浜名史学

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伊藤野枝のこと

2023-01-23 20:36:27 | 大杉栄・伊藤野枝

 埼玉県に住む方からの手紙の中に、伊藤野枝に関して言及があった。

 私は学生時代から野枝の生に大いなる関心をもってきている。だから、野枝が上京するまで生活をした福岡県の今宿周辺を歩いたり、野枝の甥にも会ったことがある。野枝に関して書かれた本は、ほとんど読んでいるし、全集は三巻本も、そのあとに出版された四巻本も持っている。

 私は、野枝はずっと闘い続けた女性だと思っている。闘う対象は時期によって異なるが、自らをもっともっと成長させたいという強い意欲を原動力に、ひるむことなく闘い続けてきたと思っている。

 いただいた手紙には、平塚雷鳥の野枝評が記されていた。ユーチューブでそれを知ったというので、私も見てみた。雷鳥の指摘には、なるほどと思うところがある。たとえば「野枝はみずからの思想を持ち得なかった」という点である。その通りだと思う。しかし野枝が殺されたのは28歳である。一般的に、28歳までにみずからの思想をつくりあげることができるのだろうか。私は、それに一面同意しつつ、しかし野枝自身の生き方それ自身が彼女の思想であると思っている。

 手紙に書かれていた雷鳥の野枝評として、「その都度の愛人の思想が彼女の思想」だというものがあった。私はそうは思わない。今宿に生まれ、豊かではない生活の中で、みずからを成長させるためにおじさんにすがって学校に行かせてもらったり、野枝は常に主体的にみずからの生を築き上げようと生きていた。最初の、親族に強制された結婚から逃れたのも、そうした生き方からである。その逃れた先に辻潤との生活があった。野枝は辻から多くのものを学んだ。しかし辻のように生きることはなかった。その後、大杉と同志的な関係に入り、大杉からも多くを学んだ。

 野枝の生の軌跡をみつめると、主体は常に野枝にある。私は野枝の文も、大杉の文もすべて読んでいるが、大杉の思想=野枝の思想だと思ったことは一度もない。共同生活をしているから、影響し合うことはもちろんあったが、「愛人の思想」をそのまま野枝の思想だという指摘は、間違いだと思う。

 もう一つ、雷鳥は「野枝の理性(理知ではないか?)を信じない」とあるが、それは雷鳥の勝手であろう。

 その手紙には、「野枝の身勝手」についても言及している。確かに、野枝の周りの人びとは、野枝の主体的な生の渦巻きに巻き込まれて、野枝に「身勝手」を感じたこともあるだろう。

 野枝がどんな逆境にあっても、みずからの生をみずから創っていく、というその強い意欲に、私は大いに心を動かされている。

 私が野枝への思いを瀬戸内晴美さんに語ったことがある。瀬戸内さんが『美は乱調にあり』を刊行し、『諧調は偽りなり』を書いている頃だ。瀬戸内さんは、「あなた、野枝さんはたいへんよ。」というようなことを言われた。

 私もそれには同意する。しかし、明治から大正にかけての時代、ひとりのイナカに生まれた女性が、みずからの生をみずからの力で創り上げていこうとするとき、それを阻止する力は途轍もなく大きなものであったはずだ。その力に抗するには、それらを押しのける強さが必要とされた。

 その強さに、私はひかれるのだ。その強さが、時代を切り開いてきた。その強さは、雷鳥ももっていたはずである。

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