唐桑町竹の袖地区は、気仙沼市役所の北東約9kmのところ(唐桑支所からは約8kmですが・・・)
気仙沼市役所前から県道26号線を東へ、五十鈴神社を右に見て左にカーブして北へ
約1.5kmで右(東)へ国道45号線を道成りにここから約7.7km進みます
大理石海岸入口を左に見て、約1.8kmで国道左下に

加茂神社が見えて来ます

国道から境内南側へ降りて来ました
境内南側に
車を止めさせた頂きました



西側から目的のケヤキを見ました



南側から見上げました、目通り幹囲5.2mの巨木です

根元の石碑はケヤキの幹に取り込まれています



南東側から



東側から見ました

鳥居です

社殿です

説明版です
賀茂神社
ご祭神 天照皇大神
賀茂別雷神
祭神系図 神皇産霊神ー賀茂建角身命(下鴨神社)ー玉依媛命(丹塗矢)大山咋命ー賀茂別雷神
鎮座沿革
当社の創建は、建久3年(1192年)京都市鎮座、元官幣大社賀茂別雷神社(上賀茂社)よりの分霊社にて賀茂神社最初の分霊社と伝わる。
勧請年代は後鳥羽天皇の御代、当地、朝日舘の館主、星右京太夫平忠國が奥州気仙郡小原木郷を鎌倉将軍より給ひ、関東下向の際身の守護神として勧請、この地に氏神として建立。
明治維新後村社の列格され、明治39年、勅令により神饌弊帛料供進の指定神社となる。
祭神の御事歴並に御神徳
神武天皇の東征の折、多大なご神意を挙げた賀茂建角身神の御孫神にて、専ら国家を守護し、開拓、五穀豊穣の恩徳と仰ぎ、天変地異等に對する御祈願に霊効ありて、御神徳の弥高きを仰ぎ氏子、崇敬者の安泰、海上、陸上安全、稲田の災害除け等に至るまで霊験顕著にて其の信仰は近郷近在と広く崇敬されております。
賀茂皇大神ノ御託宣
一度吾前に来て一禮を成す者は其思をしたかいて神力を加て思いをとげん、増して日を重ねてたのまん人において親とあり。
社殿
ご社殿は古くは21年毎の式年にて造営、改修されていたが、現在の社殿は嘉永4年(1851年)の造営にて、その後、修理改修され、昭和45年の国道改修工事により西側に一社殿分移転、かさ上げされる。
平成23年3月の東日本大震災では氏子区内の半数が被災、全壊、流失し、当社ご社殿も3m程の波に被災したが、全壊を免れる。
境内からは広田湾を望み、大沢漁港、小田漁港の定置網漁は全国の鰹漁船の餌鰯の供給基地として栄えている。
主な祭典諸神事
当社の例祭は古くは旧暦10月14日であったが、現在11月3日に改め行われ、前夜より祭儀厳かに行われ、古来より神職だけで舞われている本吉法印太々神楽が神前に奉納される。
また旧暦閏年の翌年、正月には五日堂祭で神輿の渡御が行われ、当地、沢虎舞、伊勢神楽(柴木祭り)、手踊り等と共に地区内を巡る。
例大祭(11月3日)祈年祭 新嘗祭
式年大祭ー五日堂・渡御祭(旧暦、閏年の翌年正月)
その他、昇殿祈祷、出張祭、諸神事、随時斎行
小原木総鎮守 賀茂神社

社殿前から国道45号線の橋と道路の嵩上げ、青野沢川の堤防工事と進んでいました


国道上から大沢漁港を見ました
では、次へ行きましょう

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気仙沼市役所前から県道26号線を東へ、五十鈴神社を右に見て左にカーブして北へ
約1.5kmで右(東)へ国道45号線を道成りにここから約7.7km進みます
大理石海岸入口を左に見て、約1.8kmで国道左下に

加茂神社が見えて来ます


国道から境内南側へ降りて来ました

境内南側に




西側から目的のケヤキを見ました




南側から見上げました、目通り幹囲5.2mの巨木です


根元の石碑はケヤキの幹に取り込まれています




南東側から




東側から見ました


鳥居です


社殿です


説明版です
賀茂神社
ご祭神 天照皇大神
賀茂別雷神
祭神系図 神皇産霊神ー賀茂建角身命(下鴨神社)ー玉依媛命(丹塗矢)大山咋命ー賀茂別雷神
鎮座沿革
当社の創建は、建久3年(1192年)京都市鎮座、元官幣大社賀茂別雷神社(上賀茂社)よりの分霊社にて賀茂神社最初の分霊社と伝わる。
勧請年代は後鳥羽天皇の御代、当地、朝日舘の館主、星右京太夫平忠國が奥州気仙郡小原木郷を鎌倉将軍より給ひ、関東下向の際身の守護神として勧請、この地に氏神として建立。
明治維新後村社の列格され、明治39年、勅令により神饌弊帛料供進の指定神社となる。
祭神の御事歴並に御神徳
神武天皇の東征の折、多大なご神意を挙げた賀茂建角身神の御孫神にて、専ら国家を守護し、開拓、五穀豊穣の恩徳と仰ぎ、天変地異等に對する御祈願に霊効ありて、御神徳の弥高きを仰ぎ氏子、崇敬者の安泰、海上、陸上安全、稲田の災害除け等に至るまで霊験顕著にて其の信仰は近郷近在と広く崇敬されております。
賀茂皇大神ノ御託宣
一度吾前に来て一禮を成す者は其思をしたかいて神力を加て思いをとげん、増して日を重ねてたのまん人において親とあり。
社殿
ご社殿は古くは21年毎の式年にて造営、改修されていたが、現在の社殿は嘉永4年(1851年)の造営にて、その後、修理改修され、昭和45年の国道改修工事により西側に一社殿分移転、かさ上げされる。
平成23年3月の東日本大震災では氏子区内の半数が被災、全壊、流失し、当社ご社殿も3m程の波に被災したが、全壊を免れる。
境内からは広田湾を望み、大沢漁港、小田漁港の定置網漁は全国の鰹漁船の餌鰯の供給基地として栄えている。
主な祭典諸神事
当社の例祭は古くは旧暦10月14日であったが、現在11月3日に改め行われ、前夜より祭儀厳かに行われ、古来より神職だけで舞われている本吉法印太々神楽が神前に奉納される。
また旧暦閏年の翌年、正月には五日堂祭で神輿の渡御が行われ、当地、沢虎舞、伊勢神楽(柴木祭り)、手踊り等と共に地区内を巡る。
例大祭(11月3日)祈年祭 新嘗祭
式年大祭ー五日堂・渡御祭(旧暦、閏年の翌年正月)
その他、昇殿祈祷、出張祭、諸神事、随時斎行
小原木総鎮守 賀茂神社

社殿前から国道45号線の橋と道路の嵩上げ、青野沢川の堤防工事と進んでいました



国道上から大沢漁港を見ました

では、次へ行きましょう


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