平下平窪諏訪作地区は、いわき市役所の北約4kmのところ
市役所東側の通りを北へ、レンガ通りから国道399号線となってJR常磐線を跨線橋で越えて道成りに進みます
夏井川を磐城橋で渡って約500m、コンビニエンスストアの先の信号を右(東)へ
いわき市水道局平浄水場の手前の田圃の中の十字路を左(北)へ進むと
右手の山際に鳥居が見えます、鳥居脇に駐車スペースが有りますので利用させていただきました
鳥居です
村社 下平窪諏訪神社です
駐車場のそばの建物が拝殿です、南西向きに建てられています
石碑です
諏訪神社の由緒と沿革
鎮座地 いわき市下平窪字諏訪作61番地
御祭神 建御名方命
由緒 今より約710余年前の文永年間、領主岩城氏の分家白土玄蕃重寛が信州諏訪の本社から勧請し、其の後、康安元年に再び岩城氏の一族である岩城義衛の子塩野五郎資綱が、諏訪大社より勧請したとつたえられる。
また、寛永4年の検地帳に「諏訪祭礼免下神谷村伊勢守抱上田五畝四歩」の記録がある。当社は、境内地322坪を有し、磐城国下平窪村及び西平窪村鎮守として、現在地の山腹に創建され、爾末氏子の尊崇篤く今日に至っている。
明治維新の諸政改革に当たり小社に録せられたが、昭和2年6月氏子一同の請願を容れられ村社に列せられた。
沿革 現社殿は宝暦年間建築されたと伝えられ、当時は萱葺であったが、明治2年に木羽葺にし、昭和43年3月現在の亜鉛鉄板に葺き替えられた、本殿は2坪2号5勺、幣殿3坪、拝殿10坪である。例祭は7月27日に行われて来たが、今は9月第一日曜日に行っている。祭典には三匹獅子舞、神楽舞が氏子中の祭典保存会によって
奉納される。境内には末社として出雲神社を奉斎し、神社施設は鳥居二基、社標一基、灯篭四基、狛犬一対、外石碑二基等ある。また、昭和45年6月参道の石段の増設と舗装工事を行った。神域には神木の杉・楠等が繁げり尊厳を維持している。
*山上の社殿は、近年の火事により焼失してしまい、新たに本殿や末社が再建されています
本殿へ向かいます、拝殿北側から参道に入るとニノ鳥居です
長い石段を上ります
車道(作業道)に出て、封鎖しているチェーンの脇を通ります
赤い鳥居が見えて来ます
三ノ鳥居です
ようやく境内です
水盤です
正面の建物が諏訪神社本殿です、南西向きに鎮座します
境内右奥に目的のスギです
手前にもスギの古木が見えます
北西側から、社殿に面した部分が焼け焦げています
北東側から
目的のスギを南西側から
南東側から、こちらも焼けています
説明版です
保存樹木等指定標識
樹種名 スギ
およそ一万年前の氷河期に、若狭湾や伊豆地方で寒さをさけながら生き続けてきた日本固有の植物で、積雪地の日本海側に生育する、枝がしなやかで葉が細いウラ系と、成長の早い太平洋側に生育するオモテ系があって、植え分けられています。
真っ直ぐに伸びるので「すぐの木」と呼ばれ、神木として尊敬されています。
樹高 31m、 幹囲 4.7m
指定 昭和55年9月1日
指定番号 63
北東側から見ました
境内南西側の境内社は秋葉神社の様です、白木の鳥居は建てられたばかりです(秋葉神社は火伏の神様なのですが・・・)
諏訪神社昇格記念碑です
庚申塔と稲荷社の祠です
こちらの境内社は御名前が解かりませんでした、由緒沿革の石碑に有った出雲者でしょうか
境内西端から本殿と二本の杉を見ました
では、次へ行きましょう
市役所東側の通りを北へ、レンガ通りから国道399号線となってJR常磐線を跨線橋で越えて道成りに進みます
夏井川を磐城橋で渡って約500m、コンビニエンスストアの先の信号を右(東)へ
いわき市水道局平浄水場の手前の田圃の中の十字路を左(北)へ進むと
右手の山際に鳥居が見えます、鳥居脇に駐車スペースが有りますので利用させていただきました
鳥居です
村社 下平窪諏訪神社です
駐車場のそばの建物が拝殿です、南西向きに建てられています
石碑です
諏訪神社の由緒と沿革
鎮座地 いわき市下平窪字諏訪作61番地
御祭神 建御名方命
由緒 今より約710余年前の文永年間、領主岩城氏の分家白土玄蕃重寛が信州諏訪の本社から勧請し、其の後、康安元年に再び岩城氏の一族である岩城義衛の子塩野五郎資綱が、諏訪大社より勧請したとつたえられる。
また、寛永4年の検地帳に「諏訪祭礼免下神谷村伊勢守抱上田五畝四歩」の記録がある。当社は、境内地322坪を有し、磐城国下平窪村及び西平窪村鎮守として、現在地の山腹に創建され、爾末氏子の尊崇篤く今日に至っている。
明治維新の諸政改革に当たり小社に録せられたが、昭和2年6月氏子一同の請願を容れられ村社に列せられた。
沿革 現社殿は宝暦年間建築されたと伝えられ、当時は萱葺であったが、明治2年に木羽葺にし、昭和43年3月現在の亜鉛鉄板に葺き替えられた、本殿は2坪2号5勺、幣殿3坪、拝殿10坪である。例祭は7月27日に行われて来たが、今は9月第一日曜日に行っている。祭典には三匹獅子舞、神楽舞が氏子中の祭典保存会によって
奉納される。境内には末社として出雲神社を奉斎し、神社施設は鳥居二基、社標一基、灯篭四基、狛犬一対、外石碑二基等ある。また、昭和45年6月参道の石段の増設と舗装工事を行った。神域には神木の杉・楠等が繁げり尊厳を維持している。
*山上の社殿は、近年の火事により焼失してしまい、新たに本殿や末社が再建されています
本殿へ向かいます、拝殿北側から参道に入るとニノ鳥居です
長い石段を上ります
車道(作業道)に出て、封鎖しているチェーンの脇を通ります
赤い鳥居が見えて来ます
三ノ鳥居です
ようやく境内です
水盤です
正面の建物が諏訪神社本殿です、南西向きに鎮座します
境内右奥に目的のスギです
手前にもスギの古木が見えます
北西側から、社殿に面した部分が焼け焦げています
北東側から
目的のスギを南西側から
南東側から、こちらも焼けています
説明版です
保存樹木等指定標識
樹種名 スギ
およそ一万年前の氷河期に、若狭湾や伊豆地方で寒さをさけながら生き続けてきた日本固有の植物で、積雪地の日本海側に生育する、枝がしなやかで葉が細いウラ系と、成長の早い太平洋側に生育するオモテ系があって、植え分けられています。
真っ直ぐに伸びるので「すぐの木」と呼ばれ、神木として尊敬されています。
樹高 31m、 幹囲 4.7m
指定 昭和55年9月1日
指定番号 63
北東側から見ました
境内南西側の境内社は秋葉神社の様です、白木の鳥居は建てられたばかりです(秋葉神社は火伏の神様なのですが・・・)
諏訪神社昇格記念碑です
庚申塔と稲荷社の祠です
こちらの境内社は御名前が解かりませんでした、由緒沿革の石碑に有った出雲者でしょうか
境内西端から本殿と二本の杉を見ました
では、次へ行きましょう
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