことで満足して、信長の行動原理を描かない。だから十兵衛も信長も「その時々の感情で行動している」ように見えてしまうのです。

麒麟がくる・第三十二回・「反撃の二百挺」・感想

2020-11-16 | 麒麟がくる
ドラマ上の「現在」は、姉川の戦いですから、元亀1年・1570年です。

重要な登場人物である筒井順慶はまだ旺盛に松永久秀と戦っている時です。順慶が信長につくのは、翌年の1971年です。まあその前年から「信長に通じていた」としても「完全な嘘」ではないでしょうが、どうも信用できない設定です。

でも違和感を一番感じるのは「そこ」ではありません。今井宗久の動きです。

そもそも信長はなぜ無理して上洛したのか。一番の実利としては「堺をおさえる=鉄砲の確保」のためだと思われます。姉川の年には松井夕閑を奉行にして直轄化を進めています。ドラマ上は「堺で商人でもしたい」とか言っていましたが、やはり鉄砲でしょう。鉄砲そのものの調達もありますが、なにより「なまり」が外国産で国内では調達できなかったのです。

信長がここまで無理をした上洛した、どの大名も上洛なんて考えもしなかったのに上洛した、その理由として一番合点がいくのが堺の制圧です。別に御所の壁を直したかったわけでもないし、まして幕府を再興したかったわけでもないでしょう。

今までの大河は「そこ」に着目して描かれてきました。特に「黄金の日々」では、はっきりと「それが信長の狙いだった」と描かれます。

そういうリアルな視点から見ると「麒麟がくる」の今井宗久の動きは実に変ですし、ファンタジー感を大きく感じます。「麒麟がくる」、前半は斎藤道三を主人公にすえて、原作であろう「国盗り物語」に「比較的忠実に」描いていました。しかし後半は意識的に「国盗り物語」から離れています。その途端にファンタジー感が増大し、多くの視聴者から「現実離れしすぎた」という批判を浴びています。司馬さんの本を原作にしながら、「新しさを出そう」として原作から大きく離れる。とたんに変な作品になっていく。よくある事態です。映画「関ヶ原」なども、原作を修正して変な設定にしたりするから大失敗に終わっています。「麒麟がくる」の場合、中途半端に「新信長像」を描こうとしたり、「旧権威に敬意を払う作品にしようと」したりするから、わけがわからなくなるのです。

信長は「自信満々に石仏を背負って僧兵を追い払う」、しかし十兵衛に対して「比叡山はなぜ戦いに参加するのだ」と弱音を吐く。人に二面性を描いているわけでもなさそうです。比叡山が戦う意図を分からないなら、なぜ自信満々に僧兵を追うのか、つじつまが合いません。

一体信長をどう描きたいのか。新説と従来の安定した説の「奇妙な混合物」になってしまっていると思います。「大河新時代」がいけなかったような気がします。「今まで違うように描こう」という意図が先行し、大切な「どう描くか」が「なおざり」になっていると思います。

1年前、私は「新説の信長を描いてもエンタメ作品とはならない、つまらなくなるだけだ」と書いた覚えがあるのですが、今のところその予言とおりになってしまっているように感じます。





麒麟がくる・第三十一回・「逃げよ信長」・感想

2020-11-08 | 麒麟がくる
家康と十兵衛が再会し、家康はなぜか昔の十兵衛(農民姿)の正体に気がついていました。菊丸から聞いたのか。菊丸はどこに行ったのか。家康と十兵衛が同じ価値観を持っていることが判明した回です。

1、松永久秀がいるのは定番ではない。

このシーンは繰り返し繰り返し描かれていますから、ほぼフォーマットは出来上がっています。

①金ヶ崎城を奪う
②そこで浅井長政の離反を知る
③「誰か」が「両面攻撃、越前になだれ込み、朝倉義景を葬り、返す刀で浅井を殲滅」と主張
④信長がそれを退け「逃げる」と宣言
⑤藤吉郎がしんがりを申し出る

「逃げる」と決めた軍議に十兵衛がいることはありません。徳川家康もいません。松永久秀もいません。十兵衛たちは前線に、松永は後ろの守り、朽木谷あたりにいることになっています。もっとも松永久秀がどこにいるか描かれたことは大河ではありません。大河的には松永久秀はまだ「新人」なのです。

例外として「徳川家康がいる」ことはありました。大河「徳川家康」です。そこで両面攻撃を主張するのは「信長」です。すると家康が「これは織田殿とも思えぬご短慮。ここで命を捨てては、天下太平という我々の目標が遠くなります」と「しんがり」を買ってでます。これは家康が主人公だからで、それ以外の大河では家康はいません。

誰が「両面攻撃」を主張するのか。柴田とか信長の家臣です。それを退け「逃げる」と宣言することで「信長スゲー」と思わせる演出がとられてきました。今回は予告編段階で「信長が両面攻撃を主張する。十兵衛が止める。つまりかつて家康が止めたシーンと同じだが、家康の代わりに十兵衛が止める」と分かっていました。

その後信長が「うー」とか「ぐー」とか悩みます。これはたぶん「冬彦さん」だと思います。「冬彦さん」というキャラがいるのです。この信長はほぼ「あれ」です。冬彦さんもマザコンの塊です。もっともあれは「怒っているシーン」らしいのです。わたしは冬彦さんだと思いました。

ちなみに大河「信長」はエンタメ度が少ないので、さほど劇的なシーンはなく、しずしずと撤退します。再現フィルムみたいに地味な作風なのに、「神格化」を描いたために「見ていない人」から、大きく誤解されている作品です。実に地味なんです。

とはいえ、このシーンはもともと信長の見せ場です。「逃げる」の速さが勝負です。勝ってるのに逃げる。そこで周囲が驚く。信長スゲーとなるシーン。個人的にはそっちが見たかったと思います。

2,いくさのシーンで現れる人間性・藤吉郎

「麒麟がくる」はいくさのシーンが少ないのですね。コロナのせいもあると思います。私も、他の戦国ドラマファンも別に「戦争が好き」なわけはないのです。ただいくさのシーンになると、ギリギリの人間性が描かれることが多く、だから面白いのです。

藤吉郎がしんがりを申し出る。普通は信長に対してです。そして通常、柴田権六がこの時ばかりは「トウキチ、生きて戻れ」とか言います。

今回は十兵衛が「しんがりの総司令官」でしたので(なんと柴田にまで命令していた)、藤吉郎は十兵衛にしんがりを申し出ます。むろん史実ではありません。史実としては十兵衛は「しんがりには、いなかった」という人もいます。史料的には一色藤長の伝聞史料で十兵衛がいたことになっているだけだからです。まあともかく十兵衛が総司令で、藤吉郎が十兵衛に許可を得る。むろんこんなことは史上初です。こう書いていて気になったのですが、十兵衛は幕臣であって、織田家家来ではありません。史実は両属ですが、設定はそうです。十兵衛が総司令というのはその点からも変なのですが「勢いでそうなっていて」、特に変だとは感じませんでした。あと徳川実紀では家康も「しんがりだった」とされますが、今回は採用されなかったようです。

「ここが藤吉郎の運命の分かれ目であった」という点では、過去の大河は共通していて、その点は「麒麟がくる」も変わりませんでした。実にオーソドックスな「ほぼ定番通りの」越前撤退です。ただ藤吉郎が十兵衛に申し出るという点だけが違いました。藤吉郎の「しんがり」が嘘とされるという設定でもありました。本来は信長が認めるか否かだけなのですが、信長が「ふて寝」しているので、十兵衛が秀吉の武功を認めるという設定でした。ここも実は、ここで初めて「信長が藤吉郎の真の姿に気がつく」という鉄板のシーンなので、十兵衛と信長に向かって「しんがり」の許しを迫ってほしかったとは思います。

蛇足ですが、藤吉郎の告白。前段は妹の芋を食って、自分がみじめに思えたこと。後段が「飛べない虫」で終わりたくない。死んでも名を残せればいいこと。「つながっているようで、つながっていない」気がします。自分は死にゆく妹の芋を食ってしまったどうしようもない人間だ、だから名誉が欲しい、というのは少し変です。「だから」の部分がつながりません。
藤吉郎の「凄み」としてよく指摘されるのは「死んでもともと」という気迫で、「どうせ信長様に拾ってもらった命、どうせ炉端で死ぬ運命だった。いつ死んでもいい」という感じになることが多いのですね。この「拾ってもらった命だから、いつでも捨てられる」という「凄み」をもう少し描いてもいい気がしました。

3、浅井長政はなぜ裏切ったのか

説明的なセリフが多かったわですが、
どうも朝倉と内通しているらしいこと
内通しているのはオヤジの方とも言えるが、長政も同意していること
「弟を殺した信長だ、まして義理の弟を攻めても当然だ」という風に描きたかったこと

は分かりました。「弟を殺したから、義理の弟など」という描き方がされたのは初めてだと思います。これ以外は全く「定番通り」と言っていいと思います。今までは「お市が必要以上に活躍しすぎ」な面もありましたが、今回のお市さんは地味な感じです。

4、変貌する将軍義昭

信長や信長の価値観、義昭や義昭の価値観、それがまったく「等価」なものとして描かれたら面白いと思っていました。今の所そこそこ等価です。信長がありがたがる御所に対しても、義昭は「御所の修理も大切だろうが、貧困対策の方が先だろう」と言います。この足利将軍家の天皇への冷静な姿勢は史実通りです。ほとんど参内することもありません。なお、御所の塀が崩れていたというのは江戸時代に流行したデフォルメです。

殿中掟条らしきものについて摂津が言及していました。掟条そのもの(形式的には光秀宛)の解釈はいつも通りみたいです。今流行している「室町幕府を縛ろうとしたものではない」という解釈ではありませんでした。幕府は「相手にしない」という魂胆のようです。義昭も同じで、印は押したが従わないと、徐々に戦闘的になっています。でもどうして?数話前は信長の手を握っていた。どこで決定的な亀裂ができたのか、それは描かれていません。手を握りあう前は、信長は石仏をぺんぺん叩いていた、あのシーンです。そっからどう変化したのかが全く描かれてないような気がします。

義昭と信長は、今のところ等価なんですが、来週の予告編あたりを見ると、信長に対抗しようとするようです。そうなってくると「今までの義昭」になってしまい、私は別にいいのですが、新鮮さは減少するかも知れません。

来週はどこまで飛ぶのでしょう。鉄砲200丁が活躍するようです。普通は「姉川」ですが、いくさのシーンには見えませんでした。もとの「宮廷劇」に戻るのかも知れません。「いくさ」がないと、韓国史劇と同じように、どうしても権力者同士の「宮廷劇」になってしまうような気がします。

永遠の謎・ウルトラセブン・悪魔くん・我が聖なる要求に応えよ

2020-11-02 | 神秘主義
母がよく話してます。5歳の時、私に「千歳飴」をもたせようとしたそうです。当時は多少金があったようで、和服まで着せたそうです。写真に残っています。ところが私は頑として持とうとしません。「男がアメなんか持って歩けるか」と言ったそうです。少し覚えています。とにかく恥ずかしかったのです。私は今でも童顔ですが、子供だから「童顔が童顔」なわけです。「まあーかわいい」と言われます。それが恥ずかしくて耐えられなかったのです。で「男が持てるか」と言ったのでしょう。それでも持たせようとすると「あっしには関わりあいのねえことでござんすから」と言ったそうです。気持ちが悪かったと言います。

「木枯らし紋次郎」のセリフです。TVを見て覚えたのでしょう。全く記憶はありません。無頼派ヒーローです。人に認められようとは全く思わない。麒麟がくる、の自己承認欲求の信長と比べるなら、時代劇も随分と変化したものです。リアタイで見てないと思います。再放送でも見たのか。でもとにかく「紋次郎は不思議な人」だったような気がします。

昔のTVドラマは「視聴者の意識」をあまり忖度しません。とにかく若手の芸術家たちが「自分が訴えたいもの」を「描ける」傾向にありました。「ウルトラセブン」などには市川森一や金城哲也、実相寺監督などの「若い才能」が結集しました。「ノンマルトの使者」の背景にあるのは沖縄問題です。そんなこと子供が気づくわけありません。ファッションも「翔んで」ました。どこの国の衣装だ?ダンやアンヌの私服はそりゃまあ凄いのです。ノンマルトの使者、結局ノンマルトが地球先住民族なのか、人類が先住なのか、どうやらノンマルトのようですが、永遠の謎です。脚本家の金城さんは故人です。核(超兵器)競争についてもダンは述べています。「それは血を吐きながら続ける哀しいマラソンですよ」。

歌も日本離れしてました。「ワンツースリーフォー」で始まる英語の歌など、それまで聴いたこともない音楽でした。先進的。「麒麟がくる」にはウルトラセブンの影響が見えますが、あの圧倒的な文化的インパクトを考えれば、その後の日本のサブカルチャーに及ぼした影響は計り知れないと思います。NHKが4Kで今放送しているのも、そういう背景があります。

その一方で、水木しげるさんなど、若いとは言えなくても、「不思議な世界観」を展開する方もいました。「悪魔くん」にはモノクロの実写があります。小学生の頃、5時半ぐらいから再放送されていました。コメディ仕立てなんですが、怖いのです。特にオープニングです。歌が、、、何言ってるか「全く理解不能」です。エロイムエッサイムしか聞き取れません。

「悪魔くんオープニング」
作詞:水木しげる

エロイム エッサイム
エロイム エッサイム
地の底よりふみ出でて
タマハリ タムハリ カビオラス
エロイム エッサイム ダギソロモン
我が聖なる要求に答えよ~~~
エロイム エッサイム
エロイム エッサイム

「地の底よりふみいでて」なんか、今ユーチューブで字を見ながら歌を聴いても「なんとか聞き取れる」程度です。「我が聖なる要求に答えよ」とは言っています。私は「答えよ」ではなくて「応えよ」だと思います。日本語の意味からすると。「聖なる要求」の具体的中身は何か。とっても気になるし、色々想像可能です。この言葉だけで、短いシナリオが書ける気がします。

でも「タマハリ タムハリ カビオラス」とはなんしょう。「ダギソロモン」の「ダギ」とは?ソロモンは人名です。特に「タマハリ」以下は、ネットでいくら調べて解釈が載っていません。

これも永遠の謎です。実に面白い事態でしょう。ネットがこれだけ発達しても、誰も分からない。少なくともネットには載っていないのです。話題にしている方はいます。

こういう呪文はフランスのグリモワールという魔術書に載っているようです。ソロモンがよく出てくるようです。水木しげるさんが原案にしたのもこれでしょう。エロイムとは「神」です。「エッサイム」とは悪魔です。つまりエロイムエッサイムは「神よ悪魔よ」です。

「ほんとにあった怖い話」にも呪文が出てきます。
稲垣「イワコデジマ イワコデジマ ほん怖 五字切り!」
メンバーが1人ずつ「皆(かい)!」「祷(とう)!」「怖(ほー)!」「無(ぶ)!」
稲垣「弱気退散(じゃっきたいさん)!」
全員で「喝(かつ)!」

イワコデジマとは何でしょう。「マジでこわい」の逆読みです。「ラミパス、ラミパスルルルルル」の「ラミパス」が「スーパーミラー」の逆読みと同じことです。「テクマクマヤコン」は「テクニカルマジックコンパクト」説があります。なんだ「テクニカルな魔法のコンパクト」って?

でも「タマハリ タムハリ カビオラス」は解決しません。これは水木プロに尋ねてみる問題かも知れませんが、一生謎のほうがいいような気もします。エールでお馴染みの古関裕而の「モスラの歌」も触れたかったのですが、長くなりすぎるのでやめておきます。

麒麟がくる・第三十回・「朝倉義景を討て」・感想

2020-11-01 | 麒麟がくる

1,お駒

すっかり大人になってもう十兵衛には興味がないようです。「報われない愛を献身的に一生捧げる設定」かと思っていましたが、違うようです。足利義昭と「大人の関係」であることが、「示唆」されていました。「源氏物語」あたりを連想させる蛍のシーンです。うん、どういう方向に行くのだろう、とちょっと読めなくなってきました。さらにこの関係がずっと続くのかは分かりません。ちなみに大河は「青少年のすこやかな成長」のため、ベッドシーンそのものはありません。そもそも最近はTVのベッドシーンなんてない。抱き合って倒れていく、ぐらいの描写です。この作品では「抱き合って」もなく、手を握るだけです。その代わり蛍を飛ばすことで、「王朝物語だよ。分かるよね。」と示唆していました。

駒が足利義尋を産むのかも知れませんが、その後の展開は読めません。

帰蝶もなんとなく十兵衛と距離がある感じでした。十兵衛には「妻」がいますから、大河は一切不倫禁止(心情的なものでも)になっていくのかも知れません。

2,正親町天皇は大天狗?

史実の信長は朝廷についてよくわかっていない面がありました。官位の「官と位の違い」にも頓着はなかったようです。最終的に官は全て辞退します。しかし位は辞退しません。最初は親和的ですが、明らかに信長は朝廷と距離をとるようになっていきます。でも位は保持するので、学説的には面倒なことになっています。
やがて史実の信長が天皇の判断について「恣意的だ」と批判することは、4つ前のブログで書きました。

ドラマの信長は「ほめてもらえばそれでいい」わけです。今日の描き方は「信長と朝廷が親和的だということを描いた」とも言えますが、東庵先生と正親町帝の会話などを見ると「位うち」的なものも感じます。史実の信長は「平家」が好きですから、きっと義経のことも知っていたでしょう。すると「位打ち」もわかっていたはずです。ドラマの信長は義経のように、治天の君に褒められてすっかり有頂天になっています。そしてなぜか十兵衛もそれを「温かく見て」、助言はしません。教養人設定の十兵衛が「義経の運命」「木曽義仲の運命」を知らないわけありません。なのに「勅命は天意であり」とか言って幕府に出兵を求めていました。位うちと言っても位はないので、ほめごろしという感じですが。まるでドラマ信長の承認欲求を見透かしているようでした。それにしても信長。36ぐらいでしょうか。もう承認欲求という年でもないでしょう。ガキじゃあるまいし。いい加減独立独歩、我が道を行かんかい!設定上ものね。と見てて思いました。別にあれが信長じゃなくても思うと思います。(ちなみに史実上も正親町帝は信長の美濃制覇の時、皇室領の回復を求めて、信長を大層ほめています。信長が死んだときは、朝廷は光秀をほめます)

幕府は田舎者の信長と違って「天皇慣れ」してその実態が分かっています。だから天意だろうと相手にしません。武藤征伐の勅命があろうと出兵しません。(という設定です。摂津が朝倉と組んでいることは義昭は知りません。義昭の思いは、自分は戦嫌いで中立を保って仲介したい。だから出兵しないというものです。)「戦があれば仲介するのが、わしの役割」と義昭は言います。そういえば殿中御掟は登場しません。ですが、信長の心が急速に幕府から離れている演出はあります。

私はこの正親町帝、結構な「大天狗設定」かも知れないと思っています。大天狗とは後白河法皇に関してよく言われることです。史実としての正親町帝は、信長から怒られて、詫びを入れるという感じで、まあ普通の人です。でもこの作品は、御所の塀がずっと崩れていたとか、そんな嘘もあるので、大天狗設定もありえると思っています。「美しくて高貴なバラ」には棘があるかも知れません。

3、越前攻め

「それぞれの立場」が描かれていました。帰蝶の立場は「尾張美濃の戦国大名」として立場です。摂津晴門の立場は「将軍の守備範囲は畿内」と考える幕府の公式的な姿勢(形式的姿勢?)を表しています(ドラマ上は摂津は、朝倉と組んでいます、史実としては組んでなかったという学者のほうが多いかな?)

十兵衛が「前のめり」なのはちょっと「引き」ます。史実はよく分かりません。ただドラマ上、それなりに世話になっており、特に朝倉義景にひどい扱いを受けていたわけではありません。「毛ほども恩を感じていない」「大義のためなら何してもいい」という十兵衛の「この設定」はどうなのでしょうか。「つながりがおかしい」気がします。人物批判じゃありません。演出批判です。狙いは分かります。今までの朝倉を巡って迷う光秀との差別化です。でもこれまでの流れが差異化する方向でないため、特に朝倉に「いじわる」されてもいないため(むしろ厚遇)、いかにも十兵衛が恩知らずとしか見えないのです。「その時その時でキャラが急に変わる。何言ってんだこの男」と感じてしまうわけです。主人公はそういう感じを抱かせてほしくない。

史実としては越前にいなかった可能性もあります。しかしドラマ設定としては、あの家を十年間、無料で提供されたはずです。京に行った時、妻子を保護もしてくれた。意図的に「恩知らず設定」であるならばいいのですが、そうではありません。ただナチュラルに恩知らずなのです。その演出は困ると思います。上洛とか天下静謐といった大義のために「朝倉義景が何をしたか」と十兵衛は言います。そりゃそうですが「あなたは、お世話になったはずだ。人として少しは悩めよ。原理主義者か!」ということです。演出がおかしいなと感じます。

4,織田信長は足利尊氏?

やがて正親町帝と信長の間にもすきま風が吹くという設定のようです。どう吹くのかは知りません。そこで信長は色々と思い悩むのでしょうか。すると同じ脚本家の「太平記」、足利尊氏と似てきます。弟は早めに毒殺してしまいました。足利直義に相当する人物はいません。どうするのでしょう。いるとすれば十兵衛ですね。さてどうなっていくのか。

「偶発的な日本史」と歴史の法則

2020-11-01 | 戦争ドラマ
歴史に法則はあるのか。ない、という人も多いでしょう。でも「あるように見える」のは何故でしょう。中国もインドも、世界の国々は次々と「近代化」していきます。この「近代化」というトレンドは「法則じゃない」のでしょうか。

日本では戦前皇国史観が主流だったようです。今でもその傾向は存在します。朝廷への尊皇度が「法則」になります。朝敵だったから滅んだ。尊皇の度が低いから駄目だったという法則です。

戦後建前上はこの法則は否定されました。否定は、あくまで建前で、今でも同じようなことを主張する人はウヨウヨいます。

しかし形式的には否定され、そして唯物史観が主流になりました。封建制を経て、近代化し、資本主義になり、その資本主義が最高点に達したところで社会矛盾が解決できなくなり、共産主義に向かうという「法則」です。

「共産主義に向かう」ところは日本にとっては未来ですから、そこはあまり言われません。むしろ経済から社会の動きを見るという形になりました。唯物史観も建前上は否定されましたが、経済や民衆の生産性から歴史を見る事自体は、方法の問題なので、これも当然生き残っています。

どっちにせよある程度の「法則はある」ということで進んできたわけです。

ところが「建前上であっても」、2つとも否定されてしまいました。とどのつまり、法則はないということになっていきます。すると歴史の叙述が難しくなります。事件だけを並べるわけにはいかないからです。で、法則に変わって、権門体制論とか2つの王権論とかが言われているようです。それについては叙述しません。叙述する力がありません。

「法則がない」にしては、世界の国々はグローバル経済によって「同じような国」に向かって進んでいるように見えます。伝統や宗教を乗り越えて、進んでいるように見えるのです。その反動として、日本でも各国でも、伝統主義の復活は一部見られます。しかし大きな流れとしては、効率的な経済システムを目指して進んでいます。

しかし日本史学者の記述は、どんどん「法則を見つけない」という方向に向かって進んでいるように見えます。「偶発的だった」「たまたまだ」「そんな劇的なことはないよ」「突発的でしょう」と言うと、なんだかトレンドに乗っているように見える。そしてそういう叙述をする学者が増えている。

ただでさえ「専門を絞りに絞って」、通史を書かず、非常に細かいところにこだわって研究をする学者が存在する。それに加えて「偶発的だった」という叙述が増える。これでは歴史というものを「つかむ」ことができなくなっていくのではないか。そんな危惧を抱きます。

浅井長政が「あさい」か「あざい」かなんてことがそんなに問題なんでしょうか。日本史の核心なんでしょうか。どーでもいい問題に思えてなりません。

いまこそ通史を、と思いますね。学者さんには、もっと大きく歴史をみて、日本史全体の中で、どう位置づけられるかの叙述をしてほしい。素人としてはそう思います。