3日前の5月19日(木)、故ニコラス・ウィントン氏の追悼礼拝が、ロンドンであったそうです。
日本でなら一周忌に執り行うところでしょうが、そこはイギリス。
故人の生涯や功績を讃えるという発想から、命日ではなく
ウィントン氏の107回目の誕生日になっていた日が選ばれたようです。
これってすごくポジティブな、グッド・アイディアでは?
ウィントン氏については、以前の記事に詳しいです。
チェコ、スロバキア、英国政府の代表を含む約400人が参列。
スピーチをする、故人の息子のニック・ウィントン氏(下右)。
1988年に “That's Life !” のプレゼンターとしてウィントン氏と彼に救われた“元子供たち”を再会させた
エスター・ランツェンが、思い出を語ります。
「二人の女性を命の恩人と再会させた、あの瞬間のインパクトといったら・・・ 私は長いキャリアの中でただ一度だけ、
席を立ってカメラや客席から見えない所に引込み、涙を拭いてから戻らなければなりませんでした。」
当時の思い出やウィントン氏への思いを語る、“元子供たち”。
米マサチューセッツ州からやって来たエヴァさん(80歳・下左)は、1939年当時3歳でした。
「家族とともに今日ここに来ることは、私にとってとても大切なことなのです。」
ロンドン・ハーロウ区在住のクルトさん(92歳・下右): 「必要ならば、海を泳いで渡ってでも来たでしょう。
私の人生のすべてが彼のおかげなのですから。」
追悼礼拝には、ウィントン氏に命を救われた28人の “元子供たち” が参加。
はるばるイスラエル、チェコ、アメリカから駆けつけた人もいました。
ウィントン氏の偉業から77年後の今、すでに亡くなった “元子供” も少なからずいて、その代理として出席する遺族もいたそうです。
“元子供たち” の多くが、彼らの命綱だった旅行許可証をその後も大切に保管しています。
今回またあれこれ読んで、新たに知ったことが。
ウィントン氏は奥さんとの間に3人の子供を授かりましたが、うち一人は幼くして亡くなりました。
そこまでは知っていたのですが、
亡くなったお子さんは次男のロビンさんで、ダウン症をもって生まれてきたそうです。
当時はダウン症児は施設で暮らすのが一般的でしたが、ウィントン夫妻は家庭で育てたいと主張。
そうこうするうちロビンさんは髄膜炎にかかり、6歳の誕生日を迎えることなく亡くなってしまいました。
その後のウィントン氏が障害者や高齢者といった社会的弱者のサポート活動に傾倒していったのは、
ロビンさんの死が深く影響していたから。 と、娘のバーバラさんは考えています。
2014年11月のインタビューでの、ウィントン氏の言葉。
『我々は歴史からたったひとつのことしか学んでいない。 それは “我々は歴史から何も学ばない” ということだ』
と言ったフランス人 [注: 実際はドイツの哲学者ヘーゲル] がいたが、まさしくその通りだ。
それどころかひどくなっている。 我々は、ひどい事をより上手くやってのけることを学んだだけだ。
ひどい事をより上手く。 確かに。
最初の原子爆弾が日本に落とされてから71年後の今、核兵器の威力ははるかに強力になっていますよね?
(科学に弱いし知りたくもないから調べませんが。)
人類は相も変わらず人種や宗教や思想や慣習や肌の色などの違いを理由に対立し、殺し合っています。
このままだと、いずれは人類は、対立を悪化させて自滅するのでは。
誰かを迫害するためではなくお互いを助け合うために、少しだけでいいから皆が努力するような世の中になれば、
この世はずっと安全でずっと暮らし易くなるのにな。
残念ながら今の世の中は、その逆の方向に少しずつ進んでいるように思います。
だからウィントン氏のような人のことを回想しお手本にして自らを励ますことは、
とても大事。
ニコラス・ウィントンさん。
あなたがこの世に生を受けたおかげで、669人の子供と彼らの子孫が救われました。
107歳の誕生日、おめでとうございます!