歴史とドラマをめぐる冒険

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儒教とジェンダー平等について考えてみた

2022-12-30 | 儒教
私は男性で、中一ぐらいまでは「女のくせに」って言っていたような記憶があります。ところが高校に入った頃には完全な「男女同権論者」だった。その間、どういう精神的経緯があったのか。よく覚えていません。それはさておき、日本で男女同権とか、ジェンダー平等がなかなか実現しないのは、そりゃ色々理由はあるでしょうが、日本が「儒教の国」であることが最大の要因だと思います。

儒教は「江戸時代に日本人の伝統となった」と思われていますが、調べてみるとそうではない。なんと律令国家の成立(7世紀)まで遡ります。これはウィキペディアで王土王民思想を読んもらえれば分かります。そもそも「日本律令国家の建国理念」が「儒教」なのです。仏教ではありせん。また律令の背景にある思想は法家ではないようです。

儒教の中でも「礼の思想」が実は男女の「区別」に最も影響を与えています。「礼儀が行き着くところ、男女区別あり」なのですが「区別というより、女性の隔離であり、つまりは差別」なのです。「日本人は礼儀正しい」などと言って喜んでいる場合じゃないということになります(笑)

ここで困った問題が生じます。儒教が男女差別の思想であること、男尊女卑の思想であることは、明確です。でも7世紀から日本の土壌に沁みこんでいるのです。もはや「日本固有の伝統」と言っても過言ではない。実際、私だって「孝行」とか「礼儀」とか結構好きです。でも儒教という伝統を大切にしていたら、いつまで経ってもジェンダー平等が実現しないという困った事態となります。もっとも反論も可能です。それは女流作家、紫式部などが存在したり、女院といわれる貴族が広大な荘園を有していたりしたことです。また尼将軍政子の存在なども有力な反論でしょう。実はそこが私にはまだ分からない。日本史学者も深く考えている感じがしない(と網野善彦さんも書いている)。だから面白い。いずれ考えてみたい問題です。蛇足で書けば「からごころ」を排して「やまとごころ」などいう過激な思想にもとても同調できません。どこまで遡るのか。縄文時代か。縄文文化はシベリア、中国、南方文化などの複合体ですし、そもそも縄文時代、日本列島はあっても日本はありません。

さて儒教の話。なお「家父長制度」に触れるべきですが、まだちょっと考えている最中で、このブログでは触れません。

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、、、義は正しさ、仁はやさしさ、悌は長男が偉いとか親の面倒をみるとか、弟は逆らうなとかいうことです。

礼は「人間の区別」です。儒教は「身分社会における社会秩序」を目指す思想・宗教です。宗教性は「祖先の祭祀に異常なほどこだわる」ことに現れますが、今はそこまで「祖先を祭祀」しているのは天皇家と一部宗教機関ぐらいのものなので、「宗教だ」ということがちょっと理解しにくい事態になっています。この状況については、儒教を教義とする明治の国家神道が、あらゆる宗教の上にあるものとして、「宗教ではない」という超然的地位を与えられたことが大きい、という可能性を私は考えています。

ともかく儒教は「一般的な社会秩序を目指している」わけではありません。「身分制社会の秩序」です。

日本でいうと昔の官位5位以上、まあギリ6位以上の男性のみが「君子になる資格」を持ちます。それ以下の、例えば民衆は「忙しくて自己修養などできない」ですから、君子になる資格はありません。
同じように君子になれないのが「女性とこども」です。「女こどもは口出すな」という嫌な表現は、ここが起源です。ただし女性は婚約すれば多少人間扱いされるようです。なぜなのかは一応説明を読みましたが、わけわかりません。多少人間扱いされても、やっぱり男性の付属物扱いは変わりません。女性がいると男性が欲情を持ち、性が乱れ、身分制社会の秩序が安定しない。だから「女性を隔離」する。男女〇歳にして席を同じくしない。あまりに極端です。

すべて「礼の思想」です。礼とは人間の区別。やっぱり「日本人は礼儀正しい」とか「礼に始まり礼に終わる」とか言って喜んでいてはいけない、ようです。礼儀もほどほどでいいのです。

ジェンダー平等を目指すとき、それが「今や西欧の世界基準だ」ということは有効だと思います。日本人は黒船に弱いですからね。それと同時に日本における男女不平等の起源を考えることも重要だと思います。儒教には「いい徳目もある」、実は私もそう思います。でも実際は「教育勅語」にみられるように「それぞれが分際に応じて行動しろ」という「身分差別の思想」です。しかし儒教そのものを完全になくすと一種の文化破壊となります。文化大革命みたいに。
だから「新しい倫理」を考えるしかない。そしてすくなくとも礼思想の一部は現代にそぐわないものとして排除するべきだと考えます。いかにも甘い対応ですが、文化というのは一挙に変えると弊害が多い。悌などは既に淘汰されており、忠なども弱体化している。儒教もやがて淘汰されていくと思いますが、仁、礼、孝などに関する「代替倫理」がないままに無くしてしまえば、混乱の方が大きくなる。とにもかくにも、儒教に多少いい徳目があるにせよ、その本質は身分制社会を土台にした差別思想であるという認識だけは持っておく必要があると思います。

蛇足
日本律令国家の政治理念が「儒教的徳治思想」であることは自明です。しかしこの「徳治」というのが実はたちが悪いのです。要するに「京都で祈っていればいい」「金かけて儀礼の式を行えばいい」「内裏とかを立派にして帝の徳を高めればいい」「文章経国、文章を興して天を動かせばいい。具体的には漢文の会を開いていればいい。和歌の会を開いていればいい」ということで、現実的な民政思想ではありません。だから地方は乱れ、京都だって群盗が満ちて治安が悪化するのです。鎌倉幕府はこうした非現実的な「徳治の一部」に批判を向けました。もっとも鎌倉幕府だって徳治は採用し、やたら儀式を行っています。

「和歌は政治である」、実はこれは「非常にたちの悪い、民を全く考慮しない思想」だと、今、私は考えています。

参考にしたのは山川出版「日本国家史」、桃崎有一郎「礼とは何か」など。