残留日本兵・横井庄一さんがグアム島で捕らえられて日本に帰国を果たしたのは、
ちょうど半世紀前の1972年2月2日のことだったんですね。
ジャングル生活28年 “伝説の残留日本兵” 横井庄一さん
「名前を変えたい」 と告白していた 看護記録で新事実 帰郷から50年 - TBS NEWS DIG
(なぜかリンクが貼れないので、興味ある方はご自分で検索してくださいね、スミマセン・・・)
上のニュース記事にリンクされていた YouTube ビデオを、興味深く拝見しました。
【前編】 “伝説のサバイバー” 横井庄一 ジャングル生活28年の極意 新たな証言発掘へ ドキュメンタリー
【後編】 “伝説のサバイバー” 横井庄一 ジャングル生活28年の極意 新たな証言発掘へ ドキュメンタリー
ビデオの中で紹介されていた切り絵絵本です。
横井さんの壮絶な体験を未来へと語り継ぐ、貴重な媒体だと思いました。
全国のすべての図書館に所蔵されるようになることを、心から願います。
ウィキによると、横井さんは、1915年3月31日生まれ。
1944年にグアム島に配属され、1972年1月24日に現地住民に捕えられるまでの28年間を、グアム島のジャングルで
生き延びました。最初は仲間がいたものの、最後の8年間は、独りぼっちで。
28歳になる年にグアム島入りし、日本への帰国を果たしたときは57歳の誕生日が目前だったことになります。
28歳から56歳までという、人生の最盛期。
戦争がなければ仕事に励み、おそらくは結婚し、家庭を持ち、家族を支えつつさらに仕事に励むという、
人生で最も充実していたであろうはずの時期を・・・。
YouTube ビデオの中で、横井家先祖代々のお墓にすがって泣き崩れ、すでに亡くなっていた母親に
「親孝行もできなくて・・・すいません・・・」 と謝る横井さん。
「海が沈まないで歩けるものなら、一足一足 海の上を歩いてでも日本へ帰りたかった」
横井さんが帰国後に結婚された奥様にだけ語られたという、ジャングルに潜伏中の想い。
横井さんの生環は、もちろん喜ばしいことです。
でも横井さんは、発見され捕えられるのを免れるため、ひょっとしたら現地住民を手にかけていたかもしれません。
(ルバング島に潜伏していた小野田寛郎さんの場合は現地住民への犯罪行為の償いとして、日本政府は3億円をフィリピンに渡したそうです。)
横井さんによって現地住民が危害を加えられていたとしたら、それも戦争のせい、戦争さえなければ起こらなかった犠牲です。
戦争は、本当にむごいものです。
横井さんの未亡人の美保子さんが、ご自宅の一部を『横井庄一記念館』として毎週日曜日だけ開館されているようです。
コチラに詳しいです。
1962年生まれの私は、第二次世界大戦はずっと前に終わったものとして成長しました。
でも今考えてみると、戦争が終わったのは私の誕生した年の、17年前。
たったの17年ですよ!
私がイギリスに来てからすでに30年が経ちましたから、その約半分でしかなかったんですね。
ロシアがウクライナに侵攻して以来、情報を統制されたロシア人のとくに高齢者層は、プーチンとクレムリンに
洗脳されて政府の言うことを頑なに盲信して、まったく困ったものだ。
なんて思ってきましたが、じつは日本でも同様のことが、まだ人々の記憶に残るそれほど遠くない昔に、
起きていたんですよね。
ロシアのウクライナ侵攻で、平和が『当たり前』ではないことを、今さらながら、痛感します。
『今日無事』
は横井さんが好まれた言葉のひとつだそうですが、本当にそうですね。
その日を無事に終えられるって、本当にありがたい、貴重なことです。