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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『歴史評論』という雑誌

2014-12-21 21:33:53 | 
 『歴史評論』という歴史科学協議会が発行している雑誌を、学生時代からずっと購読してきた。この雑誌、そろそろ購読をやめようかと思い始めた。

 最近は、県内の自治体史も終わり、最近行われている自治体史は、どちらかというと1980年代以降を扱うというものに変わってきている。まさに現代ならぬ、現在史といったところだろうか。

 ボク自身も、自治体史編纂のなかで発見された史料をもとに何かを研究するということなら仕事の上だからとやっていくだろうが、自分自身が新たに史料を発掘して何かを研究しようという意欲はなくなっている。その意味では年齢を感じる。

 他方、各所から依頼される講座については、人口に膾炙しているテーマについて、みずからのオリジナリティを付け加えながら話すという内容のものが多い。
 講座と言っても、テーマはボク自身が設定するのであるが、書庫には今まで読んでいない本も大量にあるし、まったく一般的でない内容を話しても面白くはないだろうし、ということで、人口に膾炙しているテーマをもういちど勉強しなおして、若干の私見を提示しながら話すのである。しかしこれとて、準備にはかなりの時間をかける。ということは、まさに新しい史資料を探して・・・などという時間はないのだ。

 そういう時間もなく、意欲もなくなったら、もう「研究者」ではない。

 他方、ボクよりも年長の町田の住人は、今以てテレビ(時代劇チャンネル)を横目で見ながら研究を続けている。年長になると、研究から離れる人が多いが、この研究に対する意欲は、いったいどこから生じるのか。

 今月号の『歴史評論』の特集は、「伝記・評伝・個人史の作法を再考する」というものだ。成田龍一氏が中心となっている。彼の論文、「「評伝」の世界と「自伝」の領分」を読んだが、最後の永山則夫に関わる記述以外、まったく頭に入らない。他人の書いたものをならべて印象批評をするだけの内容だ。副題に「個人史研究をめぐる断片」とあるが、まさに「断片」をならべただけという感じである。成田氏も、もう歴史研究者ではなく、かなり前から「歴史批評家」となっているような気がする。そういえば、彼の『大正デモクラシー』(岩波新書)も、「大正デモクラシー」期の歴史と格闘したとは思えないようなものだった。

 歴史家とは、研究する対象と格闘しながら、あーでもない、こーでもないと思考を重ねるなかで何ものかを生み出す(何らかの歴史について叙述をする)人のことをいうのだろう。町田の住人は、まさにそういう人である。

 今ボクがやろうとしていることは、戦後の静岡県の社会運動史、1980年代以降の某自治体の歴史(しかしこれは「歴史」といえるのか?)、そして歴史講座である。すべて依頼された仕事である。ボクに残されているのは、そこにどれだけオリジナリティを出すことができるか、であるが、これだけでは研究しているとはいえないだろう。

 研究の最前線に立つ人が読む『歴史評論』は、ボクにはもう必要ないようだ。購読料が切れたところでやめようと思う。ちなみに町田の住人は、研究を続けているのに、そうした雑誌の購読をすべてやめている。

国家のカネを、言うことをきかないとやらないぞ、という恫喝。

2014-12-21 15:49:01 | 政治
 以下は、「時事通信」の配信記事。安倍政権の卑劣さが、ここにも現れる。


沖縄振興費減額も=普天間転換促す構え-安倍政権

 政府は、沖縄県の翁長雄志知事が米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対していることを踏まえ、沖縄政策を見直す検討に入った。翁長氏に方針転換を促す狙いがある。増やし続けてきた沖縄振興費について、2015年度予算案での減額も視野に入れている。
 政府はこれまで、沖縄振興策を呼び水に普天間移設の進展を図る手法を取ってきた。カネと権限を盾に露骨に圧力をかけるような姿勢に出れば、沖縄県側が反発するのは確実で、移設問題の先行きを一段と不透明にする可能性がある。
 沖縄振興費をめぐり、安倍政権は13年度予算で3001億円、14年度予算で3501億円を計上した。11月の知事選で3選を目指した仲井真弘多前知事を後押しするため、15年度の概算要求では3794億円に上積みした。
 しかし、知事選では普天間飛行場の県外移設を訴えた翁長氏が勝利。同氏は16日の県議会で「辺野古に新基地を造らせないことを県政運営の柱にする」と表明し、仲井真氏による辺野古埋め立て承認の取り消し・撤回を目指す方針を改めて示した。
 翁長氏は15年度の予算要望のため週内に上京し、安倍晋三首相や、菅義偉官房長官ら関係閣僚と会談したい考え。しかし、菅氏は19日の記者会見で、正式な面会要請は届いていないと説明し、「会う予定はない」とも語った。政府関係者は沖縄振興費について「(14年度からの)減額もあり得る」と話している。 
 政府は今年3月、民間投資を呼び込むための国家戦略特区の対象の一つに沖縄県を指定したが、他の地域と比べ事業計画の策定が遅れている。首相は指定見直しも検討する構えで、18日には内閣府の関係者に「沖縄の出方を見ている」と語った。(2014/12/21-14:12)

にらめっこ

2014-12-21 15:26:14 | 社会
 東京で電車に乗っていても、あるいは歩いていても、スマホとにらめっこしている人々をみる。何でそんなにスマホを見続けていなければならないのか。確かに「中毒」、という感じもする。

 今月号の「DAYS JAPAN」が、昨日届いた。その特集は、「若者を蝕む 依存症という危険」である。「ネットゲームが破壊する人生」が、そのなかにもちろん写真入りで報じられていた。話は、中国の例であった。ネットユーザー6億8000万人のうち、13%がネット中毒で、その大半はゲームに熱中する青少年ということだ。
 電車に乗っていると、小さな画面を見つめながら、ゲームに興じている若者を発見する。おそらく日本にもいるのだろう。

 中国政府は、ネット中毒を、治療すべき障がいで青少年の健康を脅かすものであると宣言しているという。日本ではどうなのだろうか。

 と思ったら、日本のことが記されていた。日本では52万人くらいだそうで、特にオンラインゲームへの依存が多く、また女子中高生に多いのがライン依存だそうだ。

 「リアル」な世界での直接的な語らい・コミュニケーションのほうが楽しいのに、今の若い人はネットを通じないとできないらしい。以前も、喫茶店で話をしているでもなく、ひたすらスマホに見入っている若者たちをみたことがあるが、あれなら一緒にいる必要はないだろうに、と思ったこともある。

 インターネット依存症は。「悪化の一途をたどりつつある」というのが、この特集の最後のことばであった。

 
 

反知性主義

2014-12-21 09:20:24 | 近現代史
 以前、静岡県出身の兵士が、中国からだした軍事郵便を発見したことがある。自らが転戦していった各所から投函されているのだが、そのなかに南京からのものもあった。その手紙に記されていることを現地で証明しようと、某テレビクルーと共に現地へ飛んだことがある。

 ボクたちは、その兵士が駐留していた銀行の建物を発見し、また第10軍・柳川兵団に属していた兵士の上陸地点(杭州湾)も探し当てた。

 南京事件については、それがなかったのだというまったくの虚説を主張する人たちがいる。その兵士の手紙には、そこで虐殺が行われたこと、またみずからもそれに加わったことが記されていて、虐殺事件の一次史料としての価値がある。
 しかし、その取材したことを放映する場合、たとえば中国の人々が語ったことの翻訳が少しでも誤りがあれば、「一点突破・全面否定」になりかねないので、慎重に慎重を期した。

 ボクたちは、歴史のなかで起きたことを事実として叙述する場合、背景も含めてきちんとした手続きを踏んでいく。しかし虚説を主張する人々は、学問的な手続きなんかまったく無視して、みずからの虚説を頭から信じてしまう。その意味では反知性主義である。反知性主義の方々に「そうではない」のだという事実を提示していくとき、子どもに教えるように丁寧に展開していかなければならない。

 昨日、静岡で日本軍「慰安婦」の講演を聴いた。そのなかで、日本の植民地支配下、総督府の御用新聞に「慰安婦」の募集広告が小さく載っていたことをもとにして、朝鮮人「慰安婦」はその募集記事をみて自ら応募したのではないかという、推測でものをいう「学者」の説に対して、当時の就学率、識字の状態などをもとに、貧しい少女たちがそういう募集広告をみることはありえないということを証明されていた。あざやかな証明であった。

 反知性主義の言説が、ネットを中心に「華やかに」流通している。その言説を政権が後押ししているのだから、何ともおかしな国になってしまった。

 「一点突破 全面否定」という、みずからが認めたくない学説などの小さな小さな瑕疵をみつけて、その瑕疵をあげつらうことによって全面否定するやり方は、反知性主義としかいいようがない。

 安倍政権は、低投票率と小選挙区制というなかで与党が多くの議席を獲得できたことから、「選挙勝利・安倍政治承認」という論理で、日本を大きく「変革」しようとしている。これも反知性主義の一つである。

 反知性主義の跋扈という事態を、さてどうすればよいのか、ボクは考えあぐねている。