牛乳と言えば、
先生が牛乳こぼす1組の教室にだけ集まる光
兵庫ユカ(2003年題詠 065:光 より)
が、とても印象に残っていました。
牛乳と光の真っ白さが焼き付けられていて。
みなさんの牛乳の作品もまた、びっくりするほど広がりがあって、とても面白かったです。
今年の冬は、ホットハニーミルクで乗り切ります。
昨日、おいしいおいしいはちみつ購入。
先生が牛乳こぼす1組の教室にだけ集まる光
兵庫ユカ(2003年題詠 065:光 より)
が、とても印象に残っていました。
牛乳と光の真っ白さが焼き付けられていて。
みなさんの牛乳の作品もまた、びっくりするほど広がりがあって、とても面白かったです。
冷蔵庫パタン!と閉じるそのたびに背後の闇で波立つ牛乳 五十嵐きよみ 情景がとてもリアルに、立体的に浮かんできました。 それはきっと、誰もが感じたことのある感覚だからなのだと思います。 でも、たいていの人はその瞬間を感じながらも見逃しがち。 背後の闇で波立つ牛乳の存在を、実は感じていながらも、 なにごともなかったように、なにごとも感じなかったかのように日々を過ごしていく。 この作品は、そんな日常のどこにでもある些事にスポットライトをあて、 私たちの感覚を呼び起こさせます。 闇の暗さと牛乳の白さの対比が印象的。 そして、「冷蔵庫パタン!」は、なんとなくヤケっぱち。 そのヤケっぱちさを受けて、背後で静かに波立つ牛乳。 |
牛乳にはちみつ入れるあたためるあまえたくないのに哺乳類 おとくにすぎな 牛乳を、あまくあまく、あたたかくあたたかくしているのに、 「あまえたくないのに哺乳類」。 うわー。参りました。 自分が潜在的に求めているものは、 実は人間に最初からそなわっている性質のひとつなのだけれど。 求めたくて、でもそれを認めたくなくて、 けれど、心にそれがあることをどっかで認めているような。 ひらがなの多さがやわらかい。 私たちは哺乳類。 |
牛乳を飲まずに消えたあの日からノラの行方を風も知らない まゆねこ ノラ猫は、死ぬときに人の前から姿を消すんですね。 私もノラ猫を手懐けていたので、よくわかりますが、 なぜだろう。 彼らは最後は、きまって姿を消す。 おそらく、この短歌の最後が「風だけが知る」だったら、 私は立ち止まらなかっただろうと思います。 風も知らない 風も知らない 彼の行方を、誰も知らなくていいのです。 いなくなるということは、そういうことだから。 この題詠期間中に、 家に通ってきていたノラ2匹が、相次いでいなくなりました。 そんな個人的な事情も重なり、この作品はとても沁みこんで来ました。 |
ひいやりとぼくのまんなか降りてゆく牛乳 たぶんここまでは白 里坂季夜 この感覚もよくわかります。 冷たい牛乳は、その降りてゆく道を描くように感じることができますね。 この作品は、それを描いてしまった。 牛乳の白という色で。 暗いよるの、暗いぼくの体の中、食道あたりが白くなぞられている。 |
ぶちまけた牛乳がもう白すぎてごめんなさいしかくりかえせない みち。 「ごめんなさいしかくりかえせない」という言葉が、みち。さんらしく、くっきりと残ります。 ぶちまけた牛乳の白さの違和感のように。 ぶちまけてしまった牛乳。 ひやっとするその心に、白い白い牛乳の存在感がどんどんどんどん染みていく。 |
牛乳にこうふくな膜きっときっと死んでゆく日の朝もあかるい 村上きわみ 暗い中の牛乳が目立ちがちだった他の作品に対し、この作品は、あかるい朝の日の牛乳。 しかもホットミルク。膜まで張っている。 ほっとするような朝。こうふくな膜のはった、あたたかい牛乳を飲みながら、死んでゆく日のことに思いを馳せる。 静かなあかるい朝に落とされたやわらかい影のように。 その日の朝は、ねがうようにあかるい。 |
今年の冬は、ホットハニーミルクで乗り切ります。
昨日、おいしいおいしいはちみつ購入。