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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県岡崎市、夏山「諏訪神社・夏山の根上がり杉」(市指定)です!!

2023-02-07 18:29:00 | 巨樹・大木
 夏山町は、岡崎市役所の東約13km、岡崎市額田支所の北約6kmのところ


 ぬかた案内図です(豊富地区の県道37号線沿いの須賀神社前に有ります)

 目的の「夏山の根上がり杉」は図の中央に描かれています

 岡崎市額田支所前国道473号線と県道37号線の交差点「樫山町月秋」信号を北東へ道成りに約900m進みます

 「寺野の大楠」へは左に国道を行きましたが、そのまま真っ直ぐの県道333号線を夏山川に沿って進みます

 約1.5kmで道路右手にスギの樹冠が見えて来ます

 少し手前の県道脇に車を止めさせて頂きました

 県道(西側)から見ました

 北西側に諏訪神社への入り口です

 南西側から境内を見ました

 鳥居です

 鳥居したから目的のスギを見ました

 説明版です
   岡崎市指定天然記念物
     根上がりの杉
  目通り幹囲 6.5m
  根周り    30m
  樹高     35m
  樹齢 800年(推定)
 この大杉は、目の神様として信仰されている諏訪神社の境内にそびえ立っています。
 根上がりに杉と呼ばれているように、その根が地表より浮き上がって、大蛇がのたうっているように見えます。自然の造形の不思議さが、感じられます。
*額田町時代の説明版に、岡崎市の修整がされていたようですが、合併から年ですでに確認出来なくなってしまっています


 南西側から、根が浮き上がってしまっていますが、出ている根は枯れてしまっているようです

 こちらのふるさとの名木の案内板の表記は「夏山の大スギ」となっています

 南側から

 南東側から

 水盤です

 社殿です

 軒下にはしっかりとした文字の額が掛けられています


 社殿前(東側)から

 社殿脇(東北東側)から

 では、次へ行きましょう


 帰り際に車を置かせてもらった県道脇の夏山川の流れる河原(南西側)から見ました
 
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愛知県岡崎市、夏山町「寺野薬師堂の寺野の大クス」(県指定)です!!

2023-02-07 06:30:00 | 巨樹・大木
 夏山町は、岡崎市役所の東約13km、岡崎市額田支所の北約6kmのところ

 「切越の夫婦ヒノキ」の山一つ東側に成ります


 ぬかた案内図です(豊富地区の県道37号線沿いの須賀神社前に有ります)

 「切越の夫婦ヒノキ」は描かれていませんが、左端に桜井寺は描かれています

 目的の「寺野の大楠」は図の中央左に描かれています(他にも右下に主な樹木が並んでいます)

 岡崎市額田支所前国道473号線と県道37号線の交差点「樫山町月秋」信号を北東へ道成りに約900m進みます

 国道は左(北)へ曲がりますので国道へ、道成りに更に約3kmで

 坂道を登って行くと正面上に大きな樹冠が見えて来ます

 国道脇の駐車スペースを利用させて頂きました

 国道脇に「寺野の大楠」の石碑です

 説明版です
 愛知県指定天然記念物
  寺野の大楠
    昭和43年11月4日指定
  目通り幹周り 12m
  根周り    27m
  樹高     36m
  樹齢  1千年(推定)
 薬師堂裏の崖の上にそびえ、その巨大な根部が崖面から露出した様は雄大怪異で、見る人を圧倒します。
 大風のため折れた一枝の代価で祭りの芝居が興行できたといわれるほどで、県下屈指の大樹として県指定天然記念物とされています。
   額田町文化財保護委員会
*岡崎市に合併前の額田町の頃に立てた説明版ですね


 南側国道から見上げました

 寺野薬師堂への入り口です

 境内への石段です、クスノキ手前のスギの枝先には花粉が膨らんで黄色くなった雄花が見られます

 寺野薬師堂です

 南西側から、薬師堂をクスノキの樹冠が覆っています

 石塔や石仏が並びます


 薬師堂の東側の山の斜面を大きな根が覆っています


  南側から

 説明版です
  愛知県指定文化財  寺野薬師堂
   天然記念物 寺野の大クス 1本
 この「クスの木」は6m程の断崖上に生育していて、根部は断崖の下に広がり、南側が露出しており、あらわれている根の部分の横幅は10m程あります。断崖上を基部とすれば、幹周りは12m程、樹高は36m程です。
 明治27年、暴風雨により一の枝が折れ、その枝周りは2m50cm程の大きな枝で当時の価格で75円(*現在の価格にして30万円くらい)の値が付いたと言います。
 また、明治末に折れた枝は、一の枝よりやや細かったものの時価100円(*明治45年では40万円くらいに成りそうです)であったといい、これらのお金で地元の農村舞台で芝居が上演できたといいます。
 なお、江戸時代には、ここは正法寺という寺であり、伝弘法大師作の薬師如来を本尊として日光・月光・十二神像を祀られており、明治になって無住となった正法寺はその名が消え薬師堂と呼んで現在に至っています。
 お堂は弘化3年(1846)に再建されたもので3間四方の寄棟で彫刻等見ごたえのあるお堂です。
    昭和43年11月4日指定
      岡崎市教育委員会

 南東側根元から見上げました

 南東側から

 では、次へ行きましょう
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