高岡町は、松山市役所の西約4kmのところ
松山市役所から国道56号線を西へ出ます、約500mの「⇐宇和島・国小津56号線」の標識で信号を左(南)へ
約300mの「済美高校前交差点」の信号を右(西)へ、伊予鉄高浜線の踏切を越え千舟町通りを進みます
サクラメント通り、県道18号松山空港線と変わって、岩子山トンネルを貫けた
約3.3kmの「↰高岡・県道219号線」の標識に従って信号を左(南)へ
約700mの「高岡簡易郵便局」手前交差点を右(西南西)へ

間も無く右手に南南東向きの参道で弓敷天満宮が鎮座します
前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

参道入口にはゴミ収集日で家庭ゴミが集められています

水盤です

弓敷天満宮社號標です

鳥居です

菅原道真の新聞記事です

もう一枚は、令和5根11月1日の「生石まちづくり通信」です
⑱史跡廻りマップ「弓敷天満宮」
生石地区には、菅原道真公一行が履を脱いで長旅を癒したことが由緒となっている「履脱天満宮」があり、毎年2月初旬には例大祭がおこなわれ賑わいます。
「弓敷天満宮」は、松山市の路線バス、高岡・三津港線で「高岡天神前」で下車し、徒歩5分にある小さな社。
延喜元年(901年)学問の神様菅原道真公(官公)が右大臣から大宰権師(だざいごんのそち)として福岡の大宰府へ左遷されたとき、海が荒れ流され着いたのが越智郡桜井の志島ヶ原松林の浜。
その後桜井より陸路で訪れたのがこの地「高岡」。このとき猟師たちの弓を敷いて歓待し、のちに建立されてのが弓敷天満宮であると云われています。
現在の拝殿は、太平洋戦争時米軍の砲弾を受けても倒れなかったという不倒の拝殿と云われ、近年、床板も借り替えられ、参道も綺麗に改修されていまう。
また、拝殿左奥には大きなクスノキがあり、大きな枝葉が弓敷天満宮を守るかのごとくそびえ立っている、ここクスノキ、松山市の第8号指定保存木として指定されている御神木です。
推定樹齢はおよそ450年とも言われていて、最近ではちょっとしたパワースポットとして神社めぐりの仲間うちでは名をはせているようです。 石本 隆廣(記)(参考文献:ふるさと歴史散歩・他)


社殿の左後ろに目的のクスノキです

拝殿です



南側から

松山市指定保存樹木(クスノキ)の標柱です

説明版です
高岡町・天神様の大楠に注連縄飾
平成30年11月9日・曇り小雨あり(垣生山公園兼高岡高齢クラブの面々)著金子
皆様ご年配の方々・長老の貞徳進氏・先頭に、米井氏、大西氏、兵頭氏、一色氏、玉井氏、坂本氏、西高氏、皆様何でも出来る優秀な方々。
御前8時過ぎから始めて、10時頃には縄を編んで出来上がりつつありました・・・
早いし、器用な人ばかりです・・注連縄が綯へて木に掛けるが木登りの得意な玉井氏が素早く上に登っていた。
注連縄が出来上がりました・樹齢400年から450年の大楠の注連縄飾が出来上がりました。
今回の大楠に注連縄を掛ける提案をして戴いたのは、一色氏のようです・皆様の中には以前から注連縄を掛ければいいと気付いていた人も居たでしょうが、時期的なものと垣生山兼高齢クラブの積極的行動とが、上手くマッチしてのことでした。
米井氏が主で大西氏ら、ここにいる面々の協力がなければ、思うだけで出来ていないでしょう・・・よくなりました・・・神々しくなりました。
今後は、高岡の若い方々に継承して戴ければ良いと思います。 以上
*残念ながら、注連縄は掛けられていません



南東側から、根元には門松の残骸でしょうか


本殿です



東側から見ました
では、次へ行きましょう

2025・4・14・08・15
松山市役所から国道56号線を西へ出ます、約500mの「⇐宇和島・国小津56号線」の標識で信号を左(南)へ
約300mの「済美高校前交差点」の信号を右(西)へ、伊予鉄高浜線の踏切を越え千舟町通りを進みます
サクラメント通り、県道18号松山空港線と変わって、岩子山トンネルを貫けた
約3.3kmの「↰高岡・県道219号線」の標識に従って信号を左(南)へ
約700mの「高岡簡易郵便局」手前交差点を右(西南西)へ

間も無く右手に南南東向きの参道で弓敷天満宮が鎮座します

前の道路脇に


参道入口にはゴミ収集日で家庭ゴミが集められています


水盤です


弓敷天満宮社號標です


鳥居です


菅原道真の新聞記事です


もう一枚は、令和5根11月1日の「生石まちづくり通信」です
⑱史跡廻りマップ「弓敷天満宮」
生石地区には、菅原道真公一行が履を脱いで長旅を癒したことが由緒となっている「履脱天満宮」があり、毎年2月初旬には例大祭がおこなわれ賑わいます。
「弓敷天満宮」は、松山市の路線バス、高岡・三津港線で「高岡天神前」で下車し、徒歩5分にある小さな社。
延喜元年(901年)学問の神様菅原道真公(官公)が右大臣から大宰権師(だざいごんのそち)として福岡の大宰府へ左遷されたとき、海が荒れ流され着いたのが越智郡桜井の志島ヶ原松林の浜。
その後桜井より陸路で訪れたのがこの地「高岡」。このとき猟師たちの弓を敷いて歓待し、のちに建立されてのが弓敷天満宮であると云われています。
現在の拝殿は、太平洋戦争時米軍の砲弾を受けても倒れなかったという不倒の拝殿と云われ、近年、床板も借り替えられ、参道も綺麗に改修されていまう。
また、拝殿左奥には大きなクスノキがあり、大きな枝葉が弓敷天満宮を守るかのごとくそびえ立っている、ここクスノキ、松山市の第8号指定保存木として指定されている御神木です。
推定樹齢はおよそ450年とも言われていて、最近ではちょっとしたパワースポットとして神社めぐりの仲間うちでは名をはせているようです。 石本 隆廣(記)(参考文献:ふるさと歴史散歩・他)


社殿の左後ろに目的のクスノキです


拝殿です




南側から


松山市指定保存樹木(クスノキ)の標柱です

説明版です
高岡町・天神様の大楠に注連縄飾
平成30年11月9日・曇り小雨あり(垣生山公園兼高岡高齢クラブの面々)著金子
皆様ご年配の方々・長老の貞徳進氏・先頭に、米井氏、大西氏、兵頭氏、一色氏、玉井氏、坂本氏、西高氏、皆様何でも出来る優秀な方々。
御前8時過ぎから始めて、10時頃には縄を編んで出来上がりつつありました・・・
早いし、器用な人ばかりです・・注連縄が綯へて木に掛けるが木登りの得意な玉井氏が素早く上に登っていた。
注連縄が出来上がりました・樹齢400年から450年の大楠の注連縄飾が出来上がりました。
今回の大楠に注連縄を掛ける提案をして戴いたのは、一色氏のようです・皆様の中には以前から注連縄を掛ければいいと気付いていた人も居たでしょうが、時期的なものと垣生山兼高齢クラブの積極的行動とが、上手くマッチしてのことでした。
米井氏が主で大西氏ら、ここにいる面々の協力がなければ、思うだけで出来ていないでしょう・・・よくなりました・・・神々しくなりました。
今後は、高岡の若い方々に継承して戴ければ良いと思います。 以上
*残念ながら、注連縄は掛けられていません



南東側から、根元には門松の残骸でしょうか



本殿です




東側から見ました

では、次へ行きましょう


2025・4・14・08・15
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