浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

連合の立場

2018-05-30 08:36:10 | その他
 1989年に、総評など労働組合が解散してできた全国の労働組合のナショナルセンター。この連合の結成に伴って、たとえば静岡県労働組合評議会(静岡県評)もなくなった。現在、同じ名を名乗っているのは、共産党系の組合の結集体であり、以前の静岡県評とは異なる組織である。

 「労働戦線の統一」という呼びかけにより結集した連合、そこから「戦線」、つまり「闘う」という機能はまったく消し去られた。労働組合を骨抜きにするために、連合が結成されたのだ。その際、共産党系の組合は連合にはいかず、共産党系だけで全労連を結成した。また全労協という組織もできた。つまり、連合が出来たからといって「労働戦線」が統一されたわけではなかった。

 連合加盟組合は、みていると、ほとんど何もしなくなった。おそらく旧同盟系や、電力総連など右派系の労働組合の流れが主導権を握っているからであろう。以前、茨城県かどこかの戦後の労働組合運動の論文を読んでいた時、労働組合運動を妨害していたのが電力系の労働組合で、その組合が「労働戦線の統一」に積極的であったことが記されていた。

 連合で主導権を掌握している組合は、はっきりいって「御用組合」である。会社の経営方針を体現する労働組合であり、何もしないけれども組織率だけは高い。そうなると、地方や地域の連合組織のなかでも主導権を握ることができる。かくて、「御用組合」が主導権をもった連合による地方の労働運動の支配力が強くなり、たとえば真面目に労働運動を行っていた労働金庫の労働組合もそうした支配を受けるようになった。

 労働運動が下火になり、労働組合の組織率も低下する。ユニオン・ショップ制度をとる企業内組合、それは労働運動をやらない、労働組合の人事は会社の総務課(人事)などが行う。そういうところは組織率が高いが、そうでないところ、たとえば全労連系の組合は組織率がどんどん低下していく。

 要するに、連合の成立は、労働組合の活動を抑圧し、労働者に平和運動などへの参加を抑えるものであった。そして細川内閣の時に吹き荒れた「政治改革」、この両者があいまって、現在の日本をつくりだした。つまり、組織的な大衆運動の消失と小選挙区制による政治の劣化である。小選挙区制を自民党が打ち出したのも、1989年であった(政治改革大綱)。

 1989年は、日本の政治や社会を不健全化するターニングポイントであった。その末路が現在である。

 以下は「朝日新聞」記事であるが、連合はおそらく本気ではない。

連合、ようやく「高プロ反対」 響く昨夏の「容認」騒動
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