「淋しい」と「寂しい」はなにが違うのでしょう。
私のなかでは、
「淋しい」は泣き濡れて湿っているけど、
「寂しい」はカラカラと乾いている気がします。
「淋しい」は胸がつまっているけれど、
「寂しい」はからっぽのような。
「淋しい」は迫ってくる感情のように激しく、
「寂しい」はゆっくり時間をかけたもののようにも思えます。
なんとなくのイメージですが。
そういうことを考えていたので、「寂しい」の意味や内容を考えさせる作品に引き寄せられました。
これらの作品の「寂しい」を「淋しい」と言いかえると、やっぱりなにかイメージが変わる気がします。
このお題。様々な「寂しさ」に触れられてよかったです。
私のなかでは、
「淋しい」は泣き濡れて湿っているけど、
「寂しい」はカラカラと乾いている気がします。
「淋しい」は胸がつまっているけれど、
「寂しい」はからっぽのような。
「淋しい」は迫ってくる感情のように激しく、
「寂しい」はゆっくり時間をかけたもののようにも思えます。
なんとなくのイメージですが。
そういうことを考えていたので、「寂しい」の意味や内容を考えさせる作品に引き寄せられました。
バビロンの塔があき地に立っている あんまり大きくなくて寂しい aruka 不思議な光景です。 シュールと言うのでしょうか。マグリットの描く世界のような静かで不思議な空気を感じます。 その光景を前に「あんまり大きくなくて寂しい」。 圧倒される大きさではなく、あき地にポツンと立つバビロンの塔。 その塔をポツンとながめ、寂しいと思う作中主体。 余白のような空間が、ぽっかりと残る作品です。 |
対になるワイングラスの一方をわざと割ってはよけい寂しい 五十嵐きよみ この「寂しい」は、まさに心に穴の空いた感じの寂しいなので、私の感じた「寂しい」のイメージにぴったりでした。 対になるワイングラスの一方を割る行為。 おそらく、その一方はもう必要のないグラスなのでしょう。 その寂しさを捨て去ろうと、グラスを割れば、もっとリアルに寂しさが押し寄せてくる。 心の空白をなんとかしようとあがき、さらに深まる空白。というのでしょうか。 このワイングラスをわざと割る様子。 レオナルド・ディカプリオ主演の映画「タイタニック」にて、最後に年老いたヒロインのローズが、宝石を海に落とすシーンがありますが、 それに似た光景に思いました。 まるで、なにかの間違いで海に落としてしまったかのように。 まるで、なにかの間違いで割ってしまったかのように。 空白を埋められないことを知っていて。 知っていることを形にしてあらわしてしまえば、さらに広がる空白。 |
寂しいと言へばたちまち寂しさの形をとつてなだれる心 萱野芙蓉 こちらも、自らの感情をはっきりと意識することで、加速してしまう心をあらわしているようです。 うっすらと感じていることを、「寂しい」という言葉にしてしまう。 そうして言葉にしてしまった瞬間から、体も心も全身が「寂しい」へと向かっていってしまう。 「なだれる」という言葉が、その感情の重みと勢いをあらわしているようです。 うっすらと感じて凍えている夜も、それがくっきり形となってなだれる夜も。 心はそうして整っていこうとしているのだと思います。 |
あの朝に二人で分けた寂しさを今も大事に胸に抱いてる 逢森凪 こちらは「二人で分けた寂しさ」と来ました。うわー。 二人でいても寂しいのではなく。二人で分けた寂しさ。 寂しさなんていうものは、きっと、相当近くにいないと分けあえないと思います。 (それに比べれば、嬉しさはなんて単純に分け合えられるもんだろう) けれど、分けあうのは、結局、寂しさなのですね。 わー。せつない。 近いからこそ分けあえる寂しさだから、せつない。 だから、きっと今も大事に胸に抱いているんでしょうね。 |
もう二度と会えぬと思っていた日々を思えば何も寂しくはない お気楽堂 これは、『もう二度と会えぬと思っていたあの日々よりも寂しい(淋しい)ことはもうなにもない。』という意味の作品なのでしょう。 ここで、作者さんの意図を離れる恐れのあることを承知で、私の「寂しい」「淋しい」の概念から見ると、 「もう二度と会えぬと思っていた日々」は「淋しい」日々だったと思います。 けれど、今、作中主体が抱えているのは、 「もう二度と会えぬ」ということへの「淋しさ」ではなく、 「もう二度と会えぬと思っていた日々」を抱えていた自分への「寂しさ」だと思います。 この作品には、会えぬことの淋しさを越え、それを抱える自分への寂しさを越えるという、2重の脱出があるのではないかなぁ。と私は思います。 ゆっくりと時間をかけ、人はさびしさに耐えうるほどの強さを得るのね。 |
ひとり野に立つ寂しさがここちよく関わることの重さを思う 林本ひろみ こちらは、「ひとり野に立つ寂しさ」からうまれるもの、気づくことに思いを馳せた作品です。 ここでは「寂しさ」が「ここちよく関わることの重さ」へと導いています。 はっとしました。 よく、寂しさと嬉しさは対比され、寂しい人間は、単純に、心を埋めようと願い、温まることを欲するけれど、 そのために大切なことを、この作品はぐっと見据えているような気がします。 寂しいことも、ここちよいことも、それだけに満足し、浸り、おぼれてしまわないで。 |
これらの作品の「寂しい」を「淋しい」と言いかえると、やっぱりなにかイメージが変わる気がします。
このお題。様々な「寂しさ」に触れられてよかったです。