ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

イマキュレー・イリバギザ

2021-02-16 21:15:14 | ひと

1994年の4月から7月にかけて、あなたはどこで、何をしていましたか?

(「まだ生まれていなかった」方はスミマセン

その前年にオットーと結婚した私は、同年3月に今住んでいるダーズリーの家に引越して来、

4月から7月にかけては引越し後の後片付けを済ませ、6月に念願だった飼犬ケイトーを迎え入れ、

仕事が一段落したオットー(在宅イラストレーター)と一緒に長い散歩を楽しんだりしていました。

アフリカ大陸の小国ルワンダで、とてつもないことが起きていたなど露知らず・・・。

 

イマキュレー・イリバギザさんは1972年生まれとのことなので、現在48歳か49歳。

彼女は1994年4月から7月にかけて起きたルワンダ大虐殺の生残者で、

2006年に発表された『生かされて』はベストセラーになりました。

ロックダウン中、折に触れて彼女のことを思い出していたので、今日は彼女について書くことにします。

 

イマキュレーさんは教師をしている両親のもとに生まれ、3人の兄弟がいました。

教育を重んじる両親によって勉学を奨励され、ルワンダ国立大学に進学し、電気工学と機械工学を勉強していました。

1994年のイースターは、試験を控えていたため帰郷はしないつもりでした。でも両親に懇願されたため、帰郷しました。

(左から: 父親、母親、エイマブル、ダマシン、イマキュレー、ビアンニー)

 

しかし1994年4月7日、ルワンダ虐殺が勃発。

虐殺の対象となったツチ系住民だった彼女は、少女を含む他の7人の女性と、

3フィート(0.91 m)x 4フィート(1.2 m)ほどしかない小さなバスルームに、91日間隠れて生き残りました。

攻撃してくるのはフツ系の過激派でした。兵士のみならず過激思想に煽られたフツ系住民までもが、

マシェティや鋤やナタを手に、昨日までの隣人や友人だったツチ系住民を、無差別に殺戮しました。

たとえフツ系であっても、殺戮に反対したり参加を拒否すれば、ツチ系と同様に容赦なく殺されました。

まさに狂気の91日間でした。

 

虐殺が始まったとき、一人娘をレイプや殺人から守るため、父親は彼女に、牧師の家に駆け込むように言いました。

牧師は自身の家族には内緒で、彼女を含む8人の女性を、寝室のワードローブの後ろに隠されたバスルームに匿いました。

 隠れている間、憤怒と恨みがイマキュレーさんの心と体を蝕んでいきました。そんな中、彼女は祈りに目を向けました。

敬虔なカトリック教徒である彼女の父親は、彼女を牧師の家にやる前に、ロザリオを与えていました。

彼女は自分の中に煮えたぎる怒りと周囲に満ち溢れる悪に立ち向かうため、祈り始めました。

やがて、祈ることで彼女は、信仰と平和と希望を見つけます。

優秀な彼女はすでにルワンダ語とフランス語に堪能でしたが、

隠れていた3ヶ月の間に、聖書と辞書だけを使って英語も学びました。

91日後、ついに隠れ場所から出られたとき、115ポンド(52kg)あった体重は、68ポンド(31kg)まで落ちていました。

イマキュレーさんを診察した医師は、「彼女は長くはもたないだろう」と診断しましたが、彼女は不屈の精神で見事、

その診断を覆しました。しかし残念なことに、一緒に隠れていた女性たちのうち二人は、まもなく死亡しました。

 

自分と同様に、どうか家族も、どこかに隠れて生き延びていて欲しい・・・

必死に祈ってきた彼女でしたが、過酷な現実が待っていました。

彼女の家族のほとんど(父親、母親、兄弟のダマシンとビアンニー)が殺害されていたのです。

6人家族のうち生き残ったのは、セネガルで勉強中で大量虐殺を知らなかった兄弟エイマブルと彼女だけでした。

祖父母、友人たち、隣人たちも皆、殺されていました。

後日イマキュレーさんは、母親と兄弟の1人を殺害した男と顔を合わせます。

91日間にわたる想像を絶する苦難を生き抜いた彼女は、男に「私はあなたを赦します」と言いました。

 

イマキュレーさんは、隠れ場所を出て自由になれてから3ヶ月後、ルワンダで国連の仕事に就くために英語で面接を受けました。

1998年(1997年という情報源も)、彼女はルワンダから米国に移住し、国連を通じて平和のための活動を続けました。

彼女が同僚や友人に自分のことを話すと、感銘を受けた彼らは、それを文章にするようアドバイスしました。

原稿を書き終えた彼女は3日後、ベストセラー作家のウェイン・W・ダイアー博士に会いました。ダイアーは彼女に会って数分以内に、

彼女の本を出版することを申し出ました。ダイアーはのちに、「イマキュレーにはカリスマ性を超えたものがある。彼女は

無条件の愛と赦しについて書いたり話したりするだけでなく、どこへ行ってもそれを放出するのです」と語りました。

 

イマキュレーさんの最初の本 Left to Tell は2006年3月に発売され、すぐにニューヨーク・タイムズのベストセラーになりました。

現在までに17の言語に翻訳され、200万部以上を売り上げています。

彼女は平和を説くため世界中で発言し、2007年のマハトマ・ガンジー和解と平和賞を受賞。

2013年には米国に帰化して市民権を獲得しました。

彼女はまた、ノートルダム大学、セントジョンズ大学、セットンホール大学、シエナカレッジ、ウォルシュ大学、アメリカカトリック大学から

名誉博士号を取得し、マハトマガンジー国際和解と平和賞、アメリカレガシーの女性の力と勇気賞、2015年全国スピーカー協会の

影響力マスター賞など、数々の人道的賞を受賞し、表彰されています。

 

下は、当時匿われていたトイレを後日再訪した際の画像だそうです。

     

 

『生かされて』の原題は、Left to Tell

この想像を絶する体験を綴った著書について、ラジオで聞いたオットーが私に話してくれ、

興味をもったので早速買って読んだのを覚えています。

今探したら書棚にないので、誰かに貸してそのままになったかな?

(私が読んだのは、下左画像のやつです。)

          

 

「イマキュレー、どこにいる!お前を見つけ出して、レイプして、叩き殺してやる!出て来い!」

 

ツチ系住民の生き残りを血眼になって探すフツ系過激派の中には、それまでの友人や隣人も含まれていました。

元隣人や友人の嘲りに満ちた掛け声を日に何度も聞かされながら、イマキュレーさんら8人は、耐え続けました。

昨日までの友人や隣人が、凶器を手に自分を殺しにやってくる・・・

これ以上の生き地獄って、ないのでは・・・?

 

彼女ら8人を匿ってくれた牧師さんはフツ系だったそうだから、フツ系とはいえ穏健派だったのでしょう。

彼女たちを匿っていたことが見つかれば、牧師さん自身はおろか家族までも皆殺しにされていたかもしれないのですから、本当に

勇気ある行為だったと思います。牧師さんが家族に内緒にしたのは、もし家族に話したら、おそらくは反対されたからでは。

より多くの人が知っていれば、それだけ秘密が漏れる危険も増しますしね。

牧師さんが差し入れてくれるわずかな食料を8人で分け合い、8人全員が座るスペースはなかったため、交代で座って休みました。

トイレは、屋内のメインのトイレが流されると同時にしか流すことができませんでした。

 

見つかれば、間違いなく殺される。

この壁の向こうで、過激派フツが聞き耳を立てているかもしれない。

女性たちは、話すことはもちろんできないし、息をすることさえはばかられる思いでした。

そんな極限状態にあったイマキュレーさんを支え導いたのは、カトリック信仰でした。

最終的に彼女は、家族を殺した人間さえも赦す境地に達します。

 

私は無信仰な人間なので、信仰の力ってすごいな・・・と驚嘆するばかり。

文字通りの『生き地獄』を体験した彼女なのに、こんなに素敵に微笑むことができるなんて!

 

現在私たちは、ロックダウンで外出も、家族友人との交流も、満足にできずにいます。

でも食べたり、着たり、風呂やシャワーやトイレを使ったり、眠ったりといった、基本的な生活習慣にはまったく問題はありません。

それどころか読書はできるし、テレビはもちろん(会員になっていれば)有料の番組だって豊富に見られるし、

必要なものは注文すれば配達してもらえるし、インターネットを使ってビデオ通話までできる。

イマキュレーさんの3ヶ月と比べたら、天国そのものじゃありませんか!

だから今は、一日も早くコロナ禍が終息するよう、頑張って協力して我慢しましょうよ!と、思うんです。

 

イマキュレーさんは国連職員の男性と結婚して一男一女の母となり、現在はニューヨーク在住だそうです。

彼女とご家族の将来が幸せ一杯でありますよう、心からお祈りします。

 

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2 コメント

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Unknown (チビまま)
2021-02-19 03:03:58
こ、怖すぎです。。。
この方のこと知りませんでした。
こんな極限状態で生きた心地しなかったでしょうね。
なんでこんな酷い仕打ちをかつての知り合いや友人から受けなくてはならないのか。。。民族間の争いであっても、本当に酷すぎます。

ウィルスも怖いしロックダウンも収入が減ったりで大変なことも多いですが、それはそれでいい面もあるので、家にいれば普通に暮らせるというのは、戦争に比べたらまだまだ楽な方ですよね。それでデモとか自由がないとか文句を言うのはビックリです。
あと、母が日本のニュースで見たと言っていたのですが、ロンドンに住む日本人たちがロックダウン中でも公園とかで待ち合わせてエクササイズ(?)しているとのことだったのですが、それって禁止されているにでは??と疑問でした。人によるのでしょうか。。
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Unknown (ハナママゴン)
2021-02-20 07:11:07
ほんと、こういう事件があると、一番怖いのは人間だとつくづく思いますよね。
丸々3ヶ月もを極限状態で過ごすって・・・精神錯乱や発狂してもおかしくない状況なのに・・・
イマキュレーさんが助かり、それどころか立派に人生を開花させたことに、心から拍手を送ります。

ロンドンって感染が最悪状態の地域のひとつですよね。
待ち合わせてエクササイズって、本当だとしたら、何を考えているんでしょうね!?
感染対策を軽視したのだから、た~っぷり絞られてた~っぷり罰金を取られますように!
そもそも日本人のイメージを悪くするような行為は、絶対にやめて欲しいです。
真面目にステイホームしている日本人に迷惑だ~!!
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