浜菊会のブログ

半泣き老狼団。一道民が生き抜く為の記録。

8月9日(日)のつぶやき

2015-08-10 06:23:50 | 政治

大勢の戦争法案反対表明者たちが登場してきたのには、相応の理由があるはずだろう。それは、肌で感じる危機的状況を、時代の空気感を、鋭敏に感じた人々の行動なのでは。赤子が焼けたストーブに向かって手を出しそうな時、咄嗟に立ち塞がるとか危険を知らせる大声を発するとか、そういうものに似ている


多くの女性たちの抗議の声は、そうした保護者的直観力で発せられたのではないかと思える。若い女学生たちにも備わっているであろう、生物的な素養ではないかと。口をつぐんで大樹の陰になびくよりも、危険を危険と発言して、より多くの同朋を救わんとする人々が大勢おられることに、心底敬意を表する。


どこかで見かけたのだが、国際政治の分析として、「対米追随」なる評価軸は古城らにより既に論破されている、というような話があるそうだ。そういう区分は意味?価値?がない、といったことだと思われるが、果たしてそうだろうか。岸、鳩山、池田ら昔の総理が対米関係をつかず離れずで乗り越えたと


いう話と現在とでは大きく異なる。殊に、今世紀以降の日本政治の低落ぶりは酷くなる一方であり、その傾向が顕著になったのはリーマンショック以後に破壊的となった。かつての自民政治家たちは、米国の言うことをききつつも、腹では「実」を獲りに行ったことが少なくなかったろう。沖縄返還がまさにそれ


米国の指示通りにするが、日本国民に実益をもたらせるよう腐心してきた部分があった、ということ。面従腹背とまではいかないまでも、大きな喧嘩となるのを避けつつ、従う耳を持つふりをしながら、国民を押し上げる方法を考えてきた。その一翼は、悪名高き官僚機構でさえ、重要な役割を担ってきた。


そういう点で言えば、竹を割ったように「対米追随」という評価軸は当てはまらないが、現在はそうなっているだろうか?政治世界だけの問題ではない、というのが重要な点なのだ。政治家や官僚だけではないということが、問題を解決困難にしているのだ。具体的には、社会的にエリートとされる層の変化だ。


マスコミにいる連中、ビジネス界の連中、学者世界の連中、ひょっとすると芸能・文化界にまで、浸透が及んでいるだろう。彼らは、意図せずとも、世論に影響を与える。鳩山民主党政権時代、「対米追随」勢力が総力を挙げて抵抗・反撃・バッシング・ネガティブキャンペーンに与したのだ。そこには


極端な「対米追随」というか、「対米礼賛」姿勢しかなく、「自主」なる軸というものはどこにも見当たらなかった。「対米自主」に至らない、そちらの方向に若干踏み出そう、修正しましょう、という程度ですら、許容されてはいなかったということ。彼らは、戦前生まれ世代の自民政治家たちと全く違う。


現在の政治家の気構え程度では、普天間基地一つさえ返還させられないのだから、こんな「対米追随」一辺倒の連中が当時に担当者だったなら、沖縄返還など到底不可能であったことだろう。昔の政治家や官僚のように、「使い分ける」ということができないのだから。そういう発想すら欠如しているだろう。


だから、辺野古を阻止することも不可能だし、普天間を返還させることもできないのだよ。そんなヤワな連中ばかりだったなら、沖縄も小笠原もいつまで経っても還ってくることはなかったろう。今の北方領土みたいになっていたことだろう。今の「対米従属」連中には大義も目的もない。自己の欲望だけ。


なので、対米追随の評価軸の意味がより大きくなっているのは、昔ではなく、今の方ではないかと。追随の域を超えているんだわ。奴隷の如し、だ。その異常さに気付き始めた人々がいることは、僅かな救いではある。論破されたんだ、学問上意味はないんだ、というお説はそうですか程度で、価値なしと判断。