ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

『大草原のビッチの告白』 ⑥ 忌わしい過去

2019-09-14 22:03:26 | ひと

《  からのつづき 》

 

アリソンの両親は、ともにカナダ出身。

バンクーバーで父親のトア(Thor)がプロデューサー兼マネージャーを、母親のノーマが女優をしていたときに二人は出会い、1954年に結婚しました。

移り住んだトロントで、翌1955年に、アリソンの兄ステファンが誕生。1962年1月18日にアリソンが生まれたとき、一家はニューヨークに住んでいました。

(トアは一時期俳優もしていたようで、二人が共演したこともあったようです。)

  

母親のノーマ・マクミラン(Norma MacMillan)は女優のみならず声優としても才能があり、複数のキャラクターを声で演じ分けられるので、子供向けアニメ番組で重宝されました。

彼女が演じたキャラクターには、フレンドリーなオバケのキャスパー(Casper the Friendly Ghost)や緑色をしたクレー粘土アニメのキャラクターのガンビー(Gumby)などが含まれました。

   

父親のトアは、孤児院育ち。彼の母親は、彼を産んだものの自力で育てられなかったので、孤児院に預けたそうです。

   

 

 多忙なアリソンの両親はしょっちゅう家を空けるようで、そういうときはベビーシッターを頼みました。ベビーシッターたちは俳優だったり、友人だったり、

知人だったり、友人の友人だったり。アリソンの両親はベビーシッターの適性に関しては盲目だったようで、彼らの多くはエキセントリックだったり、

極度のアルコールや麻薬中毒だったり。中には狂っていて、のちに精神病院に収容された人すらいました。

そんなベビーシッターたちも、両親の一番のお気に入り(一番安くてほぼいつでも使える)――兄のステファン――よりはましでした。

アリソンより6歳年上のステファンは、5歳のときに子役としてデビュー。『巨人の惑星』(1968年)のバリー・ロックリッジ少年役で有名になり、

12歳になる頃にはティーンのアイドルになっていました。

  

  

            

 (こんな画像もでてきたから、日本でもそれなりに人気があったんでしょうね。アイドルっ!?マジでっかー!?みたいなルックスですが。

時代が時代だったのでしょう。今だったら絶対人気出ないと思う。)

   

 

 

 しかし彼は、当時すでに定期的に学校に行かず、精神的に不安定で医者にかかったことがあり、喫煙・飲酒・麻薬に手を出して見つかったこともありました。

両親は、そんな彼になぜ6歳だった私のベビーシッターをさせたのだろう?

大人になったいま、アリソンには「両親はきっと、兄に責任感というものを学ばせたかったのだろう」としか思えません。

兄姉が弟妹を虐めるのは珍しいことではないものの、ステファンは異常でした。キッチンからナイフを出してきて、「誰かに言ったら首を切るぞ」と脅しました。

両親に言おうと試みなかったわけではありません。が、当時ステファンは有名で、両親の目には万事順調に映っていたのです。

アリソンは両親に、何度も、ステファンと自分だけにしないよう懇願しました。が、「妹とあまりひどいケンカをしちゃだめよ!」とだけ言い残して、

両親は出かけてしまうのでした。間もなくアリソンは、口をつぐんでいるしかないことに気がつきました。ステファンには不思議な魔力があり、

大人たちは誰もが彼が天才だと信じ、彼が言うことは何でも真実と思いこんでしまうようでした。

ステファンは、アリソンが彼に答えられない質問をしたり論理的すぎることをたまたま言ったりすると、彼女を叩きました。

 

それが始まったとき、アリソンは6歳でした。セックスが何かも、赤ちゃんがどこから来るのかも知りませんでした。

2頭の飼犬が交尾しているのを見て、大人にあの犬たちは何をしているのか訊いても、くすくす笑いしか返って来ず、誰もきちんと教えてくれませんでした。

6歳年上の兄ステファンを除いては。ステファンは、アリソンにそれを教えることにしました。自宅の、閉ざされた車庫の中で。

無垢だけど馬鹿ではなかったアリソンは、あの犬たちがしていたことの説明をするのに、なぜ自分が着ているものを脱いで横になる必要があるのか兄に訊きました。

でも、いつも通りの反応しか返ってきませんでした。「いいから言われた通りにしろ!(JUST DO IT!)」

それまでの短い人生で、アリソンは、自分の体は自分だけのものだと教わっていませんでした。

そしてステファンは、アリソンの体が誰のものと思っているかを明らかにしました。

記憶にあるのは、痛みでもなく、怖れでもなく、ただただ、混乱。

それから、冷たさ。身体の、そして感情の。

暗く、寒く、汚い車庫の中、冷たい、汚れたトランクの上に、裸で仰向けに横たわって。

ステファンは自分が何をしているのか説明したけれど、なぜそれをしているのかは言いませんでした。

それから、まるでアリソンはそこに存在しなくなったかのようでした。取り繕うためのうわべだけの優しさも、感情も、言葉も、一切ありませんでした。

アリソンは、ステファンが奇妙な目的を達成するために見つけた、物体に過ぎませんでした。

 アリソンの上に乗ったステファンは、まるで世界中に彼一人きりになってしまったかのようでした。

行為が終わると、アリソンは彼に、行為の目的は何だったのか尋ねました。が、曖昧な返事しか返ってきませんでした。

行為の結果、自分が赤ちゃんを産むことになるのか、あるいは数匹の仔犬が生まれてくるのか、それともふたつめの頭が生えてくるのか?

アリソンにはわかりませんでした。唯一はっきりとわかったのは、ステファンが最後に言った言葉でした。

 “Whatever you do, don't tell anyone. Or else.” (絶対に誰にも言うなよ。さもないと。)

 

性的虐待は定期的に行われるようになりました。少なくとも週3回で、毎日だったこともありました。

数ヶ月が経ったころ、当然ながらアリソンは、家を出たいと思うようになりました。両親に家を出て一人で暮らしたいと言いましたが、

6歳児にはそれはできないと言われました。家にいる時間を減らすため、オーディションを受けたり、ちょっとした子役の仕事についたりしましたが、

十分ではありませんでした。ステファンによる性的虐待は続き、彼はアリソンに麻薬も教えました。

アリソンが8歳のとき、14歳になっていた彼は一日中家にいるようになりました。1970年に『巨人の惑星』がキャンセルされたあと、彼は

声変わりし、身長も6フィートを超えました。普通の14~15歳なら大人に見えることを喜んだでしょうが、子役にとってそれは死を意味しました。

 

 1971年。アリソンは9歳、ステファンは15歳で、性的虐待は続き、彼の欲求は高まる一方でした。

その頃にはアリソンも、彼がしている行為を理解していました。が、それを止める方法を、まったく思いつきませんでした。

 当時は子供に向けた『誰かがあなたを傷つけたらするべきこと』のTV公告も、パンフレットもありませんでした。

アリソンは一人ぼっちでした。

一般大衆にとって、当時は単純に、近親相姦も子供への性的いたずらも、存在しなかったのです。

学校の教師でさえ、児童が虐待されていることに気づいても、警察に通報することを禁じられていました。

通報が許されるようになったのは、1974年にCAPTA(Child Abuse Prevention and Treatment Act)が議会を通過してからでした。

そのときまでは“そういったこと”は、ごく稀に、貧しい、荒廃した、過疎の地域、あるいはスラムで暮らす家族にしか起こらないとみなされました。

万が一にもそれについて知ってしまった場合は、『干渉しないこと』を期待されました。

もし誰かが、“そういったこと”で捕まったら?刑務所に送られた?――その可能性は高くありませんでした。

子供への性的いたずらを犯した人間が刑務所に送られるというのは、わりと新しいことでした。1950年まで、カリフォルニア州における

大人による子供へのレイプ――触れたり弄んだりのいたずらではなく、ずばり、力づくでのレイプ――の罰は、30日間の収監でした。

子供へのレイプは、軽犯罪でしかなかったのです。被害者はただの子供だったから、本当の人間をレイプしたわけではないと。

1949年11月に、それまでの罰則を変える事件が起きました。ロサンゼルスに住んでいた6歳のリンダ・ジョイス・グラコフト(Linda Joyce Glucoft)が、

フレッド・ストローブル(67歳)に、レイプされ殺されたのです。ストローブルは女児のレイプの前科があり30日間収監されていたことがわかり、

大衆の怒りが爆発。法が改正され、子供へのレイプは少なくとも重罪とみなされるようになりました。

       

 

兄による性的虐待から逃れる可能性を見出したのは、まったくの偶然でした。デイ・キャンプに参加していたアリソンは、年上の参加者たちが、

「誰かがレイプされた」と冗談交じりに噂しているのを耳にしました。アリソンが父親にレイプとは何かを尋ねると、父親は「誰かが、それをしたくない

他の誰かと、無理矢理性行為をもつことだよ」と教えてくれました。そしてそれは、違法な行為だと。

アリソンは、床に叩きつけられた気分になりました。『違法な行為』の部分にではなく、『それをしたくない誰か』の部分に。

ステファンは自分の要求を通すことにあまりにも長けていたため、アリソン自身がそれを『したい』か『したくない』かという考えにはまったく思い至らなかったからです。

セックスは、人々がしたいからするものだということを、アリソンは知りませんでした。そうするよう言われたらしなければならないものだと思っていました。

“あれ”を自ら進んでしたがる人間がいるなど、想像すらできずにいました。

 アリソンは、ステファンの次の要求を拒否しました。彼がいつも通りの脅し文句を並べ始めると、深く息を吸い込んで、言いました。

私にこれを強要するのは違法行為だと私は学んだわ。今すぐ私の部屋から出ていかないと、警察を呼ぶわよ。

はったり?おそらくそうでした。

当時でさえ、“家族内の”いたずら行為に関しては、警察は大したことはしないだろうとアリソンは考えたし、それはおそらく正解でした。

ステファンは笑い、彼女を嘲りましたが、リスクを冒すことはやめ、ズボンのファスナーを引き上げながらアリソンの部屋を出て行きました。

この執行猶予は、いつまでもつだろう?ステファンが二度と私に触れないよう、何とかしなければ。 アリソンは思いました。

 

何とかして、町を出なければ・・・と気をもんでいたアリソンに、信じられないような幸運が舞い込みました。映画に出演することが決まったのです。

Throw Out the Anchor という映画で、ハンサムな男やもめが二人の子供を連れて新生活を求めてフロリダに移住し、ハウスボートを借りて暮らし始め、

美しい女相続人と知り合って、ロマンスが花開いて・・・といった内容でした。母親と共に撮影地であるフロリダ州オーランドに移ったアリソンは、

1972年の夏の3ヶ月を心の底からリラックスして過ごしました。そしてラッキーなことに、撮影が終わってロサンゼルスに戻る頃には、ステファンは

友達とアパートメントを借りて住むことが多くなり(麻薬パーティーを開いて家主に蹴り出されてはまた別のアパートメントを見つけて、の繰り返し)、

家には時折戻るだけになっていました。こうして6歳から9歳まで続いたアリソンの被害は、ようやく終わりを告げました。

 

  

 

映画に出演したあとは順調に仕事が入るものと期待しオーディションを受け続けたアリソンでしたが、その後は仕事が入らず、大いに落胆させられました。

あいにくその頃は、あの素晴らしく忌々しいジョディー・フォスターがいて、すべての役をさらってしまっていました。オーディションで彼女を見たら、

すごすごと家に帰るのが賢明なことでした。その頃マネージャー業を本格的に始めていたアリソンの父親トアは、「一本の映画に出演したあと、狂ったみたいに

忙しくなる俳優もいれば、まったく仕事が入らなくなる俳優もいる。お前の場合、18歳になるまで仕事は入らない可能性もあるから覚えておきなさい。」と

忠告してくれました。アリソンにもちゃんとわかっていました。子役は成長し、ある朝目覚めると突然別人の様相になっていることもあります。

私はもう最盛期を過ぎて、終わってしまったのかしら?たったの11歳で?

ネリー・オルソン役のオーディションに呼ばれたのは、父親に諭されてから一週間も経たないうちでした。そのオフィスには、もう何度か行ったことがありました。

最初に行ったのは、『大草原の小さな家』のTVドラマ化が決まった直後。台本の試し読みは頼まれることなく、プロデューサーのエド・フレンドリーが

傍らに積まれた『大草原』のシリーズ本を指して、不気味な口調で尋ねました。「これらが何か、知っているかね?」

「えっと、本ですか?」

役は獲得しなかったものと、アリソンは思いました。それまで『大草原』シリーズを読んだことも、ローラ・インガルス・ワイルダーの名を聞いたこともなかったからです。

でもアリソンの回答は、チャンスを粉々にしたわけではなさそうでした。数週間後にローラ役、その翌週にメアリー役のオーディションに、呼ばれたからです。

どちらの役も獲得しなかったのにまたもやネリー役のオーディションに呼ばれたアリソンは、このドラマには少なくとも千人の登場人物がいると確信しました。

(この部分の流れは、ここから『大草原のビッチの告白』①につづく。)

 

 

《 につづく 》

 

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2 コメント

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Unknown (ちい)
2019-09-15 20:12:58
こんな大変な目に遭っていたんですね。
可哀想過ぎる。
よくグレないで育ちましたよね。

兄は不細工ですよね(笑)
これでアイドルって。
しかもアイドルなら妹じゃなくてもいくらでも相手がいるだろうに、何故でしょう。
根っからロリコンの変態だったんでしょうか。
彼は今どうしてるのか気になります。
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最低の兄ですよね! (ハナママゴン)
2019-09-17 06:21:37
こんなひどい過去を背負いながら、ネリーを演じていたとは・・・。
ほんと、よく道を踏み外さずに成長できたものです。
今日最後の章で、一番書きたかった部分を書き終えてUPしました。
ぜひ読んでくださいね!
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