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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県伊賀市、柘植町「萬壽寺の椎(市指定)と芭蕉の墓」です!!

2025-04-24 06:34:53 | 巨樹・大木
 柘植町は、伊賀市役所の北東約14km、伊賀市柘植地区市民センターの南南西約1kmの所に萬寿寺があります

 伊賀市柘植地区市民センター西側の道路を南へ出ます、約150mで丁字路を左(東)へ、旧大和街道です

 約100mで一時停止の交差点を右(南)へ、約400mで一時停止を右(西)へ、国道25号大和街道です

 約400mで「芭蕉公園・福地城跡」の案内板のある信号を左(南西)へ、約150mで左(南東)へ入ります

 左手に地区の案内板です
   芭蕉翁と柘植の里
 ここは、俳聖・松尾芭蕉翁が1644年(天保元年)に生まれたと伝えられている柘植の里です。
 毎年11月12日には、松尾家の菩提寺・萬壽寺で、翁を偲ぶ「しぐれ忌」が開催されます。
 柘植の里では、芭蕉公園(福地城跡)、句碑、翁の墓碑、翁誕生宅址碑などを整備し、翁を顕彰しています。
         三重県伊賀市柘植町・山出区しぐれ忌協賛事業実行委員会

 福地城の説明版です
   史跡「福地城跡」
 福地城は西に石垣の表門をもち、四方土塁の掻揚式の城である。
 本丸内部には、石蔵跡や井戸が残り、周囲には、館跡・堀跡が現存する伊賀随一の中世の城跡である。
 昭和43年3月に県史跡に指定された。
 城主は福地伊予守宗隆で、「満済准后日記」に日置、北村と共に柘植三方と呼ばれ、当地方の国人であった。
 芭蕉翁の先祖は福地氏の一族であるので、この城跡を芭蕉公園と名付け、句碑及び生誕碑を建て後世にとどめることにした。

 下側への道路を進むと萬壽寺前に出ました

 山門前の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 「曹洞宗 徳雲山 萬壽寺」寺号標です

 「重要文化財 地蔵菩薩像」の標柱です

 説明版です
   重要文化財
     地蔵菩薩坐像
       昭和11年5月6日指定
 萬壽寺の本尊で御丈67.5cm、腹部内面に「貞治3年3月15日寛慶法橋作子息忍慶助作」の墨書銘があり、頭部内に摺佛経舎利等が納められている。
 寄木造りで眼には玉眼を入れ、衣は盛り上げ彩色の円花紋や截金の七宝紋などで飾られている。
     県指定彫刻木造不動明王立像 平成8年3月 9日指定
     市指定工芸長福寺版木    平成元年4月 1日指定
     市指定天然記念物萬壽寺の椎 平成7年3月20日指定

 手水鉢です

 正面に南向きで本堂です

 説明版です
   桃青殿
 翁の菩提寺である萬壽寺には古くから「桃青殿」をしつらえて翁の木像と位牌を安置し住持が日々供養していた。
 昭和7年萬壽寺は火災に遭い「桃青殿」も焼失し、昭和9年同時に再建された。翁の像は奈良の彫刻家横山大泉氏の作。扁額は曹洞宗トン山永平寺管長天山七十五翁の書である。
 「桃青殿」には翁の二百年忌法要と翁誕生地記念碑の除幕式に三都三十三ヶ国から献句された句集と伊賀町が毎年行っている「しぐれ忌」に全国から寄せられた献句の特選句が奉納されている。
 「桃青殿」は本堂内にある。
        伊賀町芭蕉翁顕彰会
 *芭蕉の墓は境内西側(椎の西側)に在ります 

 左手に目的のシイです

 北側から、目通り幹囲3.9mの大木です

 幹には大きな傷が出来ています、傷の中には根が伸びています

 芭蕉の句「椎:旅人の こころにも似よ 椎の花」の札が架けられています

 東向きに観音堂です

 説明版です
   観音堂の由来
 観音堂は、長福寺(萬壽寺の前身)と共に鎌倉時代に建造され、伊賀管内では最古の建物である。
 三間四方の前垂向拝作り、柱は桜の丸柱で手斧槍鉋で削られ、屋根は寄せ棟造りである。
 堂内には、木造の聖観世音菩薩を正面に、両脇には平安時代の作と言われる不動明王と毘沙門天の立像が安置されていた。
 昭和7年の萬壽寺火災時に一部損傷した不動明王の立像を修復して本尊の脇に移した。
 不動明王の立像は平成6年3月に県文化財に指定された。
 塙家では、現在観音様の縁日(18日)には月例祭が行われている。
      伊賀町芭蕉翁顕彰会

 境内社と庚申塔です

 芭蕉一族の墓碑が並びます

 芭蕉の墓碑です

 説明版です
   芭蕉の墓碑
 芭蕉の祖は福地である。翁の墓碑は福地伊予守宗隆の祈願寺であった長福寺(現在の萬壽寺)境内の生家である松尾家の墓地にあった。
 後に、松尾家の墓は山出区内の拝野墓地に芭蕉墓碑と一族の墓石の幾つかを残した。
 明治末期に萬壽寺境内墓地の現在地に石垣をめぐらし荘重にしつらえたのである。
 墓石は左側より現当主松尾弘氏の三代先の宇八郎(芭蕉から8代目)夫婦、真中はその先代の宇右エ門夫婦と翁の伯父に当る俊翁喜才信士の墓石である。
 翁の碑は「芭蕉翁桃青庵主」と刻まれ側面には元禄7年10月12日と記されている。
      伊賀町芭蕉翁顕彰会

 側面の日付は薄く見えなくなってしまっていました

 では、次へ行きましょう




 2025・4・3・13・55

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