浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

斎藤美奈子さんの本と昼間定時制高校の話

2020-12-11 19:46:04 | 読書

 紀伊國屋書店の『中古典のすすめ』。ずっと読んでいて、山本茂美『あゝ野麦峠ーある製糸工女哀史』について書いた文が光る。

 ただし、86頁のこの本を間違って、訂正もせずに『あゝ野麦峠ーある製工女哀史』としている。編集者はこの誤植に気付かなかったのか!

 私も『あゝ野麦峠』は感動しながら読んだ口だ。なぜなら、若い頃、貧しい製糸女工さんのような生活を強いられていた少女たちを知っていたからだ。

 そのことについてルポルタージュを書いたことがある。「“暁”を求めてー現代の「織姫」たちー」である。某雑誌に2回にわけて掲載したものだが、上だけデータ化してあるので、ここに貼り付ける。長文である。(1982年に書いたもの)

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消えた「女工哀史」

 野麦峠を訪れる観光客の胸中にあるのは、あの『あゝ野麦峠』に描かれた幼い少女たちが日本近代に残した重い足跡なのだろうか。冬になると野麦峠に雪が降り、少女たちの足跡を消していったように、時の流れは「女工哀史」を歴史的な事象として、おびただしい書物のなかに埋めこんでいってしまう。だが、書物のなかだけに「女工哀史」はあるのだろうか。

 日本の多国籍企業が低賃金労働力を求めて韓国、台湾、東南アジアなどに侵出していっているのは周知のことであろう。繊維産業ももちろんその例外ではない。「女工哀史」の悲劇はそのままのかたちで、まず海外で演じられている。貧困という民衆のありようが、日本企業に甘い汁を吸わせている哀しむべき、いや怒るべき事実がある。

 時間という経験と、空間という緯線が私たちの前に交わっているのである。
 だが、その交点の真下、つまり私たちの足もとにも「貧困」があり、その「貧困」を貪っている者たちがいることは、あまり知られていない。

 

働く女子高校生

 女子高校生が働いている。もちろんアルバイトではない。生きるために、高校生活を維持するために働いているのである。彼女たちは繊維産業(紡績・織物工場)の労働者であると同時に、昼間二交替定時制に通う高校生である。
 彼女たちの一日は次のようにして始まる。
  
 私たちの毎日の生活は、けたたましいめざましの音で目 がさめる。時刻は4時20分。まだ眠りたいという意思とは裏腹に、体だけが自動的に働きはじめる。凍りつくような水で顔を洗うのはとてもつらい。かじかむ指で作業服に着替え、まだ星の散りばめる暗い道を工場へと向かう。その足取りは重い。午前五時、作業開始のサイレンが私たちの頭に響く。まるで『仕事を始めるんだ』と命令するかのように・・・

 このようにして始まった彼女たちの生活は、午後1時30分に仕事を終え、高校へ行く。

 ふつう定時制高校というと、そこに通う生徒たちは、昼間働いて、夜、学校に行く。しかし彼女たちは昼間学校に行くのである。
 このような昼間二交替制定時制高校は、生徒集団を二つに分ける。一方が働いている時、一方は学校に行っている。したがって午前に学校に行く生徒集団もある。彼女たちの労働は午後1時30分から夜の10時まで、あるいは10時30分までである。一週間毎に二つの生徒集団は、それぞれ仕事と学校を交互に繰り返す。このような変則的な生活時間帯は、繊維産業の二交替労働に照応してつくられたものであることは言うまでもない。
 4年の間、こうした生活は続けられる。その間、彼女たちは、思い悩み、様々なことを経験する。

 

「私たちは機械ではない!」

 昼間二交替定時制高校(「昼定」と言われる)の女子高校生たちの生活は、まさに「時間に追われる生活」である。だから彼女たちは歩かない。移動は常に「かけ足」である。

 昼定の一女子高校生はこう語る。

  だって時間がないもの。自分の自由な時間をつくるにはかけ足するしかないんです。

 彼女たちの働き、学ぶ生活の中で、自由になる時間は2時間足らずである。それ以上とるためには、基本的な生活(たとえば睡眠、食事など)を犠牲にしなければならない。列車の過密ダイヤのように、分刻みの時間に追われる。いや、時間に切り刻まれる生活が続くのだ。

 そんな時間のなかで、最もまとまった時間、それは働いている時間である。約8時間の労働の中身はどうなっているのであろうか。幾人かの女子高生たちに「私の仕事」と題したレポートを見せてもらった。そのいくつかを紹介しよう。

 まず織布工場では・・
 ○織布の戸を開いてびっくりすることは、鼻をつく悪臭とガシャガシャという大きな音。落ちついて仕事ができるかと疑問すら出てくる。新入生の時など、機場から出てもキーンという耳鳴りが三週間ほど続き、とても痛く他の音がとても小さく耳に入ってくる 

 ○人数関係にしろ人が足りないために名だけの有給休暇といった感じで、一人もらえば二人でやらなければならないので、後々のことを考えればとてももらう気になれません。病気などをしてもどうしても欠勤する場合にはじめて有給休暇で休むくらいなのです。この職場は体に絶対に害になっていると思う。毛羽が一日に段ボール一箱でるのです。

  ○人数が少ないから、やたらに休むことができない。たまらないのは生理の時です。腰を曲げたりするので苦痛だ。生理休暇がないからお互いいたわり合いながらやっている。

  ○どの職場でも、やっぱり織布は神経を使います。傷なんかはいれば、やっぱり織布の責任だから。4年間働いてつくづくイヤになりました。それから、出勤する時間はみんなより早いのです。同じ時間に始まるのですが、朝織機に油を差さなければならないので、4時35分か40分頃部屋を出なければならないのです。

  次に紡績工場では・・・
  ○粗紡の仕事ですが共通して言えることは、目、口、鼻に綿ぼこりや風綿がはいって痛いし、腰を曲げるので、ある人はヘルニアになった人もいるし、音がうるさいので耳が 痛くなる。

  ○仕事が始まる前に台の清掃。サイレント共に立ちっぱなしの仕事が始まる。

  ○本来なら男の人の仕事だけど、人手不足のため女の子がやっている。精紡でできた管糸を捲糸に運ぶ仕事が管糸運搬である。下に車のついた運搬用の車で一箱10㎏前後の箱を一度に20個ぐらい乗せて運ぶ。

  ○食事は、まわし交替となっていて、先番の時(午前中仕事をする時、午後の場合は後番という-引用者注)は6時45分から45分間ずつ9時まで、後番の時は17 時15分から19時30分までである。それ以外休憩はなく、自分勝手に台を止めることができない。

  ○捲糸には三種類の機械があって、各機械に一日の目標あ げ個数が決められています。そして毎日、黒板に各人のあ げ個数を書き、目標達成ができた人には赤チョークで枠を とったり、丸印をつけたりして、私たちの競争心を駆り立 てているようです。

 女子高生たちが一生懸命に働く、いや働かされている姿が目に浮かぶようである。紡績工場では8時間、ずっと機械の間を走り回っている姿がある。いずれにしても彼女たちの労働は生やさしいものではない。それでもある高校生はいう。

  私たち失敗しないように必死にやっています。失敗したら、他の人に迷惑をかけるし・・・

 彼女たちは与えられた仕事を必死にやろうとする。やらずにはおれないような体制ができているといった方がよいのかもしれない。とにかく働く。しかし彼女たちもふと考えるときがある。

  私たち、台を動かしているというよりも、逆に私たちが動かされているみたい。

  そしてこう叫ぶのである・・

  私たちは機械ではない!

 

破壊される健康

 全日制高校の生徒の疲労度は、学校の生活の中で高くなっていく。しかし昼定の女子高生の疲労度は、学校生活の中で低くなっていく。疲労しきった体は、学校生活の中で回復するのだ。

 女子高生たちは労働の現場で健康を害していく。

 先ず高温多湿の職場環境は、水虫を蔓延させる。水虫がひどくて通院する者が多い。それから難聴。ひどい騒音の中で仕事をするから当然かもしれない。また重いものを持ったり運んだりするので腰痛・ヘルニアに苦しむ者も多く、入院する者もいる。他に関節炎、生理痛・生理不順なども多い。彼女たちは身体の限界を超えて働かされているといってよいだろう。

 このような昼定と他の全日制高校と同時に行われたアンケート結果がある。

 明らかに昼定の女子高生に身体の故障が多いことが分かる。生理休暇も、有給休暇も十分にとれないというなかで、彼女たちの身体は蝕まれていく。

 ある女子高生は、話す。

 企業側は私たちをなんだと思っているのか。生産を増すだけの機械みたいだ。身体の具合が悪くても『あなた学校に行ったんでしょ。だったら仕事だってできるはずよ』と、働け、働け。私たちは勉強するためにここに来たのだ。学校があったから、ここに来たのだ

 通院する場合、彼女たちは学校を休んでいく。学校に行けば「学校に行ったなら仕事はできるはずだ」といわれる。彼女たちは決してズルで欠勤するのではない。欠勤すれば同僚に対して迷惑になることを知っている。やむを得ず休むのだ。それに対して会社側は、「働け、働け」という対応しかとらない。
 その対応も、ただ単に会社側の人間が積極的に行うのではなく、卑劣にも、女同士の目に見えない対立を利用したりする。労働者同士の足の引っ張り合いである。特に上級生が下級生を「指導」することになっているが、実際は「管理」の論理で下級生らに迫っていく。女子高生たちは上下関係の強さを意識してこう言う。

  先輩後輩の差がありすぎる。
  上の人はえらそうだ。 
  上司から言われることを素直に受け入れねばその職場でいやがられる。

 同じ労働者同士が監視し合い、労働を強化させていくのだ。その中で彼女たちの身体は破壊されていく。
 女子高生たちのできることはただ一つ、それは耐えることである。

 一人の女子高生は次のように記している。

 この先いったいどうなるのか。普通の高校生を見るとうらやましく感じ、何度ここをやめたいと思ったか数知れません。『ふつうの高校生になりたい。家に帰りたい。お母さんに甘えていたい。部屋がうまくいかずつまらない。仕事がつらい。もう疲れた』などと泣き言を思ってみたりもしました。そのたびに浮かんでくるのはお母さん、中学生の時の先生の励ましのことばです。『負けない、頑張るぞ』などと自分を励まし、立ち直り、今日まで頑張ることができました。これから先、つらいこと、悲しいこと、いろいろな困難にぶつかると思いますが、自分に負けずに頑張っていきたいと思います。いいえ負けてはならないのです。ここまで来た以上は、勉強と仕事を両立させていかなければならないのです。自分自身のためにも・・・

 彼女たちは4年間、つまり昼定を卒業するまで頑張りたいという。いくらつらくても、苦しくても「自分で選んだ道だから」と。

 しかし4年間必死に働いてやっと卒業=退社だ、と解放的な気分になれればよいのだが、残念ながらそうではない。彼女たちに最後の関門が待ち構えている。

 

会社、やめさせてくれない!!

 女子高生たちは4年間の「時間に切り刻まれる日々」を耐え抜く。そして昼定を卒業すると同時に、新しい世界へ旅立とうとする。だが、繊維のいくつかの企業は退社させてくれないのだ。

 「退職の自由」は、戦前の大日本帝国憲法下の時代ならいざ知らず、日本国憲法があり、その下には労働基準法などがあって、労働者の様々な権利の一つとして保障されているはずである。
 だが現実はそうではない。

 戦前、企業は「前借金」、「強制貯金」、「強制労働」などで、労働者の「退職の自由」を奪っていた。現在ではもちろんこれらのことは禁止されているが、「前借金」ならぬ「仕度金」(後述)、「強制貯金」ならぬ「社内預金」-これらは法に触れないようにしながら、今も十分機能している。

 「社内預金」は請求すれば、遅滞なく返還されることとなっている。しかし、ある女子高生が「会社を辞めたいから、社内預金を下ろしたい」と言ったところ、「まだ退社を認めていないからダメだ」と拒否されることもあったという。このような状況の中で退社するためには、着の身着のままで逃げるしかないという。

 ではどのようにして退職させないようにしているのだろうか。その例をいくつか記そう。
①看護婦になりたいという女子高生に、社長夫人は言う。
「看護婦なんかになると結婚する相手がなくなるし、こき使われるだけよ。ここで働けばお金も貯まるし、親に面倒をかけずに結婚できる」

②3月5日に退社したいという生徒にはこう言う。
「そんなに早くやめて何をするのだ。そんなにあせってやめなくても、4月10日頃、新入生が入社して落ちついてからやめた方が気持ちよくやめられるじゃないか。3月5日でないと親が死ぬとでも言うのか。第一、今まで会社のお世話になっていて、卒業したらハイサヨウナラでは虫がよすぎるじゃないか。人がいないときにやめたいと言っても、それは無理な話だぞ」  

③結婚したいから退社したいといった女子高生に社長はこういう。
「若いからまだ結婚なんて早い。先輩は(卒業後)1年も2年もいるのに、おまえたちだけだ。会社のことは考えないのか。おまえはふつうの人間じゃない」

 企業にとってみれば、3月下旬に「新工」(新入社員)が来るので、4月いっぱいは働いてもらい、新入社員に技術などを伝授してもらいたいわけである。ちなみに企業内にある通信制の高校の卒業式は、4月に入ってからである。

 このように直接的に退社させないようにする一方で、次のようなこともする。
 まず待遇で。4年生になる時点で、退社しない女子高生には寮の個室を与えたりする。あるいは、4年で退社する場合と4年以上働いて退職する場合とでは、退職金に大幅な差をつけたりする。

 さらに、女子高生の親許に行き、退職させないよう親に働きかける。これが彼女たちにとっていちばんの圧力となる。

 彼女たちの通っている高校では、制度的には全くこのことに無関心のようである。なかには女子高生たちのために努力する教師もいるようだが、その動きは大きくはないようだ。

 だから彼女たちみずからが、訴えを始めた。今から5年前、1977年の3月6日のことである。女子高生たちの通う高校で卒業式があった。答辞は沖縄から来た卒業生によって読まれた。

 その答辞は、今も語り続けている。

  ・・・今、私たちの心も喜びでいっぱいです。この日のために遠くからお祝いにかけつけてくださいましたご父兄の方々をはじめ、私たちのために良きご指導を行ってくださいました諸先生方並びに一日も欠かさず送り迎えのバスを出してくださいました企業の方々に心から感謝したいと思います。
  振り返ってみますと、私たちは希望に胸をふくらませて、住みなれた故郷をあとにしました。そして人一倍根性のいる働きながら学ぶという、二つのことを同時にしなければならない昼間定時制への第一歩を歩み始めました。その当時は、どんなことがあっても4年間はやり通してみせるという固い決意と意地がありました。
  ところが、仕事と勉強の両立は、私たちの想像をはるかにこえた、困難をともなったものでした。唯一のくつろぎの場である学校は、全国各地から集まってきた仲間たちに満ちあふれ、私たちの楽しみはここで語りあうことでした。
  今思うと、1年目は無我夢中でやってきたせいもあって、あっという間に過ぎていったような気がします。仕事場では高温多湿という悪条件の中で、多くの人が騒音や水虫に悩み、さらには腰痛、ヘルニアで入院するなど、健康を害する人が数多く現れました。また2~3年前の石油ショックで繊維産業は大きな打撃を受け、この学校を去らなけれ ばならなくなった友もいました。
  このような状態で2年、3年を過ぎ、仕事にも学校にも慣れた私たちは、仕事の単純さと学校のつまらなさを日々感じたものでした。楽しみも日曜日と給料日だけの、はかなく空しいものに変わっていました。
  それを解決するために努力したかというとそうではなく、ただなんとなくこのような状態に押し流されて現在にたどりついたような気がします。それで充実した日々が送れたと満足していえる人がいるだろうか。この青春のまっ盛りの時期に、何かをし残したような空虚さを感じずにはいられません。その一つとしては、学校や企業に対する不満を爆発させずに今まで来たことです。
  私たち卒業生は今ここで次のことを要望したいと思います。第一に学校へは、「学校に就職の斡旋を委託する」という内容を持つ職業安定法第25条3項を採用し、転職希望者のために就職斡旋を行うことを希望したいと思います。2月中旬に調べた4年生の進路状況は、転職希望者のうちわずか34・45%しか決まっていない状態でした。毎年卒業生を送り出す学校側としては、そういう矛盾をなくし、卒業後の保証をしてほしいと思います。
  次に先生方は、生徒の持つあらゆる可能性を信じること、そしてこの学校は県立高校だということを、先生方はじめ企業側も再認識していただきたいと思います。
  第二に企業側への要望といたしましては、転職の自由を認めてほしいということです。それに会社で働く人たちの個人を尊重する意味で、寮生活の改善や食事の栄養面も考えて「苦情処理」の実現を果たすこと、特にある紡績に関しては、寮内の規則制限を緩め、プライバシーの侵害をしないことの要望も加えたいと思います。
  最後の要望は在校生の皆さんに対してです。在校生の皆さん、現在目覚めつつある生徒会に協力し、さらに発展させること、そして自分たちで決めたきまりを理由なく破らぬこと、不満なところは自分たちの手で改善して勝ちとることを望みます。もう一つ、今出した要望の行く末を見守り実現させてください。
  以上のことは、私たち卒業生の最大の望みであります。
  ・・・・・(中略)・・・
  離ればなれになる私たちは今度いつ会えるかわからない まま、一人ひとりの道を歩いて行きます。着実にしっかりと目的に向かって旅だっていきます。また次の目標をめざして。
  『詞集 たいまつ』より
   始めに終わりがある。
   抵抗するなら最初に抵抗せよ。
   歓喜するなら最後に歓喜せよ。
   途中で泣くな。
   途中で笑うな。

 

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