諏訪地区は、伊賀市役所の北約10kmのところです
伊賀市役所西側の道路を北へ進みます、約700mの「伊賀白鳳高等学校 サッカー場」東側で斜め左(ほくほく栖)へ
道成りに約800mの伊賀線茅町駅前に丁字路交差点を左(西)へ、建小津56号線です
約300mの「信楽・県道56号線⇒」の標識に従って信号を右(北)へ
約2.7kmの「信楽・伊賀上野駅・国道422号線⇗」の標識で信号を右(北)へ伊賀上野橋を渡ります
約400m、伊賀上野橋を渡った「22km信楽⇨」の標識で信号を右(東北東)へ
道成りに一山超えた約5.9kmの左(西)側に南向きで諏訪神社が鎮座します
JAいがふるさと諏訪支店前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

南側から諏訪神社入口です

村社諏訪神社社號標です

「上野市指定諏訪神社大杉」の標柱です

赤い欄干の橋を渡ります

ニノ鳥居は木製です

手水舎です



参道右手に目的の大杉です



南東側から

東側の祠に中には石碑が納められています



南側から

説明版です
上野市指定天然記念物
諏訪神社の大杉の由緒記
当神社は朱雀帝(930~945)の頃、真諒山長楽寺の境内に甲賀三郎兼家が自己崇敬の諏訪神社を信州より勧請したと伝えられ、天正の乱後の明暦3年(1657)本殿を再興、大正2年長楽寺を廃し、後年地区内神社を合祀、今日に至っている。
平成5年11月、環境庁が行った巨樹・巨木調査の結果、伊賀地方での巨木といわれ、地上8.6mのところで大幹と小幹に分岐しているところから地域では伊賀一の夫婦杉と称し、保存管理している。
樹齢約400年と推定され、この巨木の岩根の規模など虚空にそびえる様は、幾百年の星霜に耐えてきた、御神木として古く神社の歴史を物語っている。
●樹高46m、地上1.5mでの樹幹周囲6.18m
●直径、長径2.18m、短径1.47m、根元樹幹周囲7.4m
●上野市指定 平成7年4月27日
諏訪文化財保存会

「伊賀一の夫婦大杉」の表札です



南西側から



西側から見上げました

参道向かい側の大きな切り株です

参道石段を上ります

拝殿です


本殿です

説明石碑です
諏訪神社略記
祭神 大己貴命 建御名方命 八坂入姫命
信濃国諏訪大社、同祭神にして富貴円満、御願成就、諏訪信仰を今に伝える諏訪地区二百数十戸の氏神
記
古代の霊地笹ヶ岳を望む直諒山長楽寺の境内に朱雀帝(930~945)の頃、甲賀三郎兼家と申す者自己崇敬の諏訪大神を信州より勧請したと伝える古社にして、天正伊乱後明暦3年(1657)現本殿を再興。
明治初年長楽寺を廃し、同41年地区内神社を合祀し合せて境内整備に務め今に至る。
文化13年(1816)伯家神道長官、資延王扁額奉納あり。
では、次へ行きましょう

2025.4.17・09・40
伊賀市役所西側の道路を北へ進みます、約700mの「伊賀白鳳高等学校 サッカー場」東側で斜め左(ほくほく栖)へ
道成りに約800mの伊賀線茅町駅前に丁字路交差点を左(西)へ、建小津56号線です
約300mの「信楽・県道56号線⇒」の標識に従って信号を右(北)へ
約2.7kmの「信楽・伊賀上野駅・国道422号線⇗」の標識で信号を右(北)へ伊賀上野橋を渡ります
約400m、伊賀上野橋を渡った「22km信楽⇨」の標識で信号を右(東北東)へ
道成りに一山超えた約5.9kmの左(西)側に南向きで諏訪神社が鎮座します
JAいがふるさと諏訪支店前の道路脇に


南側から諏訪神社入口です


村社諏訪神社社號標です


「上野市指定諏訪神社大杉」の標柱です


赤い欄干の橋を渡ります


ニノ鳥居は木製です


手水舎です




参道右手に目的の大杉です




南東側から


東側の祠に中には石碑が納められています




南側から


説明版です
上野市指定天然記念物
諏訪神社の大杉の由緒記
当神社は朱雀帝(930~945)の頃、真諒山長楽寺の境内に甲賀三郎兼家が自己崇敬の諏訪神社を信州より勧請したと伝えられ、天正の乱後の明暦3年(1657)本殿を再興、大正2年長楽寺を廃し、後年地区内神社を合祀、今日に至っている。
平成5年11月、環境庁が行った巨樹・巨木調査の結果、伊賀地方での巨木といわれ、地上8.6mのところで大幹と小幹に分岐しているところから地域では伊賀一の夫婦杉と称し、保存管理している。
樹齢約400年と推定され、この巨木の岩根の規模など虚空にそびえる様は、幾百年の星霜に耐えてきた、御神木として古く神社の歴史を物語っている。
●樹高46m、地上1.5mでの樹幹周囲6.18m
●直径、長径2.18m、短径1.47m、根元樹幹周囲7.4m
●上野市指定 平成7年4月27日
諏訪文化財保存会

「伊賀一の夫婦大杉」の表札です




南西側から




西側から見上げました


参道向かい側の大きな切り株です


参道石段を上ります


拝殿です



本殿です


説明石碑です
諏訪神社略記
祭神 大己貴命 建御名方命 八坂入姫命
信濃国諏訪大社、同祭神にして富貴円満、御願成就、諏訪信仰を今に伝える諏訪地区二百数十戸の氏神
記
古代の霊地笹ヶ岳を望む直諒山長楽寺の境内に朱雀帝(930~945)の頃、甲賀三郎兼家と申す者自己崇敬の諏訪大神を信州より勧請したと伝える古社にして、天正伊乱後明暦3年(1657)現本殿を再興。
明治初年長楽寺を廃し、同41年地区内神社を合祀し合せて境内整備に務め今に至る。
文化13年(1816)伯家神道長官、資延王扁額奉納あり。
では、次へ行きましょう


2025.4.17・09・40
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