花夢

うたうつぶやく

022:レントゲンのうた

2006年10月28日 | 題詠2006感想
レントゲンは心を写そうとする作品が多かった。
(そして、私もそうだった)

気になる作品がいろいろあってふらふらと悩んだのですが、
最終的には視覚的に訴えかけてくる作品を。


吐きだせず身体(からだ)に残る言の葉はレントゲンにて緑に光る
佐田やよい

「緑に光る」という部分が、とても印象に残りました。

緑色という色は、基本的に人間の体にはない色なんですよね。
なので、レントゲンに写った緑色は、すこし違和感がします。
しかし、そこで吐き出せず残っているものは、「言の葉」なのですね。
だから緑色をしているのでしょう。

それにしても、骨を写すレントゲンのなかにうつる、この言の葉。
緑に光っていては、見逃すことも出来ない。
吐き出すこともできなかったのに、身体の中では相当強い存在感です。

レントゲンで心を写せるとか、写せないとか想像する作品は多かったのですが、ここまではっきりと、自分の心の中をしっかりと見せてくる作品は滅多になかった気がします。



レントゲン写真みたいに骨組みを透かせて重ねて出来ている街
癒々

これは、そのまま想像してとても面白く、美しく、うすら寒いように思いました。

レントゲン写真と街を重ねて見、「骨組みを透かせて重ねて」と歌う。

恐らく、この街は、夜の都会のような気がします。
確かに、都会を白黒写真で取ったら、レントゲン写真に見えそう。

美しくて、静か。
この街は骨でできているみたいで、すこしぞくっとする。



<振り返り>
このレントゲンの歌は、水須ゆき子さんから感想を頂きました。
このとき、水須さんが
「歌って手作りじゃないですか。
作者のぬくもりがどこかに必ず残っていると思うのね。
それを全て感じ取るのはしょせん無理だとしても、
欠片くらいは感じたいし感じられる自分でありたい。」

とおっしゃっていたのがとても心に残っています。
そう思いながら歌と接している水須さんの読みは、とても歌に寄り添ってくるのです。

自分の感想はどうも独りよがりになりがちで要注意。

021:美のうた

2006年10月28日 | 題詠2006感想
感想をどんどん書いて更新したい。
題詠と関わっていたいのだと思う。
いいなと思う歌は次から次へとあるし。

早く走らないと。
この気持ちが冷めないうちに。

しかし、ひとつひとつと向き合うのはとても時間がかかる。
気持ちだけ急くからどんどん端折りたくなる。
でも端折ったら後悔する。やると決めたのだから。

うたと向き合うとき、
いつも自分はちゃんと書けるだろうかとはらはらしながら書いている。
いろんな意味でもどかしい。


美しき日日も翳みて八十路なる義母は狂女のうすき眉ひく
みずき

「狂女」という言葉にどきっとしました。
「義母」という身近な存在の人を、「美しき日日も翳み」と歌い、「狂女」と歌う。
どきっとします。

この八十路なる義母は、
「美しき日日も翳み」、それでも「女」であるのでしょう。

「美しい」ということを意識すればするほど、
老いるということ、
女であるということ、
が、ひっそりとじわじわと迫り来るのです。



醜さを撮るため今日も人を撮る戦争はもう美しいから
本原隆

「戦争はもう美しい」というパラドックス的発想。
美しさ醜さについて、戦争という存在について、
深く深く考えさせられた作品でした。

「戦争はもう美しい」とうたわれた瞬間、
とても美しく悲しい旋律の音楽が流れた気がしたのでした。
そこで流される真っ赤な血の美しさ。
そこにある死は果たして美しいのか醜いのか。

しかし、戦争は絵ではないのです。
「戦争」を「戦争」という言葉だけに昇華させてはいけない。

戦争は「人」によって起こされるものなのだから。
だからこそ、人を撮り、醜さを撮る。
戦争を起こす「人」に焦点をあてることで、
もっともっと根源的な、人間の在り方を見ようとしている気がします。
現実に迫るというのは、そういうことなのだと思います。


まだ、行ったことはないのですが、いつか長野県にある「無言館」という場所に行ってみたいと思っています。
戦地に赴いた人々の描いた絵が遺されている場所です。



美しい雨音にまで犯されるなにから孤独なのかも知らずに
内田誠

心は察知しているのに、
意識が気づいていなくて、
ただひどく苦しい。

そんな夜のことを思い出しました。

気づかないこと自身が、苦しみになることがあり、
無防備なままの心はどんどん深く深く沈んでいく。

そんな雨の日のことを。

その心。
なにに囚われているのか。
気づけば少しは楽になるものを。



年下の上司 ヽヾゝゞゞゞゞゞゞ新宿駅よ美しく燃えろ
白辺いづみ

「ヽヾゝゞゞゞゞゞゞ」をどう捉えて良いのかわからないのですけれど、
作者さんのブログをみると作歌活動が盛んな方のようなので、
なにか意図的なものがある気がします。どうなのでしょう。

「ヽヾゝゞゞゞゞゞゞ」
字面から見ても面白い並びのような気がします。
形が微妙に違う不揃いなところから、どんどん加速していく感じがします。

また、濁音が並んでいるんですが、声にできない濁音の並びなんですね。これ。
声に出すとしたら、どう読んだらいいのだろう。と。
ぱっと見「ど」のようにも見える。でも、「ど」でもない。文字になりきれなかった文字みたい。
なんだか、うまい音にできないわだかまりのようで面白いです。

もしくは・・・「ゞ」という字は繰り返すときに使われるものなので、
「年下の上司」が頭のなかをひたすら繰り返されているところか。
とも思いました。

いろいろと考えてみましたが、確かに「ヽヾゝゞゞゞゞゞ」のところになにか言葉を入れるよりも面白いような気がします。
そこになにか、間があるのですね。言葉にできないけれど、ぐしゃぐしゃとした間が。

そして「年下の上司」から「新宿駅よ美しく燃えろ」の転換。
なんというかなんというか。
こんなに端的に心の炎とは表現できるものなのか。
この心の炎はきっと青白い炎。高温で静かな。

わだかまってるけど、カッコイイです。
カバンをぶんぶん降りながら、新宿駅を、顔を挙げ、背筋を伸ばして歩くような。



020:信号のうた

2006年10月27日 | 題詠2006感想

からっぽの駕籠抱きしめて信号の黄 赤 青 黄浴びていました
中村成志

「黄 赤 青 黄」の言葉のリズムが小気味良いです。信号の変わるリズムと重なります。
作中主体は道路を渡ることなく、ただ、たたずんでいるようです。

たたずんでいる理由は、きっと、からっぽの駕籠にあるのでしょう。
「からっぽの駕籠」そこになにが入っていたかは書かれていませんが
それを抱きしめ、信号のある交差点をたたずんでいる。
そんな様子から、なにかの喪失を感じました。

「浴びている」という表現が良くて、
「黄 赤 青 黄」と、順に色を浴びているのですね。
この色彩とリズムのおかげで、作品がさほど暗みを帯びていないように思います。

先に、なにかの喪失を感じた。と書きましたが、
この作品自体は、感情が前面に出ている。というより、
感情を匂わせるだけに留まらせる光景。として印象に残る感じがします。



真夜中の信号機よりはっきりと意見を言えば無視もされるさ
本原隆

あはは。面白いです。
そういうこと、あります、あります。(笑)
真夜中の信号機よりはっきりとした意見。
女性は特にそういうのを嫌いますね。(笑)

真夜中の信号機。
真っ暗な中に、くっきりと、「赤」とか「青」とか、はっきりと。

大人の世界で、そこまでハッキリと言ってはいかんよ。と。
世の中はもっともっと複雑なもので溢れているのだから。と。

わかっているけど、わかるのです。

真夜中の真っ黒ななかに動く複雑な事情もあるけれど、
もしかして、自分がとっても単純すぎるだけなのかもしれないけれど、
真夜中の信号機よりも、はっきりとわかってることだって、あるじゃんか。なんて気持ち。

もちろん、真夜中の暗さを忘れて「赤」だの「青」だの言っちゃ、事故になりますけどネ。



どこまでも青信号がつづく道(だれにも止めてもらえない道)
田丸まひる

なんだか( )がとても気になったのでした。
( )の入っている短歌は珍しくないのですが。なぜでしょう。

~道 ~道
と並んでいるのですが、
この二つの道は並列ではないのですね。

「どこまでも青信号がつづく道」は実際のことで、声に出していえること。
「(だれにも止めてもらえない道) 」は心でこっそり思っていることを補足のようにして付け足された感じがします。

青信号がつづく道って、良いことのように思われるのですが、
作中主体は「(だれにも止めてもらえない道)」と思うのですね。

永遠に続くような青、青、青の真っ直ぐな道をひとりで進むことのさみしさ。



<振り返り>
信号といえば、

親切なひかりを放つ信号の青に僕らはだまされている
松本響

だろう。と思いきや、これは「親」のお題の歌だったんですっけ。
この題の短歌を作るとき、松本響さんのこの作品をかなり意識していて、でも意識しないようにしていました。(中途半端な・・・)

そんなふうにつくった歌だったのですが、
今回、皆さんの短歌を読んでいるときに、自分の短歌がかなり似通ってしまっている作品を見つけてしまいました。
私のほうがあとに投稿しています。うぅ・・・しまった。後悔。
その作品を読んでいなかったため偶然なのですが・・・・ごめんなさい。と、こっそり。

019:雨うた

2006年10月24日 | 題詠2006感想
雨は、絶対にいい作品が多いと思い、覚悟しながら読みました。
やはりパンチのある作品が次から次へと・・・・。


死にたての匂いがすると猫の目が膨らむ そうね、雨になるわね
水須ゆき子

題詠を走り始めたばかりのころ、まだ皆さんの作品をよく読んでいない私の目にとびこんできたのが、水須ゆき子さんのこの作品でした。
キッカケは五十嵐きよみさんのお茶会。
とても印象的な作品でした。

「死にたての匂いがすると猫の目が膨らむ」
迷信めいた、暗示のような一節がどきっとします。

猫って、とても神秘的な生き物だと思います。
夜になると黒目が大きくなったり、
顔を洗うと雨が降るといわれたり、
魔女が飼っている動物なんて言われたり、
なにか変化を読み取る、そんな動物のように思えます。
ですから、「死にたての匂いがすると猫の目が膨らむ」なんて現象は、さもありなん。という感じで、すんなりと沁みこんできました。

そして、「死にたての匂い」はまた、「雨」の予感を呼んでいます。
「そうね、雨になるわね」
と、まるで猫にささやいているかのような、やさしい物言いが、「死にたて」「雨」というような寒々しく陰鬱とした空気をやわらかくしている気がします。

この作品は、31字のなかにとても濃厚な予感めいた空気が凝縮されていて、猫と作中主体は、それをそっと肌で感じている様子が伺えます。
そしてまた、こちら(読み手)にもその空気が肌を通して伝わってくるのです。



約束も雨女だとからかってくる人もないはずなのに、降る
末松さくや

一編の物語みたいな、せつない雨の作品。
そのなかで読点がいい位置に置かれていて、くっと立ち止まってしまいました。

降る理由がないのに、降る雨。
読点の位置になんだか言いたいことや感情やいろいろ詰まっている気がしますが、それは全部ぐっと読点におさめてしまって、「降る」。
この作品が終わったあともずっと、しとしとと雨が降り続けているようです。



小糠雨のようなセックスずっとずっとずっときれいなからだでいたい
田丸まひる

下手な言葉を添えたら、かえって汚してしまいそう。

反則級にステキです・・・。
心にどごっと穴があきました・・・・。

女の子は刹那的に愛し続けようとするから、脆くて痛いよ。

せつない。せつない。



いっしんに雨になろうとする君をいだけば常夜灯のわたくし
笹井宏之

なんだか、いいなぁって思ってしまいました。
「君」も「わたくし」も一生懸命な人だぁ。

雨になろうとする君。ずっと照らし続けるわたくし。
雨になろうとする君は、とてもひたむきなひとで、
常夜灯のわたくしは、ひとを守ることのできるひとですね。

愛っていいなぁ。
ふたりっていいなぁ。
羨ましいほどに、愛おしい光景です。



アパートに雨の匂いとふたりして遊び果てても埋まらないもの
柴田菜摘子

遊び果てても埋まらないもの。

そのアパートの埋まらないものの場所に、雨の匂いが漂っていて、
だから、埋まらないってわかってしまう。

とてもとても静かな光景が浮かびます。
アパートにふたりの息遣いはあるのに。
雨の匂いと埋まらないものが、ただただ静かにずっしりと部屋を占めていて。



<振り返り>
この辺りからようやく題に振り回されることが減り、自分の書きたいものを模索するようになりました。
徐々に波の乗り方を掴みはじめていくような気分です。

018:スカートのうた

2006年10月22日 | 題詠2006感想

つらいいやつらいいやとは言わないではためいているティアードスカート
西宮えり

はためくティアードスカートはとても女の子らしいけど。
つらいいやつらいいやとは言わなくて。
容赦ない風のなかを歩くしかない。

でも、私の想像の中ではやっぱり、はためくスカートが「つらいいやつらいいや」のリズムを刻んで揺れているように見えてしまう。

そんな、つらいいやつらいいやを反芻していたら、
ある瞬間、この作品はとても女の子らしい歌なんじゃないか。と、ふと、感じました。

そんなに強くなくて、そんなに弱くはないの。



どこへ行き何選んでも同じこと 明日もゆるいスカートをはく
矢野結里子

どこへ行き何選んでも同じこと
うんざりするような毎日
あきらめにも似た けだるさ

ゆるいスカートが、
かろうじて世界をカチカチに固めないでいられる。



スカートのファスナーの爪のひとつから零れた音も発芽する朝
砺波湊

「零れた音も発芽する朝」ってとってもステキないいまわし。
うれしいなんて言葉だけでくくれないような、なにもかもが息づいてみえる朝。

なにからも祝福されているように感じる、朝。



<振り返り>
スカートだから、乙女チックにしようと思っていたのに、
結局、一番自分にとってすんなり馴染んでいたスカートは、制服でした。
それ以外は、全部、嘘っぽかった・・・。乙女にはなれない・・・。

自分の記憶で強いのは、高校のとき。です。
そのときの私はまだ短歌とは出会っていなかったけれど、
真剣に言葉を書き始めたのが高校のときからだったので、
なにかを書くとき、高校のときの自分はよく出てきます。

この短歌の評判が悪くなかったことに気をよくして、その後、時々、学校モノの短歌を意図的に詠んでます。

017:医のうた

2006年10月20日 | 題詠2006感想

中庭の金魚の池がまず暮れて鈴木小児科医院しずまる
水須ゆき子

作者の身近なものを通し、日が暮れる様子が描かれて、とてもノスタルジックな雰囲気が漂っています。

その光景は、ありふれているけれど、ありきたりではないのですね。
身近なものに目をむけて、日の暮れ際を感じる作者の眼差し。
それはまるで残照のようで、あたたかくてやさしいのです。

こうやって、ひとつひとつを慈しみながら静かに暮れる夕暮れを、とても愛おしく、懐かしく思います。



家族以外馴れないウサギを獣医師に見せれば顔をそっと背ける
新野みどり

「顔をそっと背ける」というのがとても奥ゆかしいです。

主語が明記されていなかったので、少しためらったのですが、
「顔をそっと背ける」のは、内気なウサギ・・・なのですよね。
もしかしたら、ウサギの気持ちを察知した医師?とも思ったのですが。

そう迷ったのは、とても人間的な言い回しだったからです。
それは、見守っている家族の、そのウサギへの愛情でもあるのでしょう。
「顔をそっと背ける」という奥ゆかしい言い回しが、とても詩情溢れる空気にしている気がします。



樹木医の熱きてのひら千年ののち朴の花となりて匂はむ
飛鳥川いるか

こちらは、樹木医のてのひらへむけた作品です。

樹木医のてのひらが千年ののち朴の花となる・・・という、
来世を想った歌でしょうか。
木を愛する樹木医自身がやがて木となり花を咲かせるという、
詩的で美しい想像なのでしょう。

しかし、私が気になっているのは、「樹木医の熱きてのひら」を見つめる視線。のような気がします。

樹木医の熱きてのひらを見つめ、
そのてのひらが朴の花になって匂うことを想像する、
恋にも似た、愛情のような視線。

その視線こそが美しいような気がするのです。
その想像こそが愛しいような気がするのです。



016:せせらぎのうた

2006年10月09日 | 題詠2006感想
女性らしいせせらぎばかり集めてしまった。

いろんなものがせせらぎに・・・。


ものすごく優しいことをしたわけじゃないのにからだとけてせせらぎ
ハナ

このせせらぎは、自分がせせらぎになっています。

滑らかに言葉が綴られ、最後に「せせらぎ」で終わる、そんなゆるやかな流れが心地よいです。
最後にせせらぎの音だけが残されているよう。
「ものすごく優しいことをしたわけじゃないのに」という原因も、キュンとさせます。

ほんのりとね、ほんのりとした、温度が伝わってきます。
そして最後にせせらぎの音。



ゆっくりと鼓膜にふれるせせらぎがきみの言葉をなめらかにする
松本響

こちらは、せせらぎによって言葉がなめらかになる。という情景。

ここのせせらぎは、なんなんでしょう。
鼓膜にふれるせせらぎ。
本物のせせらぎ・・・とも取れますが、
もしかしたら、誰かによって作られたせせらぎかも知れない。と思います。

たとえば、
先に取り上げさせて頂いたハナさんの作品のように、
からだがとけてせせらぎになったその音だとか、
これから取り上げさせて頂く村本希理子さんの作品のように、
くちびるのあたりから生まれるせせらぎだとか。

そんなせせらぎが「きみの言葉をなめらかにする」。
「なめらかにする」というのは、
優しい言葉になる。という意味でしょうか、
それとも饒舌にする。という意味でしょうか。

「鼓膜にふれる」「なめらかにする」など、一首がとても柔らかい言葉に包まれていて優しい。
川の水が小石を丸くするように、せせらぎは「きみ」を癒し、優しくしてゆく。



〈8月は〉つぶやくきみのくちびるのあたりにかすかなせせらぎの生る
村本希理子

こちらは、くちびるのあたりにせせらぎが生まれる様子。

「〈8月は〉」とは、なにをつぶやきかけたのでしょう?
その辺りが不明瞭だったのですが、
せせらぎの生まれる様子はとても静かで穏やか。

「くちびるのあたり」という曖昧さが良いですね。
「〈8月は〉」というつぶやきのその言葉だけがせせらぎになったのではなくて、その言葉が発せられたときの吐息や空気など、すべてを含んだ「せせらぎの生る」なんでしょう。

言葉と、空気と、そのときの気持ちが絡み合ってせせらぎが生まれ、流れていく。



何もかも風のようにはすぎぬから せせらぎみたいに泣いたって、だめ
砺波湊

こちらは泣く様子がせせらぎみたい。だとか。

風もせせらぎも、本来は心地よいもののはずなのに、実際はそんなふうに流れないものね。
心地よく流れる風やせせらぎは、まるでおとぎの国のお話のようです。

だめって言われて、だめってわかってるんだけど、すこしせつなくなりました。
(そのせつなさがこの作品の味なのです。)


風のようにすぎてほしいと思って泣いたわけではなかったの。
風のようにすぎてしまうほど簡単なものならば、泣いたりなんか、しなかった。
(ね、そうでしょ?)



<振り返り>
この辺りから、ようやく歌を読むことに対する怖さ(びくびく感)が薄れてきました。
投稿ボタンを押すのにためらいもなくなり、ある意味で自分勝手に詠みはじめています。

015:秘密のうた

2006年10月07日 | 題詠2006感想
皆さん、ステキな秘密ばかり持っていらっしゃる・・・。
溢れすぎて困りました。


柔軟な秘密はずっとあとをひくとぼけた金魚にうちあけようか
小軌みつき

「柔軟な秘密」という言葉が柔らかくて、大人です・・・。
全体の空気が霞のようにぼやけているようです。
なんたって秘密なのですから。くっきりとはしていないのです。
そしてそんな秘密は柔軟にかたちを変え、でも纏わりつき、とぼけた金魚はとぼけたまま。



秘密にするわけでもないが言うほどのことでもなくて二階に上がる
西中眞二郎

なんでもないようなんですが、でもなにかあるような。
日常のなにげない空気なのですが、でもそこに含まれているわずかな空気の揺れを掬い取る。
そんな視線の当て方が、すごいなぁと思いました。

こんな光景はありふれているようだけれど、でも大抵は立ち止まらず流れていってしまうから。
「秘密」という言葉から、この光景が引き出される作者さんの日常の過ごし方は深いなぁ。と思います。



ふらんすの秘密結社のふらふーぷ非日常会話なら出来なくはない
みなとけいじ

もう、なんだかよくわからないけれど、ま、いっか。そのわからなさが魅力的だから。
ふらんすの秘密結社のふらふーぷ・・・・全てが、私のまったくあずかり知らない世界なのだし。
非日常会話なら出来なくはないといわれても、日常会話が出来ないじゃないか。

・・・・どんな秘密結社だ。(思わずつっこみ)



ひだまりのにおいの秘密聞かされるときゆるやかに上がる体温
田丸まひる

秘密の王道だ。
さすが、まひるさんです。

「ひだまりのにおい」「ゆるやかに上がる体温」など、五感に訴えかけてくる言葉が、さすが。なのです。
「ドキドキする」とか、「うれしい」とか、そんな言葉だけで括らない。
そっと縁取ることで、じんわりと伝わってきます。



秘密など何ひとつないオムレツをラスカルの皿に盛ると崩れた
黒田康之

「ラスカルの皿」と言われて、つい、ラスカルの餌としてオムレツをお皿に盛ったのだと思いかけました。
いやいや。これはきっと、ラスカルの柄のついたお皿・・・という意味なのでしょうね。
(個人的には、ラスカルに秘密のないオムレツをあげる光景、気に入っていますが。(笑))

「秘密など何ひとつないオムレツ」って、実は普通のオムレツなんですが、そういわれてしまうと、じゃあ「秘密のあるオムレツは?」なんて思ってしまいます。
秘密のあるオムレツだったら、崩れないのかしら?
秘密の何もないオムレツが崩れてしまうように、世界に秘密がなくなったら、世界は崩れてしまうのでしょうか?
(また、発想が飛びすぎている気がする)

なんだか、普通のオムレツをラスカル柄のお皿に盛ったら崩れた。というだけの光景なのに、いろいろ楽しませてもらいました。



君と同じ秘密を持っているけれど君とは違う理由で走る
池田潤

池田さんの作品は、少年っぽくて好きです。
そして「君とは違う理由で走る」というのはいいなぁ。
「同じ秘密」と「違う理由」
そこに差こそあれ、でも、作中のぼくは「走る」のですね。
そのひたむきさがカッコイイ。せつなくて。




余談ですが。
私の好きになる人は、大抵、秘密基地を持っています。
(そして、私だけに教えてくれるの)

014:刻うた

2006年10月07日 | 題詠2006感想
刻。
なぜ、こんなに面白い作品が多いの?と思うほど、面白い作品ばかりでした。
読んでいて、とても楽しかったです。


ババババババババババババ刻まれたモンキーバナナのように世界は
みなとけいじ

なんというかもう語感が面白いですね。
こういうのは下手に狙うと却って浮くので、いいなー。すごいなー。と思います。

「ババババババババババババ」が刻まれた感じを出しつつ、あとのバナナにすんなりと繋がっていくのですごいなぁ。
濁点というのがまたざくっとした勢いを出していて良いなぁ。

また、「刻まれたモンキーバナナのように世界は」最後に放り投げられるところが面白いです。
ババババババババババババと刻むだけ刻んでおいて、刻んだモンキーバナナだけ見せられて、
それを世界のようだと示唆したまま、答えを出さずにふらっとどこかに行かれてしまった感じ。

残されたほうは、あっけにとられて、ちょっと考えて、ふっと笑うのです。



四暗刻狙うあなたの親指がどうにも色っぽくって困る
みにごん

あはははは。面白いです。
麻雀は全然っわかりませんが、ものすごく集中力が削がれていることはわかります。(笑)

一読したときは、男性から見た作品だと思ったのですが、
ブログにお邪魔したところ、みにごんさんは女性のようです。
女性が、男性の親指の色っぽさにときめくお歌なのかしら。これは。
そう考えると、それも面白いです。



夕暮れになると手のあいだからこぼれてしまうんだ刻んだ君が
山本雅代

刻みすぎてしまった。君を。

もう、しっかりと掴めなくなってしまった。

でも、そうしたのは、私自身だ。



秋になることのできない夏にいて遅刻のわけも聞けないままで
しょうがきえりこ

時間が止まったまま。

こうなってしまうと、もう身動きができない。怖くて。


013:クリームのうた

2006年10月06日 | 題詠2006感想
クリームって難しいお題でした・・・。

でも、皆さんのクリーム作品はとても濃厚でおいしい。


ちょうど今クリーム色の幸せだ月が帰りの方角だった
本原隆

ほのかにあまいクリーム色の作品で、ほんわかしてしまいます。
取るに足らないことが、かけがえなくなる。
そうやって、人は幸せであることを感じ、優しくなってゆくのね。

せつなさとか、かなしみよりも、ほんのりとした幸せのほうがえがくのは難しいと、私は思います。



クリームをわけあうようにやさしさを いえ さみしさをわけあっていた
飯田篤史

飯田篤史さんの言葉はやさしくてさみしい。
半分こにできているうちは、いいの。まだ。



ふたり暮らしはシェービングクリームの泡になったり少女になったり
山本雅代

ふたり暮らしのわたしはとても日常的なものになったり、
かと思えば、可愛らしいわたしになったり。
めまぐるしくて、新鮮で、うれしい。



夜明けのあなたとみずみずしいシュークリームラインですれちがいたい
瀧口康嗣

シュークリームラインって、何処なんでしょう!?!?
造語だと思っていましたが、検索したらこんなのこんなのヒットしました。
シュークリームを作る工場の工程を「シュークリームライン」というようです。
面白いですね!!

作中のシュークリームラインは「みずみずしい」そうです。
作りたてだから?できたてほやほやの初々しい感じでしょうか?
できたてほやほやのシュークリームが次々と出てくる様子を思い浮かべながら、
そんなシュークリームの中に、わたし(ぼく)がいて、あなたがいたらいいな。ということなのでしょうか。

あ。だから「夜明けのあなた」なのかしら。
夜明け。生まれたてのような。

夜明けのあなたとシュークリームラインですれちがったら、わたしたち、どうなるのかしら?