自分が完走するまでは、他の人の作品への感想はおあずけ。
と決めていたので、我慢していました。
でも、感想で走るのも楽しみにしていました。
けれど、いざ目の前にしてみると、
それぞれの短歌にくらくらしてしまいそうです。
<振り返り>
今までも、題詠の存在は知っていましたが、自分が100首・・・しかも題に沿って短歌を詠めるとは全く思っていませんでした。
しかし、この題詠100首blogの告知を読んだとき、半ば直感的にやってみよう。と思ったのです。
一番最初の風の題は、私のそんな気持ちを後押しするように、軽やかに背中を押してくれました。
と決めていたので、我慢していました。
でも、感想で走るのも楽しみにしていました。
けれど、いざ目の前にしてみると、
それぞれの短歌にくらくらしてしまいそうです。
ふぉわらぁんふぉうわうらぁんでんせんがのたうちまわるからみつけ、風 cooca 風の中でいちばん、面白いと思いました。 風を使うのではなく、風そのものを詠んでいるのが、際立って見えました。 ひらがなの羅列もなんだか、のたうちまわって、からみついているような、風のかたちのように見えます。 最後に「、風」でストンと終わらされるのもとてもステキ。 |
いつわりの風が吹くのでこのまちの動詞は時制を完了できない あおゆき 文法が出てきて面白いと思いました。 カチッと真面目な感じで、でも主題はとても叙情的。 少し気になったのは、“時制を完了する”という言い回しが耳慣れなかった点です。 時制と言うと、過去、現在、未来を指すようなイメージがあったからでしょうか。 「時制を過去にする」もしくは「動詞を完了形にする」というのがよく聞く言葉なので、立ち止まって考えると、これでいいんだっけ?と思ってしまったのですが・・・・ 単純に私の勉強不足かもしれません。 (調べようと思ったのですが手立てがわかりませんでした、不確かな発言でごめんなさい) 文法にまみれてごちゃごちゃと考えてしまいましたが、でも、ここの「動詞は時制を完了できない」は好きなのです。 きっと、なにをするにも「~してしまった」って言えないのだろうな。と。 いつまでたっても、動詞は「~している」と言う進行形のまま。 それは、いつわりの風が吹くからね。このまちに。 ほんとうのことを聞いてしまえば、終わらせることもできるのに。 |
よくのびた四月の腕にまきとられ風があまさを増してゆきます 村上きわみ アルフォンス・ミュシャの絵のように感じました。 風を紡いでいる女神の姿のような・・・。 四月という季節と、腕にまきとられるという行為とで、風があまさを増していく。 風がまるで練り飴のようです。腕にまきとられるごとにあまくなっていく。 ゆるやかに、春の季節が濃くなっていく様が描かれています。 静かに、言葉がほどよい重さを持っていて、とても心地よいです。 |
<振り返り>
今までも、題詠の存在は知っていましたが、自分が100首・・・しかも題に沿って短歌を詠めるとは全く思っていませんでした。
しかし、この題詠100首blogの告知を読んだとき、半ば直感的にやってみよう。と思ったのです。
一番最初の風の題は、私のそんな気持ちを後押しするように、軽やかに背中を押してくれました。