浜菊会のブログ

半泣き老狼団。一道民が生き抜く為の記録。

3月31日(木)のつぶやき

2016-04-01 06:37:15 | 政治

衝突痕がなければ、自壊ということで、自然に5つに分解したということになる。どういうことで自発的に分解が生じたか?謎が深まる→宇宙ごみ衝突の形跡なし=交信不能「ひとみ」?米軍 - BIGLOBEニュース news.biglobe.ne.jp/domestic/0331/…


5つに自然分解、が分かり難い。例えば自動車のような構造物の場合で、運転席側ドアの開閉操作後に、ドアが車体から外れて分解、のような状況が生じた、というようなことであろうか。ドア、蝶番様接合部の部品が2つ、これを止めてた部品が2つ、のように5つに分解、みたいな。これが自然にバラけたと


分解しても、通信機能が不能とは限らないから、通信途絶理由というのは分からない。ドアが壊れてもナビは生きてる、というようなこと。発電パネルが取れて電力不足、だとして、通信不能レベルの電池機能低下というのが簡単に起こるものなのかな?全然知らないんだけど。電池がない、とも思えないし


通信不能なのは、もう本体の中枢部分からして、バラバラに自然分解してしまった、ということなのでしょうか?5つのブロックに分解したとして、どういう具合でそれが衝突なしで生じるか、というのが、非常に興味を惹かれる。一部のネジが緩んで外れた、とかいうレベルの破壊程度ではないわけですよね?


自分の体験を振り返ると、幼児期の子育ては20代の方が体力的に楽な気がする。一緒に走ったりとか、40代か50歳前後で小学生の子だと、結構つらいような。なので、人生で良かった点は、20代で結婚し子供が生まれたことだな。自分が働いているうちに成人と教育費が終了するし。若年婚姻推奨だよ


なので、稼げて、兎に角一家が食えて行けるなら、早い時点で結婚と子育てを開始した方が楽なような気がするんだよね。まあ個人の自由だから、別にいいんだけどさ。
あと、保育園ね、これはオレ自身もずっと保育園児だったし、わが子も保育園に入園してた(共働き)時期があって、まあ体験談はできるな


保育園の行事とか運動会なんかだと、やっぱ若い親の方が体力的に有利と思ったわ。父親参加というのも、昔に比べて増えていたように思う。ま、90年代に保育園だったから、今とは事情が違うんだろうけどね。
オレがガキの頃なんて、当初保育園に入れるまで叔母さんちに預けられたわなww


しかも当時、保育園は地域に一つしかなく(公立だから)、もの凄く遠かったので、保育園までバス通学だったぞww当時のバスは、車掌さんの女性が乗ってて、定期を確認したり切符を受け取ってたりしてたんだよ。3歳児でも定期でバス通園が可能だったんだわ。しかも当時、親切で優しい女学生(中高生)


なんかがバス通学を一緒にしてたので、色々と面倒見てくれたりしてたんだな。だから、社会の人々のお世話になって保育園に通園できてたんだ。自家用車なんてまだそんなに普及してなかったし、当然ウチは貧乏なんだから車なんてあるわけなかったし。通園バスも勿論なかった。それでも生きていけたんだわ


オレにとっては、保育園って、まあ学校の一つのような感じだったね。一度、大怪我をして、救急車で運ばれて、全身麻酔で処置されたことがあったんだけど、そういうのは現代なら大ごとにされてただろうね、きっと。もし、そんなことがあったら、オレの大好きな保育園を苛めないでくれ、と思うわなw


大怪我をするのは、どちらかと言えば自分のせい、ということで、親なんかも「バカだねえ、気を付けて遊ばないからだよ」みたいに、オレの過失を責めてたけど、保育園には大変なご迷惑をかけて申し訳ありません、みたいな、お詫びする側だったもんな。縫合した糸を抜きに、保育園の先生が一緒に病院に


連れていってくれたのは、未だに忘れないわ。手を繋いで、雪道を歩いた。雪を踏みしめる長靴の音が、先生のはいい音がキュッキュって鳴るのに、オレのは全然鳴らなくて、歩き方を試したんだった。無駄に、踏ん張る感じで歩いたが、オレの長靴はぽこぽこいうだけだったw現代は何事にも完璧を求め過ぎ


だいたいこんなもんじゃねえか、このくらいまでうまく行ってりゃ、みんなが困らない程度になってればいいんじゃないか、という、そこそこの妥協レベルが、昔は自分のできる範囲だったのに、今は一流プロフェッショナルなんだから一流にできて当然みたいな、厳しい感じ。そんなレベルが本当に必要なの?


いや、勿論、本当にきちんとやってないとヤバいですって部分は、ちゃんとやろうよ、とは思うんだけど、むしろ、原発みたいに本気でやらねばならない部分が「適当になってるんじゃないの」ということで、社会の逆転現象が起きてるみたいな気が。エリート級とか特殊技能のトップ級とかで劣化、ということ


で、昔なら、それで大体OKってことだったものが、今は許しません、的な。本当に悪質とかそういうのはダメだろうけど、下々の方ばかりが厳しい基準適用になって、上の方に胡坐をかいてる所は、杜撰な状況にどんどん落ちてるというのも、酷い社会になっちまったな、と。メリハリが全く逆転だわな


話が滅茶苦茶ですけどw子育てが「大変なんだ!」アピールみたいなのが、行き過ぎな感じもあるんですよね。別に、難関プロジェクトとかじゃないんだし、まるで苦行だ的な物言いなら、最初から子供など産むべきでなく、完全避妊しとけって思うわな。子育ては、楽しくてやりがいがあって素晴らしいんだと


思うなら、私は子育てに苦しめられている、的な話を出してこないように思うんだけど。そりゃ、悩みがあるのは分かる。けど、自分だけが被害者っぽい物言いは、どうかと思うけどなあ。子供のいない人とか産めない人たちからすると、余計にイラっと来るんじゃないかな、と思うし。私は、仕事に子育てに


こんなに頑張っているのに、正当に評価されないばかりか、責任も仕事も家事も押し付けられて、大変なのよ!みたいに、言いたくなる気持ちは分からないではないけど、大袈裟に言い過ぎでは?だったら、結婚なんかしなけりゃいいんだよ。やってくれって頼んでない(ガキの物言いだなw)。世界一の不幸を


自分一人が背負ってる風な言い方って、何か受け入れられないんだよなー
世界には、もっと苦労してる女性なんていっぱいいるよ、とは思う。うまくできないなら、どれかできることをやって、無理を避けるしかないんじゃないの?能力の高い人なら、いくつもこなせるってだけでは?できない人は降りるべき


例えば、英語は得意だけど他は苦手で、特に数学は全然ダメという人の場合、どういう大学受験を考えるか、というのと似てるでしょ?できる部分が英語と他少々、無理なのが数学なら、数学の配点が少ない大学を選べばいいのでは?なのに、わざわざ敢えて「私、数学も頑張る、だから理系に」って無謀では?


そもそもできもしないのに、やろうとするのが無謀なので、数学を捨てれば道が開けるかも、というのが分かってるのに、どうして敢えて全部を挑戦しようとするのかね?そういう発想が分からないんだよね。貧乏だから稼がないとダメなんだ、ってのも、どれか諦めればいいだけじゃないの?


仕事も、子育ても、妻も、女友達も、みたいに、全部を完璧にこなせる人なんて、そうそういるもんじゃないでしょ?どれかは、他に依存するしかないんだわ。
稼げない人は、仕事を捨てれば道が開けるかも、というのが自力で子育て=主婦でしょ?何が悪いの?子供は大喜びだろ?オレみたいに園にバス通が


望ましいわけでもあるまい?ww
仕事の優先度が高い女性は、かなり限定的。そこまで代替不可能な業務なんて、世の中に滅多にないもの。やりたきゃ、その方策をきちんと考えればいいだけだろう。子育てを犠牲にするなら、外で頑張って仕事して、そのかわり子供や夫は犠牲になってくれ、って話でしょ?


世の中の男性の多くは、オレが猟(漁)をしてくるので、家で子供を見てて下さい、ってことでしょ?だって、その方が昔は有利だったから、だ。単にそれだけでは。妻が大きく稼げるなら、夫を専業主夫にして、それでうまくやればいいってだけじゃないの?
要するに、騒いでる女性の大半は中途半端なのさ