浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「選ばれた?」

2024-10-09 20:58:44 | その他

 ひとりの人間でも、集団でも、あるいは宗教でも、謙虚さのないものは評価するに値しない、とわたしは思っている。

 少なくとも、イスラエルの宗教と言われるユダヤ教は、その傾向が強い。神によって「選ばれた」民である、という自負。

 『世界』11月号で、森本あんり氏が「国家神信仰を批判する」という文を寄せている。イスラエルの国家指導者が行っていることについて、あるいはそれを正当化する宗教的背景について、宗教的な立場から批判しているのである。

 森本氏は、アメリカの「明白な宿命」 Manifest Destiny をもって、アメリカもイスラエルと同様に、「宗教的な国家理解」を持ってるとし、この文で、「神学的な批判」を行おうとしている。

 「イスラエルが「選ばれた民」である理由はまったくなく、そうあり続ける内在的な保証もない。」聖書では、神が選ぶのである、神がイスラエルを「選ぶ」ときには、「もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば」という条件がついていた、というのである。イスラエルの民は「諸国民の光」にならなければならない、「イスラエルが単に「存在する」だけではなく、「いかに存在するか」が問われている、神は「倫理を求め」ている、と森本氏は指摘する。

 森本氏が、宗教的に根底的な批判をしても、イスラエルのおおかたの人びとは、「選ばれた」民として、自負を持って、周辺の人びとを殺し続けるだろう。

 もし宗教的に、イスラエルの「旧約聖書」理解が間違っているというのなら、全世界のユダヤ教徒やキリスト教徒が、こぞって厳しい批判を行うべきだろう。だが、残念ながら、米英独など、キリスト教国は、イスラエルの蛮行を支え続ける。

 世界にはたくさんの宗教があるが、キリスト教徒こそが、もっとも多く、彼らにとっての「異教徒」を殺している。十字軍、新大陸への進出にともなう先住民殺戮、奴隷貿易、ユダヤ教徒に対する迫害・・・・

 わたしは、キリスト教徒は、みずからが引き起こした過去の蛮行をしっかりと見つめ、反省するべきだと思う。なぜそういうことができたのか、宗教的にそれらは許されることであったのか?「異教徒の殺害」を、ヤハウェ、イエス・キリストは許したのか、許さないまでも、教義にそうした蛮行を許容する理解はなかったのか・・・・・

 「聖書」には、平和を希求することばがちりばめられている。しかしにもかかわらず、キリスト教国は、異教徒に対して蛮行を繰り返してきた。

 森本氏の言葉を借りるなら、神は信仰者に倫理を求めなかったのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする