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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県伊賀市、柘植町「成田山の椎老木」(市指定)です!!

2025-04-24 12:32:51 | 巨樹・大木
 柘植町は、伊賀市役所の北東約14km、伊賀市柘植地区市民センターの西約400mに成田山不動があります

 伊賀市柘植地区市民センター西側の道路を北東へ出ます、直ぐの交差点をな斜め左(北)へ

 約100mで一時停止の交差点を左(西)へ、県道50号伊賀信楽線です

 約600mで横断歩道のある交差点を左(南)へ

 約300mで左手に成田山の参道が出ています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道石段を上ります

 長い参道石段が続きます

 石段を上り切ると広い境内に出ました

 大きな成田山「岩不動 底に灯のつく 明易き」の句碑です

 成田山不動の本堂の先に目的のシイの木です

 参道石段途中から見ました

 山頂には大きな手水鉢です

 成田山の石祠が大岩の上に載っています

 北側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 説明版です
   成田山椎老木の由来
 この椎老木は樹齢、約750年余の歳月と風雪に堪え第二次天正伊賀の乱にも戦火を免れ、天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長が遂に果てた。
 徳川家康は堺から河内を経て飯盛山(現四条畷)より伊賀を通って急遽三河に遁げ帰り、信長の弔い合戦をすることで、僅かばかりの備え回りの捕えなどで三河までの逃避行を決した。
 道中一行がこの寺山(現成田山)の山裾の徳永寺で休息をとったと言われている。
 この時に、この椎老木に見張りを立て、伊賀の乱直後の世情の混乱の中、無事警衛護送をしたと伝えられている。
       平成9年10月26日  成田山柘植不動講・成田山運営委員会

 北東側から

 石祠前から柘植の町を見下ろしました

 では、次へ行きましょう





 2025・4・3・14・05

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