柘植町は、伊賀市役所の北東約14km、伊賀市柘植地区市民センターの西約400mに成田山不動があります
伊賀市柘植地区市民センター西側の道路を北東へ出ます、直ぐの交差点をな斜め左(北)へ
約100mで一時停止の交差点を左(西)へ、県道50号伊賀信楽線です
約600mで横断歩道のある交差点を左(南)へ

約300mで左手に成田山の参道が出ています
前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

参道石段を上ります

長い参道石段が続きます

石段を上り切ると広い境内に出ました

大きな成田山「岩不動 底に灯のつく 明易き」の句碑です


成田山不動の本堂の先に目的のシイの木です



参道石段途中から見ました

山頂には大きな手水鉢です

成田山の石祠が大岩の上に載っています



北側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

説明版です
成田山椎老木の由来
この椎老木は樹齢、約750年余の歳月と風雪に堪え第二次天正伊賀の乱にも戦火を免れ、天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長が遂に果てた。
徳川家康は堺から河内を経て飯盛山(現四条畷)より伊賀を通って急遽三河に遁げ帰り、信長の弔い合戦をすることで、僅かばかりの備え回りの捕えなどで三河までの逃避行を決した。
道中一行がこの寺山(現成田山)の山裾の徳永寺で休息をとったと言われている。
この時に、この椎老木に見張りを立て、伊賀の乱直後の世情の混乱の中、無事警衛護送をしたと伝えられている。
平成9年10月26日 成田山柘植不動講・成田山運営委員会



北東側から

石祠前から柘植の町を見下ろしました
では、次へ行きましょう

2025・4・3・14・05
伊賀市柘植地区市民センター西側の道路を北東へ出ます、直ぐの交差点をな斜め左(北)へ
約100mで一時停止の交差点を左(西)へ、県道50号伊賀信楽線です
約600mで横断歩道のある交差点を左(南)へ

約300mで左手に成田山の参道が出ています

前の道路脇に


参道石段を上ります


長い参道石段が続きます


石段を上り切ると広い境内に出ました


大きな成田山「岩不動 底に灯のつく 明易き」の句碑です



成田山不動の本堂の先に目的のシイの木です




参道石段途中から見ました


山頂には大きな手水鉢です


成田山の石祠が大岩の上に載っています




北側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です


説明版です
成田山椎老木の由来
この椎老木は樹齢、約750年余の歳月と風雪に堪え第二次天正伊賀の乱にも戦火を免れ、天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長が遂に果てた。
徳川家康は堺から河内を経て飯盛山(現四条畷)より伊賀を通って急遽三河に遁げ帰り、信長の弔い合戦をすることで、僅かばかりの備え回りの捕えなどで三河までの逃避行を決した。
道中一行がこの寺山(現成田山)の山裾の徳永寺で休息をとったと言われている。
この時に、この椎老木に見張りを立て、伊賀の乱直後の世情の混乱の中、無事警衛護送をしたと伝えられている。
平成9年10月26日 成田山柘植不動講・成田山運営委員会



北東側から


石祠前から柘植の町を見下ろしました

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