上野(本郷)地区は、中津川市役所の北約15km、中津川市役所坂下総合事務所の北西約5kmのところ
中津川市役所坂下総合事務所北側の「坂下」信号から国道256号線を西へ進みます
道成に約1.6kmの「⇐下呂・国道256号線」の標識に従って「弥栄橋」信号を左(北西)へ木曽川を渡ります
約200mで左に国道256号線を分けて県道3号線を進み、約500mのコメリ手前の交差点を左(西北西)へ
道成りに坂道を約2.5kmで一時停止で右(西北西)へ、南へ遠回りして来た国道256号線に戻りました
道成に約2.4kmで右(北東)へ農道に入ります、約100mの丁字路を左(北西)へ

間も無く右手に南西向きに大洗磯前神社の参道です
参道を入った境内に
車を止める事が出来ました

鳥居です

苔に覆われた手水鉢です

階段を上がります

正面にあるのは薬師堂です

「岐阜県重要文化財(彫刻)木像薬師如来坐像」の標柱です

説明版です
上野薬師寺
元薬王山東光寺(上野のお薬師様で親しまれ、往時下野の庚申様とペアで詣られ、決して片参りがなかったと言われる)非常に霊験あらたかな仏様で、作られた年代が南北朝末期とされ、北朝年号があったとされるが、本尊が解体修理がなされ、現在見ることは出来ないが武家方であったものの様である。
室町時代には本郷に居住したとされる吉田氏の加護により大寺であったとされる。
境内裏山に入られる大杉も県天然記念物に指定される大杉で、恵北地方においても加子母小郷の大杉に比定される。
昭和63年10月 坂下町教育委員会
*平成17年(2005)2月13日 旧中津川市に 恵那郡坂下町・川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村、ならびに長野県木曽郡山口村を編入して現中津川市になり、これにより恵那郡が消滅しました。



左手にイチョウです

「市指定天然記念物 磯前神社のイチョウ」の標柱です



南東側から、樹高13m、目通幹囲4.3mの大木です

薬師堂の左手の御堂です

磯前神社社殿の後方に「県指定天然記念物の大杉」です

大洗磯前神社社殿です

「岐阜県天然記念物 磯前神社のスギ」の標柱です


社殿脇から見上げました


.南側から、樹高50m、目通り幹囲6.7mの巨木です



ズームアップして見ました



南西側から



社殿裏側から見上げました
では、次へ行きましょう

2025・7・26・07・00
中津川市役所坂下総合事務所北側の「坂下」信号から国道256号線を西へ進みます
道成に約1.6kmの「⇐下呂・国道256号線」の標識に従って「弥栄橋」信号を左(北西)へ木曽川を渡ります
約200mで左に国道256号線を分けて県道3号線を進み、約500mのコメリ手前の交差点を左(西北西)へ
道成りに坂道を約2.5kmで一時停止で右(西北西)へ、南へ遠回りして来た国道256号線に戻りました
道成に約2.4kmで右(北東)へ農道に入ります、約100mの丁字路を左(北西)へ

間も無く右手に南西向きに大洗磯前神社の参道です

参道を入った境内に


鳥居です


苔に覆われた手水鉢です


階段を上がります


正面にあるのは薬師堂です


「岐阜県重要文化財(彫刻)木像薬師如来坐像」の標柱です


説明版です
上野薬師寺
元薬王山東光寺(上野のお薬師様で親しまれ、往時下野の庚申様とペアで詣られ、決して片参りがなかったと言われる)非常に霊験あらたかな仏様で、作られた年代が南北朝末期とされ、北朝年号があったとされるが、本尊が解体修理がなされ、現在見ることは出来ないが武家方であったものの様である。
室町時代には本郷に居住したとされる吉田氏の加護により大寺であったとされる。
境内裏山に入られる大杉も県天然記念物に指定される大杉で、恵北地方においても加子母小郷の大杉に比定される。
昭和63年10月 坂下町教育委員会
*平成17年(2005)2月13日 旧中津川市に 恵那郡坂下町・川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村、ならびに長野県木曽郡山口村を編入して現中津川市になり、これにより恵那郡が消滅しました。



左手にイチョウです


「市指定天然記念物 磯前神社のイチョウ」の標柱です




南東側から、樹高13m、目通幹囲4.3mの大木です


薬師堂の左手の御堂です


磯前神社社殿の後方に「県指定天然記念物の大杉」です


大洗磯前神社社殿です


「岐阜県天然記念物 磯前神社のスギ」の標柱です



社殿脇から見上げました



.南側から、樹高50m、目通り幹囲6.7mの巨木です




ズームアップして見ました




南西側から




社殿裏側から見上げました

では、次へ行きましょう


2025・7・26・07・00
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます