花夢

うたうつぶやく

041:こだますうた

2007年01月19日 | 題詠2006感想
こだまは好きな作品が多かったです。
迷わずに好き。


めくらましそれからちょこっとねこだましめくらめっぽうあなたが好きだ
小軌みつき

参りました。
テンポが良く、その言葉にまかせてころころと転がっているうちに、気づいたらど真ん中。
こうやって逸らし逸らして実は直球という攻められ方、大好きなんです。(笑)



さよならのこだまが消えてしまうころあなたのなかを落ちる海鳥
笹井宏之

こんな風に、感情をあらわすことができるんですね。

いえ、感情と言ってしまっては違うのかもしれません。
それは感覚に近いように思います。
ほんとうになにかを喪失した瞬間。
スッと落ちるときに襲われるあの感覚。

どう形容したらいいかわからないのですが、
多分、なぞることのできない感覚を切り取った光景が、
この落ちる海鳥なんだと思いました。
くっきりと残ります。



樫の木をゆらすかすかなこだまさえあなたにかえることができない
末松さくや

この「こだま」はそんなに大きくはないかわりに、あちこちへ乱反射しているみたいなイメージがあります。
けれど、発された言葉のどれひとつ届くことはなくて、ただ樫の木を揺らすばかり。

どこまでもどこまでも、届かないということを追ってしまう。



不愉快がこだましながら強くなり席を立つ まだ惑星にいる
瀧口康嗣

この作品を読んだ瞬間、瀧口さんは惑星の人なんだと思いました。
そうでなければ、これは書けない。

惑星が思考のある部分の比喩として・・・・と考えることも出来ます。
とても混沌として、静かなところ。
けれど、この「惑星」は比喩というより、代名詞のような感じがしました。
自分の空間を指す、確かに存在する場所の代名詞。
そして、惑星のほうが多分、主。

不愉快がこだましてうわんうわんとしてる。
そして、席を立った自分の身体のある現実のほうは、どこかまだ違和感がしている。
まだ、こだましている。
静かでうるさい。



耳朶に響くこだまを黙らせるたびにピアスの穴増えてゆく
和良珠子

あぁ。増えてゆくピアスの穴にはそんな理由があったんですね。

そのピアスホールはこだまを吹き抜けさせる風穴で、
そうしなければ、きっと呑まれてしまっていた。



<振り返り>
地下道で歌う路上アーティストって、けっこう気になる存在です。

040:道のうた

2007年01月14日 | 題詠2006感想
かなり・・・遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。

しばらく更新をしていなかったので、なんだかずいぶん戸惑っています。

この「道」のお題。
気づいたらなにかするどい道ばかり選んでいました。
この道はなんなのだろう。(迷子)


憎しみも愛もよく似たものだからこの感情の道なりにゆく
五十嵐きよみ

捨ててしまえぬほどの憎しみは、愛がゆえに生み出されることも多い。
愛ゆえの憎しみ。憎しみというかたちを成す愛。
とてもパワーのいるその感情は、自分自身がもてあましてしまうほど暴力的。
その感情の濃さを見ると、愛も憎しみも本質は同じもので、ただ色を変えただけのものではないだろうか。と思ってしまう。

この作品のその濃密な感情の色は、憎しみの色をしているように思います。
「憎しみも愛もよく似たものだから」というのは、真理でありながらも、まるで正当化するように、自分に言い聞かせているかのようにも見えるのです。
抑えることを放棄したのか、それとも、覚悟を決めたのか。
諦めにしろ、覚悟にしろ、どっしりと重い想いがにじみ出ています。

その濃密な感情を道なりに行けば、いったいなにが見えるのだろう。
いったいどこへ辿り着くのだろう。



歩道橋から手をふるね(よく見えるようにねじれの位置にいさせて)
西宮えり

ねじれの位置。
ねじれの位置(ねじれのいち)とは、空間内の2本の直線が平行でなく、かつ、交わっていないとき、つまり同一平面に乗れないときの、2直線の位置関係のことである。これは、例えば立体交差に見られる。
ウィキペディア(Wikipedia)より。

歩道橋から手をふる作中主体。
おそらく相手は、歩道橋の下を通る道の上にいるのでしょう。
お互いの顔がよく見えるねじれの位置。
けれど、決して交わることのないねじれの位置。

作中主体は、交わるつもりはないようです。
歩道橋から降りて駆けていくこともなく、さらりと笑顔で手をふるだけ。
けれども、見守っていられる位置で。

私はこの感覚がすごくわかる気がします。
近づきすぎてしまうと、見えなくなるものって、ある気がするので。
(近づかないと見えないこともあるけれど)

でもそれは、見たくないってことじゃなくて。
私は、もっと見たいのだ。



この道をまっすぐ行くと夏空に繋がってそう 右折しなさい
佐原みつる

時々、こんな感じの坂道がありますね。
とても急な坂道で、その坂の下から見ると道の先がぷっつり切れてて、空に繋がってる。
そんな坂道を想像しました。夏空に繋がってそうな道。

けれど、この作品では、その夏空に繋がってそうな道を「右折しなさい」と、逸らしてしまう。
その命令口調が有無を言わせない。
ある種、強さのような、芯のあるものを感じさせます。

夏空へと思いを馳せながら、それを逸らし、地を走る。
ふわふわっとした気持ちが、そこで一気に冷静にさせるような。
その対比がくっきりと心に残ります。



ずり落ちたズボンが道に音たてていっせいに世界から狙われる
我妻俊樹

視覚的にバババっと浮かんで、えぇ!?これなんなの!?と思わせられました。
理屈など抜きで、目が離せなくなるような。

一瞬の映画みたいに感じました。
この作者さんはその一瞬を切り取る映画監督のような存在。
魅させる力を持った人なのだな。と思いました。



向日葵の声なき叫び、道という道を遮り続く骸の
ひぐらしひなつ

枯れた向日葵の延々と続く道を思い浮かべました。
枯れた向日葵は、骸と呼ばれるにふさわしく、茶色にやせこけ、頭を垂れています。
あれだけ太陽のように誇らしげに咲く花だからこそ、その後の姿は息をのむものがあります。
その姿が延々と続く道は、声なき叫びも聞こえるのかもしれません。
とても静かな夏の終わりのなかに。



<振り返り>
36~39で行った春夏秋冬を詠みこむ試みは、半ば遊び半分。
40から、また気持ちの仕切りなおしをして再スタート。