歴史とドラマをめぐる冒険

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「どうする家康」・第28回「本能寺の変」・感想

2023-07-23 | どうする家康
家康が結局のところ信長を深くリスペクトしていた、というのは、話としては感動的です。瀬名のなにやら「おとぎ話」のような関東自立論に乗っかり、「武田勝頼と戦争しているふり」をして信長を騙そうとし、でも結局は武田勝頼に裏切られ、なんやかやで瀬名と嫡男信康が死ぬ。それをなぜか「自己のバカさ加減」を考えることなく、「信長のせい」と思い込み、韓国ドラマさながらに「復讐の鬼」と化す。そして3年、服従をしたふりをして信長を騙しぬき、本能寺で信長を殺そうとする。その前には「富士山観光」で信長をもてなし、「殺す機会など無数にあった」にもかかわらず殺さず、なぜか「それなりに要塞であったはずの本能寺」で殺そうとする。

話自体は「史実でない」とか言う以前に、「ストーリーとして不自然すぎて」、破綻しまくっているのですが、「本能寺の変」というのは、どんな下手な脚本家が描いてもそれなりに「絵になるもの」だなあと思います。最後の「家康ー」「信長ー」と呼び合うところなど、破綻など忘れて、一種「感動的」ですらありました。

信長も信長でどうやら「家康が俺を殺すなら仕方ない」と思って本能寺に入っている。一種の自殺願望というか「破滅願望」ですね。で、信長は当然息子の「信忠」が500ほどの兵しか持たずに二条新御所にいることも分かっているのですが、逃がさない。「嫡男を生かしておいては家康の天下が来ない」から「嫡男もろとも自殺」しようとしていることになります。どういう心理なんだろ?

信長と家康の国家観の違いもよく分かりません。「武力で抑える世から和をもって貴しとなす世」なのかなと思いますが、「天下をとって」家康は何をしようとしているのか。

基本的には個人的復讐なんですが、それを「天下をとる」と言うと、この家康が何かを考えているようにも見えてしまうわけです。

で、家康は天下をとるために急遽堺へ行く。堺?、、。そこで堺の会合衆と会う。「会合衆と会えば鉄砲だってわしらのもんじゃ」とか家来の誰かが言います。なんでだ?会うとそうなるのか?史実として堺にいたので、堺に行くしかないわけですが、「堺に数日滞在すると天下をとるための人脈が作れる」という話なわけです。無茶にもほどがあります。

無茶苦茶もいい加減にせいよ、、、と思っていたらそこへ「お市の方」が登場。「この世に兄の友は家康殿だけです」とか言う。で家康は心変わり。やっぱり「決断できない」と言います。
家来は喜んで「いつか天下をとればいい」とか適当なことを言い並べます。

で結局の明智が信長を討つことに。でも「待てよ」。物語の構成上では「明智と信長の仲を切り裂き、明智に乱を起こさせたのは家康」だということになります。まあ家康はただ明智が用意した「鯉が何か臭うから腐っているのでは」という行動をとっただけです。それが「本能寺の変の明智側の要因」ということになります。プラスさっき書いた「信長の破滅願望」「家康に殺されたい願望」です。

いろんな下らない陰謀論を見ましたが、ここまで無茶苦茶な説はみたことがない。鯉が腐っていたという話は本能寺の変の100年後に出された「武辺咄聞書」(ぶへんばなしききがき)という1680年ごろの文章集にあるようです。一応史料がないわけではない。ただそれを「家康の陰謀」というか「信長と明智の引き離し作戦」として描くわけです。よくよく考えたら「本能寺の変は、徳川家康の陰謀、明智失脚作戦の予期せぬ結果」となっているわけです。一応「本能寺陰謀論」ですね。大河が本能寺陰謀論を採用したのはおそらく史上初ですが、随分とせこい作戦、陰謀です。しかしそれもまた荒唐無稽なドラマとしては、一興なのかも知れません。

最後のシーンはいいと思うのですよ。結局自分を「たくましく」してくれたのは信長だと気が付いて「ありがとう」と言う。「友情もの」としては良いと思います。
でも見終わってしばらくすると何も残らない。壮大なる空虚話です。その時だけの友情話、、、何も残りません。よくここまで空虚な話を嘘ばかりついて作るものだなとは思います。

最後に真面目な話を書くと、「信長の死は本当にみんなが望んでいたこと」なのか。物語ではそうなっています。本人すら望んでいたとなっている。そこは史実から考えてみたいとは思いました。


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