ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ロッカビー爆破事件②: タイムライン

2018-12-26 21:56:03 | 事件

1988年12月21日 17:30

ヒースロー空港第3ターミナル14番ゲート。パンナム103便の乗客が、ボーイング747“海の乙女”号への搭乗を始める。同機はニューヨークへの3000マイル(4828km)のフライトに備えて給油され、チェックイン荷物の搭載は完了しつつある。

船会社の重役トム・アンマーマンがファースト・クラスの座席につく。本来なら昼食時のフライトで出発する予定だったが、土壇場になって彼のオフィスが、彼がもうひとつ会議に出席できるようフライトを変更したのだ。

23列目には、ニューデリーで親類の結婚式に出席したラッタン一家が、帰国の途上にある。先に103便のフランクフルト-ロンドン間を飛んだボーイング727機内では、鮮やかな赤いワンピースを着た3歳のスルーチ・ラッタンが、叔父の結婚式の話をして後ろの席の男性を楽しませた。

機内中央部には、ロンドンとフィレンツェで学期を過ごしたシラキュース大学の35人の学生が坐っている。

ファースト・クラスの空の座席ふたつはセックス・ピストルズのシンガー、ジョニー・ロットンと彼の妻ノーラが占めるはずだった。しかしノーラが荷づくりに手間取ったため、彼らはその便をキャンセルし、翌日のフライトに変更した。

女優キム・キャトラルも103便に搭乗するはずだったが、母親へのお土産にするハロッズのティーポットを買い忘れていたため、少し後の便で帰国することにし、そちらへの搭乗を待っている。

航空機の前方貨物ベイエリアのアルミ製手荷物コンテナ内には、東芝の“BomBeat”ラジオカセットプレーヤーが入った薄茶色のスーツケースがある。ラジカセ内部には、タイマーに接続された450gのセムテックス・プラスチック爆弾が仕掛けられている。スーツケースは747型機の外殻からわずか25インチ(64cm)しか離れていない。

17:55

47歳の自動車整備工ジャスワント・バスータは、103便の出発ゲートに向かって懸命に駆けている。見送りに来た親類達と飲んでいたので足元は不安定だ。ゲートにたどり着いたバスータは「妻がニューヨークで待っている」と搭乗を懇願するも、拒否される。

18:04

ジェット機はゲートを離れ、ランウェイ27Rへの移動を開始する。103便を操縦するのは、ジム・マックウォーリー機長(55歳)とレイ・ワグナー副操縦士(52歳)。機長が4つのエンジンのスロットルを開き、330トンあるジェット機が滑走路を動き始める。20分後、パンナム103便は夜空の厚い雲を抜けて上空へと飛び立った。乗客243名と乗務員16名を乗せて。

18:45

ヒースローから300マイル(483km)離れたスコットランドの小さな町ロッカビーでは、風雨の中14歳のスティーヴン・フラニガンが、シャーウッド・クレッセント16番地の自宅を出て友人デイヴィッド・エドワーズの家に向かっていた。スティーヴンの妹ジョアンへのクリスマス・プレゼントである自転車に手を加えるために。

18:58

客室乗務員は飲物と、映画“クロコダイル・ダンディー2”を視聴するためのヘッドフォンを配っている。飛行機は高度31,000フィート(9.5km)で水平飛行に入る。機長はプレストウィック航空管制塔に告げる: 「こんばんは、スコットランド。こちら103便は、3-1-0で水平です」 「こんばんは。ルートはまっすぐ5-9、北、1-0、西」航空管制官のアラン・トップが応じる。747型機はレーダー内を、明るい緑色の十字になって移動している。イングランド/スコットランドの境界まであと6マイル(10km弱)だ。

19:02:50

スーツケース内のセムテックス爆弾が爆発し、機体の胴体左側に20インチ(50.8cm)の穴を開ける。アルミニウムの機体外郭に即時にできた巨大な裂け目は瞬く間に広がり、機内は減圧し、客室の照明は消え、機体は分裂する。コックピットのレコーダーには、分離した機首部分が右翼に衝突しエンジンのひとつを、さらには尾翼を破壊する際の音が録音されていた。(機首部分の分離は『爆発から3秒以内に発生した』と、のちに結論づけられた。)

高度31,000フィート(9.5km)で機体が分解していく中、乗客たちの多くは-46℃の外気温に放り出され、酸素の欠乏により意識を失う。機内で固定されていなかった物体は、すべて落下していく。

プレストウィック航空管制塔のアラン・トップは、モニター内のパンナム103便が、ひとつの緑色の点滅ライトから5つに分裂したのを驚愕の面持ちで凝視する。

19:03

客室部分は高度19,000フィート(5.6km)から垂直に落下し、分解は加速する。床に固定されているのは、もはや15列ほどの座席のみだ。20,000ガロン(90,921ℓ)の航空機燃料を内蔵した長さ200フィート(61m)の流線型の翼は、時速500マイル(804km)で落下していく。機体の残骸とともに、クリスマス・プレゼント、聖書、おもちゃ、スーツケース、衣類などが夜の空を落ちていく。

強風に乗った多くの乗客たちは、東へと飛ばされる。呼吸可能な外気に達し、乗客のうち何人かは意識を取り戻す。

まだ座席に固定されているある乗客は、胸の十字架を握り締める。2人の友人たちはお互いの手を握る。母親は赤ん坊をきつく抱き締める。燃料に引火したエンジンは、火の玉となって落下していく。

ロッカビーのローズバンク・クレッセントでは、59歳の未亡人エラ・ラムズデンが、自宅でクリスマス・カードを開いている。テレビではマイケル・アスペルの“This Is Your Life”を放映中だ。エラの飼犬のジャック・ラッセルが唸り始める。「あらあら、いったいどうしたっていうの?」エラは犬に話しかける。

少し離れた車庫では、スティーヴン・フラニガンとデイヴィッド・エドワーズがスティーヴンの妹の自転車に手を加えている。「あれ何の音だ?」デイヴィッドが言う。「雷だよ」スティーヴンが応じる。車庫内の蛍光灯が床に落ちる。

爆弾が爆発してから46秒後、パンナム103便の両翼をつけた胴体部分が、時速500マイル(804km)でシャーウッド・クレッセントに激突。13番地のドーラとモーリス・ヘンリー夫妻、15番地のサマーヴィル一家4人と16番地のスティーヴン・フラニガンの家族のうち3人が即死する。衝撃で長さ150フィート(46m)・深さ30フィート(9m)のクレーターができ、落下した残骸は分解四散し、墜落の衝撃で引火した航空機燃料が火事を起こし、近所の家々に燃え広がる。衝撃で地中のガス本管も損壊されたため、火災に拍車をかける。

 

 

胴体後部と荷物収納庫の一部と3つの着陸ギア・ユニットは、600mほど離れたローズバンク・クレッセントに落下する。

300フィート(91m)の高さまで燃え上がった火の玉は、隣接する片側2車線のA47号道路の南下車線に達し、走行中だったドライバーたちは機体の残骸を避けるため無我夢中でハンドルを切る。シャーウッド・クレッセントのセーラ・ローソン宅には衝撃により放り出された巨大なコンクリートの塊が落下し、ほんの少し前まで彼女が座っていた椅子に落ちる。

夜空に現れた巨大な赤い輝きを窓から眺めながら、エラ・ラムズデンは(これは世界の終わりかしら?)と戦慄する。

 

ロッカビー住民の中には、第二次世界大戦の記憶をフラッシュバックさせる者もいる。14マイル(23km)離れた英国地質調査所のリヒター・スケールは、103便の墜落の衝撃を1.6と記録する。

エラは愛犬を拾い上げて勝手口へと走るが、轟音がとどろき、風圧で後方へと飛ばされる。18mある胴体後部と荷物収納庫の一部と3つの着陸ギア・ユニットが、ローズバンク・クレッセントに落下したのだ。照明は消え、家々は壊れてゆく。恐怖で立ち往生したエラは、目をきつく閉じて亡夫の名を呼ぶ。「ハリー、いったい何が起きているの?」 目を上げると夜空が見える。彼女の家の2階部分は完全に失くなっていた。

3マイル(5km弱)離れたタンダーガースの農家では、農夫ジミー・ウィルソンが紅茶をすすろうとしていたとき突然照明が消える。次の瞬間パンナム103便の機首部分が彼の農地に叩きつけられる。

19:04

乗客たちがロッカビーに落下し始める。バンティー・ギャロウェイが家から走り出ると、若い女性が2人空から降ってきて彼女の前の路上に落ちる。

103便に搭乗していた乗客乗務員の大半が、おそらくは地面に落ちる前に死亡していた。が、ある救助員は、ある女性の遺体は固く握られた両手に土と草を握り締めていたとのちに語った。

懐中電灯の光で、遺体や遺体の一部が路上にあるのが見える。手紙、書類や紙幣が散乱し、航空機燃料の臭気が辺りに漂っている。

19:10

隣人たちに助けられ、エラ・ラムズデンは損壊した自宅から脱出する。庭を抜けるとき、白いプラスチック製のパンナム機のカトラリーが芝生に散乱しているのが見える。

19:20

パンナムのフライト・コントローラー、ブライアン・へドリーのヒースロー・オフィスの電話が鳴る。航空管制官が、103便の行方不明を告げる。へドリーは直ちにJFK空港の同僚に連絡する。

19:30

英国空軍の捜索救助ヘリコプター・パイロットのジェフリー・リーミングが予備の寝室の壁を修繕していると、同僚のケン・パークから緊急出動を要請する電話が入る。

負傷したロッカビーの住民を搬送するため、最初の救急車がロッカビーを発とうとしている。病院はスタンバイ状態で待ち受けたが、それまでに発見されたのは、すべてロッカビー住民である重傷者2名と軽傷者3名のみだった。

タンダーガースでは農夫ジミー・ウィルソンが、家族とともに農地に落下した機首部分へと歩いている。懐中電灯の光に、3つの遺体が浮かび上がる。2人は死亡していたが、3人目の、客室乗務員の女性は動いているように見える。ジューン・ウィルソンが脈を採ろうとしたが、女性は死亡していた。ジューンの娘のケイトが、遺体を覆うための毛布を取りに家に走る。

19:33

チャンネル4で、ピーター・シッソンズがパンナム747型機墜落の緊急ニュースを伝える。

19:45

ジョン・ヘンダーソン巡査は、シャーウッド・クレッセントにできたクレーターからわずか100ヤード(91m)の距離に住んでいた。妻を安全な場所に避難させると、彼は緊急出動する。乗客の一人が、地面にできた大きな穴に半ば入った形で死亡していた。涙をこらえながら、彼は遺体を覆ってやる。

20:00

アメリカのテレビ局が、パンナム103便の行方不明について報じ始める。

20:05

ダンフリーズ&ギャロウェイ非常事態対応計画が発動される。これは航空機墜落事故ではなく、近くの原子力発電所における爆発事故に対応するためのものだった。

20:45

ITNがシャーウッド・クレッセントの火災の模様を最初に生中継する。ジェフリー・リーミングは捜索救助ヘリでロッカビーに接近する。そこここで起きている火災により、ロッカビーの中心には活火山があるかのようだ。

21:30

タウン・ホールに駆けつけたスティーヴン・フラニガンは、他の人々とともに雨の中、家族の安否のニュースを待っている。彼は警官に、彼の家族の安否を訊ねる。警官はリストに目を走らせて言う。「Mrs Flanniganは無事と記録されているよ」――しかしもう一度確認した彼は謝った――急いで走り書きされたリストにあった名は『Mr S Flannigan』で、Mrs. Flanniganではなかった。一家の友人であるビル・ハーリーがスティーヴンの肩に優しく腕をまわし、その場を離れさせる。

22:00

住民の多くが、自宅周辺で遺体を発見する。バンティー・ギャロウェイの庭の石段には少年の遺体が横たわっている。彼が既に死んでいることに気づかず、彼の体を冷気から守ろうと、バンティーは遺体にラム・ウールのトラベル・ラグを被せる。

3000マイル(4828km)離れたニューヨーク州では、スーザンとダニエル・コーエンがJFK空港に向かって車を走らせている。彼らの娘のテオが103便の乗客だった。心痛のあまりスーザンは走行中の車から飛び出しそうになり、夫のダンが腕を伸ばして彼女を抑える。

メリーランド州では、他の気分転換を思いつけないまま、ローズマリー・ミルドが埃払いをしている。彼女の継子で20歳のミリアムは、103便で帰国する学生のうちの一人だった。こんなときに埃払いなど馬鹿げているとわかっていたものの、間もなくやって来るであろう家族や友人のために家を綺麗にしておきたかったのだ。

22:30

警察により、ロッカビーのタウン・ホールの地下に仮の遺体安置所が設けられる。農夫が運転するピックアップ・トラックが到着する。助手席にはコートに包まれた人物が眠っている。農夫の息子と最初に警官が思ったその人物は、103便の乗客の少年だった。

JFK空港に到着したコーエン夫妻は、エンジンをかけたまま車を乗り捨てる。カメラのフラッシュを浴びながら、2人は2階のラウンジに案内される。1階では21歳のニコル・ボウランジャーの両親が、103便の墜落を告げられる。ジニーン・ボウランジャーは「あぁ、私のベイビー!」と叫びながら床にくずれ落ちる。

23時

ロッカビーのメイン・ストリート沿いに救急車が並ぶが、出番はない。103便の生存者はなく、負傷したロッカビーの住民はすでに全員が病院に搬送されている。

近くの公衆電話では、ニュースルームにレポートを口述するため、記者たちが列を作って順番を待っている。

タウン・ホールの遺体安置所では、涙で頬を濡らした農夫が、赤いワンピースを着た3歳の女児の遺体を運び込む。女児はスルーチ・ラッタンだった。

1988年12月22日 00:00

20頭から成る捜索犬チームが地域の捜索にあたっている。103便は縫製針を積載していたため、犬のうち何頭かは足を負傷し、獣医が手当てする。

01:00

シャーウッド・クレッセント近くのパブでは、常連客と記者たちが、無言のまま燃え上がる町の生中継映像を見つめている。

01:30

スティーヴン・フラニガンはその夜を友人ビル・ハーリーの家で過ごす。予備の寝室で横になったスティーヴンの心拍は異常に速く、呼吸も乱れている。ソーシャル・ワーカーから彼の両親と妹の死を公式に伝えられるのはその1週間後のことになるが、このときすでにスティーヴンは、怖ろしい真実に気づきつつある。

02:00

シャーウッド・クレッセントで負傷者の捜索にあたっていたエディンバラ・ロイヤル病院のキース・リトル医師は、遺体の多くに金属片が突き刺さっているのに気づき、墜落は爆発によって引き起こされたと確信する。

05:30

メリーランド州のローズマリー・ミルドの家は、彼女と夫のラリーを案じて駆けつけた家族友人でごった返している。娘のミリアムに関するニュースを求めて7時間もパンナムに電話をかけていたものの、ずっと繋がらなかった。ようやく繋がって“M.Wolfe”が103便に搭乗していたこと、その人物の連絡先がミリアムのロンドンのフラットのものだとわかると、ローズマリーは電話を切ってショックのあまりへたり込む。彼女は夫の耳に、友人たちに去ってもらうよう囁く。彼女に考えられることといえば、(彼らの子供たちは皆無事だわ)だった。

5ヶ月後、ローズマリーはミリアムの凹んだスーツケースを受け取った。中にはミリアムの衣類があった。ロッカビーの女性たちによって、すべてが洗濯されアイロンがけされていた。

衣類の間にはクリスマス・ツリーに飾るための星がはさまっていた。

07:50

夜明けによって初めて、事故のスケールが明らかになる。120体の遺体が発見されていたが、捜索は続く。機首部分が落下したタンダーガースの農地で、10遺体が発見される。

   

ヘリコプターで飛んでいたジェフリー・リーミングは、タンダーガースの農地に点在する遺体のひとつひとつが警官によって見守られているのを見る。

10時

自宅付近を捜索していた農夫の息子たち、スチュアートとロビー・ドッドは、箱が付いた長い金属片を見つける。パンナム103便のデジタル・フライト・データ・レコーダーとコックピットのボイス・レコーダーだった。

正午

メイン・ストリートにあるイボンヌとジミー・ハルデインの店では、地元住民は午前中ずっと何かを買いにやって来ては、何を買いに来たのかを忘れていた。2人はそれが、ショック状態の古典的な症状であることを知っていた。

        

13時

ロッカビーから8マイル(13km)離れた農場では、ヒューとマーガレット・コンネルが、黒髪の男性の遺体を見守っている。2人は救助隊に「男性の遺体を(寒気にさらしておくには忍びないので)屋内に運び込んでいいか」訊いたが、「まだ移動してはならない」と言われていた。

コンネル夫妻は、男性の遺体を24時間見守り続けた。のちに2人は、「私たちの息子」と呼んでいた男性が、妻と3人の子供が待つ家に帰る途中だった45歳のフランク・シウラだったことを知る。コンネル夫妻がフランクを見守り続けたという事実は、悲しみにくれる遺族の慰めとなった。

21時

フィラデルフィアのペリー・ドーンシュタイン医師の家の電話が鳴る。パンナムのエージェントが訊ねる。「デイヴィッド・ドーンシュタインさんのご家族ですか?」 ペリーがそうだと応える。

25歳のデイヴィッドは1年間イスラエルで暮らしていて、クリスマス帰宅はまだのはずだった。しかしデイヴィッドは家族をびっくりさせようと、予定より早く帰宅することにしたのだ――103便で。

エージェントがペリーにニュースを伝えていたころ、彼の息子の遺体はエラの崩れた庭の塀の下敷きになっていた。彼の遺体が救助犬に発見されたのは、4日後のことだった。

23時

タウン・ホールに花束が届けられる。フランクフルトからロンドンへのフライト中に3歳のスルーチ・ラッタンとおしゃべりしていた後列の男性からだった。花束にはメッセージが付いている。『フランクフルトからのフライトを愉快なものにしてくれた赤いワンピースの女の子へ: 君はこんな風に死ぬべきじゃなかった(You didn't deserve this.)』

余波

1989年1月4日、ロッカビーの教区教会に、遺族100人が集まった。町外れの墓地には、犠牲者全員の名前が刻まれた慰霊碑が建立された。

墜落から6週間後、捜索は終わった。乗客乗務員259名とロッカビーの住民11名、合わせて270名が犠牲になった。



巻き添えで犠牲になった、翼と胴体部分に直撃された11人のシャーウッド・クレッセントの住民たち――

13番地のドーラとモーリス・ヘンリーの遺体は発見されることはなかった。

15番地のサマーヴィル家では、一家4人全員が犠牲になった。両親のジャックとロザリンドと、息子のポール(13歳)と娘のリンジー(10歳)。子供たちの遺体は発見されなかった。

16番地のフラニガン家では、両親のトマス(44歳)とキャサリン(41歳)と娘のジョアン(10歳)が即死し、ジョアンの遺体のみが発見された。長男のデイヴィッド(19歳)はブラックプールに出かけていて難を逃れた。次男のスティーヴン(14歳)は友人宅のガレージでジョアンの自転車をいじっていて、火の玉にのみ込まれる自宅を目撃した。のちに飲酒と麻薬に溺れるようになったデイヴィッドは、5年後の1993年12月に、タイで心不全のため24歳で死亡した。スティーヴンも2000年8月にウィルトシャーで、飲酒後線路で眠り込んでしまい、列車に轢かれて亡くなった。息子のルークはまだ3歳だった。

81歳のメアリー・ランカスターと82歳のジーン・マリーも、シャーウッド・クレッセントに住んでいて犠牲になった。2人とも未亡人だった。


火の玉は隣接するA74道路に達し、南下車線の車を焦がしたが、幸い死者は出なかった。車のドライバーたちや近隣住民は、近くのチャペルクロス原子力発電所(Chapelcross nuclear power station)でメルトダウンが起きたものと思ったという。

犠牲者の国籍は22ヶ国に上った。各国の政府にそうしないようアドバイスされたにもかかわらず、遺族の多くが事故後の短期間内にロッカビーを訪れた。ロッカビーのボランティアたちは軽食堂を設け、24時間体制で遺族、兵士、警察官、ソーシャル・ワーカーなどに無料でサンドイッチ、温かい食事、温かい飲物、話し相手を提供した。住民たちは、警察が検査を終えた犠牲者たちの衣類を、遺族に返される前にすべて洗濯しアイロンがけした。ロッカビーの住民たちの温かさは、悲嘆にくれる遺族にとってのささやかな慰めになったと思われる。


《 情報源: Daily Mail: The Haunting Details of Lockerbie Bombing revealed

        Wikipedia: Pan Am Flight 103


《 関連記事: ロッカビー爆破事件①: 当時と今

          パンアメリカン航空103便爆破事件の容疑者 》


*       *       *       *       *


事件後30年ということで、今月はロッカビー爆破事件を振り返るニュースが多いです。それまでは私、103便は空中で爆発大破し乗客乗務員は全員が即死したものと思っていました。でもよく読んでみたら、爆発は機体に穴を開けただけで、搭乗していた人々はほぼ全員が、生きているうちに機外に放り出されたと・・・ さらには、落下の途中で意識を取り戻した人もいただろうと・・・ 何てむごい・・・

むごいといえば、フラニガン一家も過酷な運命に翻弄されました。5人家族だった一家は爆破事件で3人を奪われ、残されたティーンの兄弟2人も、30歳の誕生日を迎えることなく死んでしまうなんて・・・ スティーヴンさんの息子のルークくんは、たったの3歳だったって・・・ 爆破事件直前まで存在した5人家族は、事件から12年以内に全員が死亡し、この世にいなくなってしまうなんて・・・

爆破事件でご両親と妹さんを失うことがなかったら、デイヴィッドさんとスティーヴンさんの人生は、また違ったものになったことでしょう。そう考えると、この2人の悲劇も、ロッカビーの二次的悲劇と言えそうです・・・。


ロッカビー関連記事、もう一回だけ――に――続きます。


 

にほんブログ村 海外生活ブログへ にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
« 我家でクリスマス! | トップ | ロッカビー爆破事件③: 悲劇... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

事件」カテゴリの最新記事