《 ローラ・インガルス・ワイルダー ④ からの続きです 》
のちにローラの夫となるアルマンゾ・ジェームズ・ワイルダーは、富裕な農夫ジェームズ・ワイルダー(1813年1月26日-1899年2月)とその妻アンジェリーン(1819-1905年)との間に生まれた6人の子供のうちの第5子として、ニューヨーク州バーク町にあった一家の農場で生まれました。
6人兄弟は、上から:
長女ローラ・アン(1844年6月15日-1899年4月16日、1874年にハリソン・ハワードと結婚)、
長男ロイヤル・グールド(1847年2月20日-1925年4月21日、1893年にエレクトラ・ハッチンソン夫人と結婚)、
次女イライザ・ジェーン(1850年1月3日-1930年6月1日、1893年にトマス・サイヤーと結婚、1904年にマックスウェル・ゴードンと再婚)、
三女アリス・マリア(1853年9月3日-1892年2月22日、1879年にアルバート・ボールドウィンと結婚)、
次男アルマンゾ(1857年2月13日-1949年10月23日、1885年8月25日にローラ・インガルスと結婚)、
三男パーリー・デイ(1869年6月13日-1934年5月10日、1897年にエルジー・メリットと結婚)。
アルマンゾの家族写真 アルマンゾの両親
(家族写真は左から: ロイヤル、アルマンゾ、父ジェームズ、ローラ・アン、パーリー(手前)、母アンジェリーン、イライザ・ジェーン、アリス・マリア)
アルマンゾはニューヨーク州マローンの生まれとよく記述されますが、厳密に言えば一家の農場はマローン(Malone)の東に位置するバークの町(Burke)にあった(マローンからは約8km)そうです(=ウィキペディアより)。 アルマンゾの父親ジェームズが88エーカーの土地を買ってそこに落ち着いたのは、1840年のことでした。 『大草原』 物語シリーズが有名になると “アルマンゾとローラ・インガルス・ワイルダー協会” が発足され、1987年に同協会はもともと88エーカーあったワイルダー農場の土地のうち84エーカーを買い取ることに成功。 1988年と1989年の調査の結果、ワイルダー一家が住んでいた家は当時のものが現存していると結論づけられました。 すでに無くなっていた納屋、鶏小屋、井戸などは再建され、ギフト・ショップや博物館を擁するビジター・センターが建てられ、現在ここは Wilder Homestead というアトラクションになっているそうです。
アルマンゾの子供時代については、ローラ・インガルス・ワイルダーの第2作 『農場の少年』 で詳細に描かれています。 9歳の誕生日を目前に控えたアルマンゾの、農夫の息子として忙しく働く毎日――朝5時に起きて牛の乳搾りをし、家畜に餌をやり、畑仕事をし、冬には薪を運び、貯氷室を一杯にし、若い雄牛を訓練し、父親に許されたときは学校に通う――が、一年以上にわたって生き生きと描かれています。 物語の中ではアルマンゾは4人兄弟の末っ子で、長姉ローラ・アンと弟のパーリーは省かれています。 これはアルマンゾが9歳になる年(1866年)にはローラ・アンは22歳で歳が離れすぎていたし、ローラがもう一人登場すると読者である子供たちを混乱させるかもしれないと作者が懸念したため、また弟のパーリーはまだ生まれていなかったためと思われます。
アルマンゾ(9歳)とすぐ上の姉アリス・マリア 青年時代のアルマンゾ 弟パーリー(左)、兄ロイヤル(中)とアルマンゾ
アリス・マリア 長姉のローラ・アン(中)とその子供たち
干ばつによる不作が続いたため、ワイルダー一家は1875年に農場と土地を売ってマローンを離れ、ミネソタ州スプリング・ヴァレーに移住します。 1879年、ロイヤル、イライザ・ジェーンとアルマンゾはダコタ準州に移り、それぞれがのちにサウス・ダコタ州デ・スメットの町となる土地の近くに自作農場を申請。 インガルス一家は、まだ町ができる前にこの地域に落ち着いた最初の移住者で、アルマンゾはここで、将来の妻となるローラに出会います。
アルマンゾの兄ロイヤルは、デ・スメットで飼料店を営みました。 1880年から1881年にかけての厳しい冬では、アルマンゾとともに、暖をとるための燃料がなくなった町の人々のため干し草を運搬。 人々は干し草をよって薪の代わりに火にくべ、凍死を免れたのです。 結婚後のローラ一家がジフテリアに倒れたとき、ローラとアルマンゾを看護して回復を助けたのはロイヤルでした。 (インガルスの家族は、二人の娘であるローズを世話しました。) ロイヤルは1890年にデ・スメットを離れ、両親の暮らすミネソタ州のスプリング・ヴァレーに戻り、店を開きました。 1893年に4人の子持ちの未亡人エレクトラ・ハッチンソンと結婚し、3人の子供をもうけましたが、一人は誕生時に、もう一人は生後5ヶ月で死亡しています。 ロイヤルは1925年4月21日に亡くなり、スプリング・ヴァレーの墓地に眠っています。
デ・スメットのロイヤルの飼料店 ロイヤル・グールド・ワイルダー
ローラはアルマンゾと、彼との交際と、それにつづく二人の結婚を、 『長い冬』 『大草原の小さな町』 『この楽しき日々』 『はじめの4年間』 で描いています。 1880年から1881年にかけての、異常なまでに吹雪が荒れ狂った 『長い冬』。 町を飢餓から救うため、友人キャップ・ガーランド(当時、若干16歳!)とともに命を懸けて小麦粉の調達に出掛けたのは、他ならぬアルマンゾ(当時24歳)でした。
ローラ・インガルス・ワイルダーの 『大草原』 シリーズは “個人的体験を基にしたフィクション” と著者自身が定義しています。 ゆえに物事の起きた順序が入れ違えられたり、複数の人物がまとめて一人の人物として描かれたり(例えば宿敵ネリー・オルソン)しています。 『長い冬』 に関しても、吹雪の頻度や持続期間には物語をドラマチックにするための誇張が含まれていると考えられています。 アルマンゾとキャップが小麦粉を求めて旅した距離は、32kmではなく実際は19kmだったであろうとも推測されています。
しかしながら、 “The Snow Winter” として観測史に名を残すその冬は、たしかに例年になく厳しいものでした。 10月初旬に訪れた初吹雪は3日間荒れ狂い、その間は1m先の物体さえ見極めることができなかったそうです。 土と混じった雪が線路を深く凍らせたため、列車は春まで運行停止になってしまい、燃料と食料の供給路を断たれた町の人々は次第に飢えていきました。 凍死する家族も出始めました。 そんな厳しい冬の、いつまた猛吹雪が襲うかもしれない中を、アルマンゾとキャップが身の危険を冒して小麦粉を持ち帰り、町の人々を飢えから救ったのは事実なのだから、ここは大いに敬意を表したいところです。
“The Snow Winter” の資料画像
教師になったアルマンゾの姉イライザ・ジェーンは、ニューヨーク州マローンでもミネソタ州スプリング・ヴァレーでも教鞭を取り、デ・スメットでもローラが通う学校の先生になりました。 『大草原の小さな町』 では、プラム・クリークからのローラの宿敵ネリー・オルソンがワイルダー先生に取り入ってローラと先生を敵対関係にしてしまいますが、実際にそのような行為に出たのはネリー・オルソンのモデルとなった三人の人物のうちの一人で、前任教師のマスターズ先生の甘やかされた娘のジュヌヴィエーヴ・マスターズだったようです。
イライザ・ジェーンはその後ワシントンD.C.に移り、内務省に勤務し、42歳のときに結婚歴が2回あるトマス・サイヤーと結婚、二年後に息子を産んでいます。 1899年に夫と死別。 聡明な姪のローズ(アルマンゾとローラの娘)を彼女が家において教育をサポートしたのは、ちょうどその頃でした。 1904年にマックスウェル・ゴードンと再婚しましたが、その後別居。 1930年6月1日に死去しました。
イライザ・ジェーン・ワイルダー・サイヤー=ゴードン
(勝気なイライザ・ジェーンは、『農場の少年』 でかなり意地悪な姉として描かれていたような覚えがあります。 だからローラの敵になったというのも、あながち創作ではないのでは。)
この頃アルマンゾは、当時15歳のローラを、町の集会や教会の帰りに家まで送ることを申し出るようになります。 アルマンゾはローラより10歳も年上だったので、ローラにとってはアルマンゾは当初、恋愛の対象というよりは “父さんの友達” のような存在でした。 “新作” Pioneer Girl でも、ローラは明るい笑顔が魅力的な学友キャップ・ガーランドに魅かれていたことを告白しているそうです。
規定の16歳には達していなかったにもかかわらず、特別に教員免状を授与されたローラは、デ・スメットから19kmも離れた土地で、下宿をしながら自分とほぼ同年代、あるいは年上の生徒たちを教え始めます。 初めて家族から離れて先生の仕事についたローラでしたが、下宿先の夫婦の間は冷え切っていて会話もなく、ローラはひどいホームシックに陥ります。 そんなローラを、週末家族と過ごせるよう迎えに来てくれたのは、“父さん” ではなくアルマンゾ・ワイルダーでした。 ローラはアルマンゾが送り迎えしてくれるのは “父さん” への好意からだろうと単純に解釈していましたが、アルマンゾの美しいモルガン種の馬(Morgan Horses)、プリンスとレディーに心惹かれます。
『測量技師の家』 の隣に再現された、ローラが初めて教えた学校
(学校というよりは物置小屋ですね。 ローラが教えた冬季は、ものすごく寒かったことでしょう・・・)
二ヶ月間の教職を無事終えたローラは、稼いだ40ドルを “父さん” に渡し、メアリーの盲学校の費用にしてもらいます。 (授業料や寄宿費用は州政府が負担したものの、盲学校と自宅の間の旅費や衣料などの生活諸費用は個人負担だったため。) ローラはもうアルマンゾに会うことはないと考えましたが、アルマンゾは、冬のそり遊びや春の二輪馬車でのドライブにローラを誘いつづけ、彼の好意に気づいたローラも次第に彼に魅かれていきます。 Pioneer Girl によると、当初キャップ・ガーランドに好意をもっていたローラは、迎えに来てくれたのがキャップだったら・・・と思っていました。 でも実際にキャップがそり遊びに誘ってくれたとき、それまで通りアルマンゾと出かけたい気持ちになっている自分に気がついたそうです。
アルマンゾがよく馬具を買った Shaub 馬具店 1883年当時のデ・スメット
アルマンゾに興味をもっていたステラ・ギルバート(ローラの著作の中ではこれもネリー・オルソンの仕業になっています)がアルマンゾとローラの間に割って入ってローラを苛立たせますが、これはアルマンゾが、若い娘同士の敵愾心には無頓着だったためでした。 ローラがアルマンゾにはっきりと説明したためアルマンゾはステラから距離を置きます。
ゆっくりと愛を育んだ二人は、3年の交際期間を経て、1885年8月25日にブラウン牧師の家で結婚。 このときアルマンゾは28歳、ローラは18歳になっていました。
《 ローラ・インガルス・ワイルダー ⑥ につづく 》
このシリーズ、あと2パート残っているのでぜひ読んでくださいね。