中江兆民の著作を読み進むと同時に、兆民という人物はいかなる者であったかも読んでいるが、彼の奇行には驚くばかりである。
「中江兆民奇行談」(『全集』別巻所収)にその奇行が具体的に記されているので、大笑いしながら読んでいる。しかし、現代にこういうことをしていたら、いくら良いことを主張したり書いていたとしても、信用をなくし、一挙に谷底に落とされてしまうだろう。
ということは、つまり、こういう奇行癖の持ち主でもその論説などが現在も評価されながら残されているということは、明治というのはなかなか寛容な社会であって、豪放磊落が大いに許されていたのだろうと思う。
しかしこうした奇行は、松永昌三先生の『中江兆民評伝』などには記載がなかった。
ボクは、兆民についての講座で、こうしたことも隠すことなく話すつもりだ。人間の評価は、その全体でなされなければならぬ。
「中江兆民奇行談」(『全集』別巻所収)にその奇行が具体的に記されているので、大笑いしながら読んでいる。しかし、現代にこういうことをしていたら、いくら良いことを主張したり書いていたとしても、信用をなくし、一挙に谷底に落とされてしまうだろう。
ということは、つまり、こういう奇行癖の持ち主でもその論説などが現在も評価されながら残されているということは、明治というのはなかなか寛容な社会であって、豪放磊落が大いに許されていたのだろうと思う。
しかしこうした奇行は、松永昌三先生の『中江兆民評伝』などには記載がなかった。
ボクは、兆民についての講座で、こうしたことも隠すことなく話すつもりだ。人間の評価は、その全体でなされなければならぬ。