昨日『世界』2月号が届いた。特集は二つであるが、私はいつも「メディア批評」から読みはじめる。いつも通りに、鋭い指摘が並ぶが、テレビを見ていない私にとっては「そうだったのか」というだけだ。
もちろん新聞への言及がある。辺野古新基地の建設断念を明言したのは『東京新聞』だけだとのこと。『朝日』や『毎日』は、『読売』や自民党・公明党政権の方針に徐々に引きずられているということでもある。そういう新聞にカネを出そうとは思わない。「メディア批評」は、「日米安保条約は日本の安全保障上、本当に不可欠な存在なのか。同条約が沖縄差別を引き起こしているのではないか。本土メディアの人権意識が問われる」と書いている。
同感である。アメリカという国家が、誕生以来、一貫して独善的な外交政策を展開してきたことを学んだ私としては、自国のことしか考えないアメリカと「同盟」していることに危惧を持つ。
今、アメリカは中国の「人権」を非難しているが、つい最近までアフガンその他でのイスラム教徒の過激派によるテロに苦しみ、中国に対してイスラム教徒の過激派取り締まりを要求していた。その過激派を産み出す地域は「新疆ウイグル自治区」であった。中国による「新疆ウイグル自治区」抑圧は、アメリカが求めていたことでもある。また、中国の「人権」を非難するアメリカは、中東で、多くの一般住民を殺してきた。アフガン撤退時でも誤爆によりNPOの人々を殺したばかりである。外国の民間人の生命を奪うアメリカが、他国の人権状況を批判できるのか。
そういう米国の利益を最大限引き出そうと日本の政治家がアメリカCIAと手を組んで、表向きは「愛国者」「ナショナリスト」の顔をしながら暗躍してきた戦後の歴史をみると、暗澹たる気持ちになる。
さて「世界の潮」に、「ドストエフスキー生誕200年」の記事があった。知らなかったが、1917年の革命後、ドストエフスキーは冷遇されていたそうだ。レーニンは彼の作品を酷評していたとのこと。1960年代まで、ドストエフスキーの作品は「発禁状態」にあったそうだ。
今では、「罪と罰」が学校で必修とされているという。よいことだ。ドストエフスキーは読むべきである。みずからの生き方に大きな影響を与えること、間違いナシである。大学一年生の時、ドストエフスキーを読みあさった。その感想を日記につけながら。
ドストエフスキー生誕200年、時間があったらもういちど読み直そうと思っている。ただ、私が読んだのは米川正夫訳。本当は、ドストエフスキーの作品は笑いがあるのだと、亡くなった米原万里さんが書いていた。他のひとの翻訳で読もうと思っている。