西町神田地区は、知立市役所の北西約1.5kmのところ
知立市役所東側の県道285号線を北北西に道成りに進みます
約700mの「山町」信号を左(西北西)へ、県道51号知立東浦線です
約1.1kmの「西町」信号を右(北東)へ、県道155号線です

間も無く陸橋を左の側道へ下りて次の信号左手に知立神社が南向き参道で鎮座します
知立神社境内に
車を止めさせて頂きました知立市役所の

「延喜式内 知立神社」の社號標です

一ノ鳥居です

多宝塔です

説明版です
知立神社多宝塔
国指定重要文化財(建造物)
明治40年5月27日指定
嘉祥3年(850)僧円仁が神宮寺を創建して知立神社の別当寺とし、多宝塔を建立したといわれています。
その後天文16年(1547)兵火により寺は焼失しましたが、多宝塔は永正6年(1509)再建と伝わっており、天文の災禍を免れた神宮寺の遺構と考えられます。
相輪先端までの高さは約14.5m、屋根は杮葺、四隅に宝珠を置きます。これらは明治の廃仏毀釈の際に取り外され、神社の文庫として難を逃れたもので、大正9年(1920)の解体修理の際に復元されました。
本尊であった愛染明王は廃仏毀釈で撤去されたまま現在は総持寺安置されています。
和様を基調とした均整のとれた多宝塔であり、全国的にも遺構の乏しい神宮寺の建築を知る上で貴重なものです。
知立市教育委員会


西側の正面から見上げました

石製の太鼓橋です

説明版です
知立神社の石橋
市指定文化財(建造物)
昭和44年4月1日指定
この橋は、半円形に反った太鼓橋で、すべて花崗岩で組まれている。全長6.6m、幅2.4m、高さ1.68mを測る。石の桁を弧状に通し、その上に橋板である厚さ12cmの石の板19枚が並べられている。
欄干南側右柱には「享保17年(1732)11月吉日敬白」と刻まれている。
「東海道名所図会」には「石橋は神籬の外にあり、池を御手洗という、片眼の魚ありとなん」と書かれている。
片目の魚は、身代わりとして娘を目の病から救ったためとの言い伝えがある。
知立市教育委員会

南西側から、池には錦鯉が泳いでいます

境内西側の社務所前に手水舎です



手水舎の後側に目的のトネリコです

説明版です
トネリコ
市指定文化財(天然記念物)
昭和57年6月10日指定
モクセイ科の落葉小高木で、別名サトトネリコ。
本州中部以北の山地に自生し、人家や田の畦にも植える。葉は羽状複葉で、春に淡緑色の細花をつける。雌雄異株。
樹皮を秦皮と称し、神経痛・リュウマチ、赤痢などの治療に用いる。また材は堅く弾性があるため建築・家具材や野球のバットにも用いられる。
西三河では最古のトネリコといわれている。高さは約9m、南北の枝張りが8.3m、根回りは3.4m、幹の太さは1.95mに及ぶ。
境内には他にもトネリコがある。
知立市教育委員会



北側から

離れて見ました

拝殿です

境内東側には「秋葉神社」です

於万の方像です

神馬舎です

拝殿の並びには知立神社摂社の「親母神社」です

「合祀殿」です

東端に「小山天神社」です

杮葺の本殿屋根を見る事が出来ました
では、次へ行きましょう

2025・4・3・7:55
知立市役所東側の県道285号線を北北西に道成りに進みます
約700mの「山町」信号を左(西北西)へ、県道51号知立東浦線です
約1.1kmの「西町」信号を右(北東)へ、県道155号線です

間も無く陸橋を左の側道へ下りて次の信号左手に知立神社が南向き参道で鎮座します

知立神社境内に


「延喜式内 知立神社」の社號標です


一ノ鳥居です


多宝塔です


説明版です
知立神社多宝塔
国指定重要文化財(建造物)
明治40年5月27日指定
嘉祥3年(850)僧円仁が神宮寺を創建して知立神社の別当寺とし、多宝塔を建立したといわれています。
その後天文16年(1547)兵火により寺は焼失しましたが、多宝塔は永正6年(1509)再建と伝わっており、天文の災禍を免れた神宮寺の遺構と考えられます。
相輪先端までの高さは約14.5m、屋根は杮葺、四隅に宝珠を置きます。これらは明治の廃仏毀釈の際に取り外され、神社の文庫として難を逃れたもので、大正9年(1920)の解体修理の際に復元されました。
本尊であった愛染明王は廃仏毀釈で撤去されたまま現在は総持寺安置されています。
和様を基調とした均整のとれた多宝塔であり、全国的にも遺構の乏しい神宮寺の建築を知る上で貴重なものです。
知立市教育委員会


西側の正面から見上げました


石製の太鼓橋です


説明版です
知立神社の石橋
市指定文化財(建造物)
昭和44年4月1日指定
この橋は、半円形に反った太鼓橋で、すべて花崗岩で組まれている。全長6.6m、幅2.4m、高さ1.68mを測る。石の桁を弧状に通し、その上に橋板である厚さ12cmの石の板19枚が並べられている。
欄干南側右柱には「享保17年(1732)11月吉日敬白」と刻まれている。
「東海道名所図会」には「石橋は神籬の外にあり、池を御手洗という、片眼の魚ありとなん」と書かれている。
片目の魚は、身代わりとして娘を目の病から救ったためとの言い伝えがある。
知立市教育委員会

南西側から、池には錦鯉が泳いでいます


境内西側の社務所前に手水舎です




手水舎の後側に目的のトネリコです


説明版です
トネリコ
市指定文化財(天然記念物)
昭和57年6月10日指定
モクセイ科の落葉小高木で、別名サトトネリコ。
本州中部以北の山地に自生し、人家や田の畦にも植える。葉は羽状複葉で、春に淡緑色の細花をつける。雌雄異株。
樹皮を秦皮と称し、神経痛・リュウマチ、赤痢などの治療に用いる。また材は堅く弾性があるため建築・家具材や野球のバットにも用いられる。
西三河では最古のトネリコといわれている。高さは約9m、南北の枝張りが8.3m、根回りは3.4m、幹の太さは1.95mに及ぶ。
境内には他にもトネリコがある。
知立市教育委員会



北側から


離れて見ました


拝殿です


境内東側には「秋葉神社」です


於万の方像です


神馬舎です


拝殿の並びには知立神社摂社の「親母神社」です


「合祀殿」です


東端に「小山天神社」です


杮葺の本殿屋根を見る事が出来ました

では、次へ行きましょう


2025・4・3・7:55
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