国際武道空手道 白心塾 (愛知県 名古屋市西区 北名古屋市)

国際武道空手道 GLOBAL BUDO KARATE  AITI NAGOYA KITANAGOYA 

照千一隅 白心塾 名古屋市西区・北区・北名古屋市・岩倉市・小牧市・清須市・豊山・春日井市近郊の空手道場

自分自身の今出来る事を一生懸命に取り組む。

空手との出会い24

2020年06月30日 | 空手との出会い

師範より二段を受ける準備をしときなさいと話があって、私の中では想定外の事で初段で頑張れば良いと思っていましたので、まさか自分が二段を受ける日が来るとは・・・・

ただ師範より言われた事は絶対的、これもチャンスをいただいたと思いやってみようと決心しました。

体力的にはスタミナ作りと打たれ強さ、基本・移動動作のは正しい動き、組手も受け返し等の丁寧さを気をつけて稽古する事を意識しました。

そしてもう1名久々の初段の受審が私の二段の昇段審査と同じく師範より言い渡されました。

2年ほど前に先輩3名が二段を受審した時の内容は聞いていたので、ただではすまないのは想像はつきました・・・

ただその内の2名の先輩達は20人組手の後に2件ほどおねーちゃんの店をはしごした豪傑達でして、その豪傑達も足が痛すぎて、お店の階段を下りるときは手すりにつかまりながら後ろ向きに下りて帰ったと聞きました。

先輩たちは豪傑で私はそうでもない普通の人です。

それから半年、自分なりに考えトレーニングを今度は一人でする事となりました。

この時期よりウエイトトレーニングもパワーアップを考えてスピードが落ちないように気をつけながら重量アップです。

ちょうどベンチプレスもMAX110キロ楽々上がるようになったのもこの頃です。

レッグプレスも300キロいけました。

そして年末にいよいよ二段の昇段審査になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い23

2020年06月28日 | 空手との出会い

私が指導をする様になったこの時期は変わった体験者も多くて、ブラジルでムエタイをしてたとかK-1の○○会館でやってたとか、私の前いた○○会館の茶帯だった人も入会してきました。

プロレスラーとか中京大学の合気道部3段だと言って来る人ラグビー部で喧嘩負けなしと言う人、あと「総合格闘技をやっていてプロレス好きなので地獄突きやってもいいですか?」(風林火山空手は何でもありと言ってましたので・・)なんて人もいました。

「どうなっても良いならやっても良いよ」と言っておきましたが・・・

色々な人が体験稽古に来ました。

そんな感じで、いつの間にか空手の指導員として自分の稽古も含めて、多分このままこの風林火山で一生やって行く事になるんだろうな・・・とこの頃は思ってました。

その後に風林火山 愛知支部では4年間新しい黒帯は誕生しませんでした。

私は基本、稽古の日はスタートからいましたので師範から指導を任される事がほとんどで指導する事も当たり前になってきていました。

初段となって4年が過ぎた頃、師範よりそろそろ2段を受けてみてはどうか?という話がありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い22

2020年06月26日 | 空手との出会い

人生初の黒帯を締めての空手の稽古、ここからが本当の空手道の始まりです。

毎回の稽古で黒帯をしめるたびに覚悟を決めて、その重圧を感じながら空手の稽古は続きました。

半年ほどたった位からほぼ指導を任される事になり、指導も初めは基本と移動を指導するだけでいっぱいいっぱいでしたが、だんだん慣れてくると自分流に稽古内容(師範が自由にやって良いとの事で)を考えて稽古指導するようになりました。

自分の考えていた、やってみたかった稽古方法もどんどん試したりして、大人だけのクラスの指導だったので、楽しく厳しく稽古いたしました。

まだこの頃は知りませんでしたが、指導は何が難しいといえば、空手を知らない子供の指導だという事を・・

気持ちに余裕が出てくると、皆の為、各個人に合わせた指導方法を考え、フルコンタクトなので痛みを切り離す事はできませんが、いかに致命傷にならないような怪我をさせない様に稽古させるとか、どうすれば魅力を感じてくれるか?なんてことも何時も考えていました。

今もですが、自分が大好きな空手が皆にも大好きになってほしと思っていて、その空手の価値も、とかく乱暴的に思われがちな空手の世間の認識を変えたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い21

2020年06月24日 | 空手との出会い

いよいよ空手人生初の昇段審査の始まりです。

まずは基礎体力から始まり、もうとにかくめいっぱいやりました。

ヘロヘロになろうが関係ありません。

基本~移動~型~そしてクライマックスの10人組手です。

自分の中では結構動けてました。

そして何度も倒されました。 

そして何度もうずくまりました。

投げも、掴みもOKな組手でした。

9人目に自分だけ顔面パンチもOKになりましたが、相手が黒帯の中でも更に強い人が相手になります。

顔面へのフック、アッパーも必死に使いました。

結構ヒットしました。

その後しばらく先輩達には容赦なく顔面を叩く男と呼ばれましたが。

そして最後の10人目、いつも居残って私の稽古に付き合ってくれる先輩が相手。

最後の10人目でしたが散々一緒に稽古していたので、しっかり組手がかみ合いました。

自分でもヘロヘロながら技が出す。

そして終了です。

そして白帯の後輩が跳んで来て先輩、俺感動しましたと言い涙ぐんでいました。

私は泣きたいほど身体が痛いのは俺だよと思いながら・・・

10人組手を相手してくれた方々、そして見学応援してくれた方々一人一人握手して回り色々な思いを巡らせながら終わったんだと意識があるような無いような感じがしてたと思います。

そして後日、初段合格となり人生初の黒帯を締める事となりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い20

2020年06月21日 | 空手との出会い

茶帯になってからは、組手の扱いも黒帯と同じになるので毎回の稽古が、かなりブルーになっていました。

稽古の終わった後の爽快感はなんとも心地よく格別になりました。

そしてしばらくしていなかったウェイトトレーニングを再開。

前にベンチプレスも100キロ上がってましが数年ぶりでは上がりません。

やってみるとMAX80キロ位でした。

週2~3回やるようにして3ヶ月で100キロ上がるようになりました。

もう今後は最低ベンチプレス100キロはキープしなくてはと思い現在まで続けております。(現在ベンチプレス120キロ)

何とか死ぬ直前までこのまま行きたいと思いますが・・・・・

昇段半年前位から師範より、身体作りから昇段の用意しといてと言われ、稽古後の先輩指導員との2部の稽古が始まりました。

この先輩指導員が年下ですが大変面倒を見てもらいました。

彼は当時の風林火山の全日本チャンピオンだった方で、彼には色々な意味で感謝しています。

組手、スタミナトレーニング、ミット打ち、ウェイトトレーニングよく一緒にやりました。

メンタルな部分も昇段で不安でしたが、彼が色々アドバイスをくれたり、励ましてくれたりで・・・夜中まで話もしました。


そんな彼が私にしてくれた様々な事が今の自分の指導に反映されてまして、彼の空手に対する姿勢が今の白心塾の稽古体系に生きています。

そんなこんなで1年半が過ぎて、いよいよ昇段に挑戦となりました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い19

2020年06月20日 | 空手との出会い

とにかく風林火山はユニークな門下生が多く・・外国人も多い道場でした。

アメリカ カナダ フランス etcなので肌の色も白 黒 黄色 小豆 コーヒー ゆず さくら・・・みたいな

職種も様々・・当然ですが一般の仕事の方がほとんどで・・変わったところでは刺青彫師、全身刺青男、プロレスラー(名古屋で活動している)、元極道、風俗店経営者、元暴走族総長、カブトムシ売り、元AV男優etcと普通には知り合わない人達もいました。

賢い人も名古屋大学大学院生、南山大学生、名城大学薬学部生、南山大学講師なんてのもいました。

そうそう、○○院あがりなんてのもいました。

名古屋大学の大学院生と元〇〇院生組手 「お前ら院生同士の組手は元○○院生の方がちょっと強いな!!」と言ったのは私です。。。

私が初めてバット折りをしたのもこの頃です。

先輩に折るように指示されたのは試し割り用バットでなくてローリングスの硬式野球用バットでした。

なんとか折れましたが、脛も大変腫れました。

痛かった!

懐かしい思い出です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長与千種さん

2020年06月19日 | 空手稽古日誌

女子プロレスラーのクラッシュギャルズに山崎照朝師範が殴打技、蹴り技を指導していたので長与千種さんは私達と兄弟弟子になります。

長与千種さんも悲しんでいた事件?事故?

ネットでの誹謗中傷や悪質なデマは匿名でしか出来ない卑劣な情けない人、これからはすべての言動に責任を持たせた方が良いと思います。

毎日のように続いていた誹謗中傷や悪質なデマに悩まされた木村花さんの訃報はとっても残念に思います。

瀬戸内寂聴さんが言っていましたが「人は活躍して目立ってくると、それを羨ましいと思う人が出てくるので誹謗中傷されます」

出る杭は打たれる・・・でも 卑劣極まりない 匿名で、ありもしない誹謗中傷する人は処罰して欲しいと思います。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い18

2020年06月18日 | 空手との出会い

昇級審査の時の8人組手の記憶はほとんど無くてとにかく痛かったのと、トータルで9人組手したのであと一人で10人なのでついでにもう一人やって黒帯にしてよ(そんな事したらもっとひどい目にあったと思いますが・・)と叫びたいくらいでした。

今回の相手のほとんどが黒帯だった事、一度だけ緑帯が対戦で、そこだけは楽に捌相手出来た事・・・位かな・・記憶がかなり断片的にしかありません。

ただ緑帯の審査の時と違い、腹を打たれ強く強化してましたので中段をもらった苦しみは少なくダウンする事はありませんでした。

とにかく無事終了です。

ほっとしました。

後日発表,茶帯の1級に飛び級合格でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い17

2020年06月16日 | 空手との出会い

なんだかんだで数ヶ月が過ぎ今度は茶帯の審査です。

茶帯の審査は基礎体力、柔軟性、基本、移動、型と組手は8人・・・

茶帯の審査・・・確か私ともう一人いて審査は2人で受けました。

緊張もあって、なんだか嫌な組手スタート。

先ずは組手は茶帯の一人目を終わって耳を疑うような言葉が師範の口から・・・

身体ほぐれたよね・・まずはこれは8人組手前の練習組手だから、さあこれから一人目始めるよ!!

私は心の中でつぶやきました。「連続組手に練習はいらないんですけど・・・と」。

いつも何を言い出すか予測のつかない師範の頭の中?????

一人目の師範の言う練習が終わって、ここから本当の連続8人組手の始まりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い16

2020年06月12日 | 空手との出会い

まずは緑帯3級となり空手人生再スタートです。

相変わらず毎回厳しい稽古の連続です。

とりあえず茶帯までの色帯には負けないように必死で稽古していました。

強くなればなるほど黒帯の返す攻撃も強くなるので本当にキツイ。

以前よりも増して道場まで毎回1時間(道場まで車で1時間かかりました)の道のりが、今日も倒されに行くのか・・・と思うと、結構ブルーになる道のりでした。

ただ根性なしと思われるのも悔しいので、いつも自分の心と肉体とで自分自身が闘っていました。

そうそう緑帯になってからのある日に見学者が座っていて良く見ると○○会館のときいた黒帯の2人でした。

私と会って思わず固まった2人で、私がこの道場は○○より厳しいよと忠告しておいたら移動稽古の途中にいなくなってしまい、師範に「奴ら何処に行きました?」と聞いたら「コソコソと逃げるように帰って行ったよ」との事でして多分私がいたので帰ったと思います。

彼らは私の事が嫌いだと思います。

その2名はダメな有段者で嫌いでしたから、厳しく組手で当たっていました・・・多分それが原因だと思いますが、その人達含めてダメな人達からは後に誹謗中傷されました。

バカバカしくて相手にする気にもなれませんでしたが・・・・

だんだんと風林火山空手での稽古に少しなれてきましたが、まだブルーになりながら通う1時間の道のりが続きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い15

2020年06月10日 | 空手との出会い

風林火山空手での稽古を始めて約4ヶ月目に初めての昇級審査をすすめられました。

ありがたい事に風林火山では日曜日の審査とは別に、日曜日は無理な門下生の為に通常の稽古日に審査をおこなっていましたので私も仕事に支障なく審査を受ける事が出来ました。

過去に受けた審査とは違い、けた外れに厳しいものでした。

とにかくガムシャラにやりました(頑張ったつもりでした)。

まずは基礎体力測定(拳立て伏せ、腹筋、バービーetc)をこなして、すでにこの時点でフラフラ。

他の受審者と違って、他流派経験のある私は、いきなり前で全員に基本の指導(これがお前の審査だとの事)をするよう師範に言われました。

指導なんてした事ありません。

全く初めてで全員の前に立つといつも普通にやっている基本が頭の中から吹っ飛びます。

審査なので誰も助けてはくれません。

神経MAXで違った意味で辛かった覚えがあります。

それでも基本稽古、移動稽古となんとかこなしていって型も終了、いよいよ連続組手が始まりました。

1人2分で6人組手を言い渡されました。

さあ問題は相手です。色帯6人なら楽勝かなと思いましたが・・・

結果、緑帯1名、茶帯1名、黒帯4名

黒帯との組手は大変苦しかった。

倒れても後ろエリを持たれ起たされて再開です。

何度倒れたか分かりません。

特に中段への攻撃はとても苦しく内臓破裂するかもと思いました。

終わった時はもうボロボロ。

その後、よく頑張ったとの事で師範が食事をご馳走してくれました。

ボロボロの身体に食事は辛く、必死に食べた記憶があります。

その後帰宅して、風呂に入って出た所で猛烈に腹痛に襲われました。

まさか内臓破裂か?と思う位苦しく食べた物をもどしてしまいました。

さてどうなる事やら風林火山での私の空手人生・・・・

後日、飛び級で緑帯3級を頂きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い14

2020年06月08日 | 空手との出会い

体験稽古から始まった全日本武道空手連盟 風林火山 名古屋支部 そのまま入会

そして、この先10年と10ヶ月稽古する事となるわけです。

いよいよ風林火山での稽古が始まりました。

少林寺拳法。○○会館で5年半過ごし、そこそこ自身も芽生え、バカな私は何故か風林火山の黒帯に何人かには勝てるなんて思っていました。

黒帯3人位倒したら初段にして下さいと師範に言おうと思っていました。

それが大きな勘違いと速攻で気付されました。

緑帯、茶帯までは難なく相手できましたが、黒帯には誰にお全く歯が起ちません。

以前の道場では決まった技が通用しません

もうボコボコです。

あれほど使えた技もフットワークもダメじゃないか・・前の道場なら・・・落ち込みました。

このままではダメだと今まで習ってきた空手の技を封印し、風林火山での空手を学び直す事に決めました。

まずは基本、同じ極真系の道場でも個々に基本の捉え方が違いました。

基本に在る技、無い技が在って風林火山は極真の前身の大山道場の様な稽古体系らしいとの事で・・

風林火山名古屋支部はベストメンバーで常に風林火山の全日本大会もことごとく優勝で、現〇○館愛知支部長も一緒に稽古しに来てて、今思えば大変に恵まれていました。

ただ強い方達ばかりだったので毎回の組手稽古は大変で、毎回まともに歩いて帰れる事はしばらくありませんでした。

道場はビルの3階で駐車場は地下にあったので、3階から階段を降りる時は太腿が痛いので、手すりをつかんで後ろ向きに階段を下りて駐車場に降りたのが懐かしいです。

ここでの結構厳しい経験が後の空手を良い方向に向けてくれました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い13

2020年06月05日 | 空手との出会い

もう自分には何もなくなってしまって無気力状態の時に、ウェイトトレーニングのジム仲間の友達との話の中で、縁があったのか呼び寄せたのか、又空手の話が出てきました。

当時の全日本武道空手連盟 風林火山 極真の第一回チャンピオンだった山崎照朝師範のおこした流派の名古屋支部で一度稽古してみないか?と話を頂きました。

名古屋は山崎師範の一番弟子、内弟子1号の方が作った風林火山の支部でした。

早速翌週に道着を用意して道場に体験稽古に行きました。

ウェイトトレーニングジムが併設の常設道場で、空手の稽古時間前に筋トレしてその後に空手の稽古をいたしました。

久々の筋トレも空手の稽古も何とも楽しい。

厳しい稽古の道場ですが、自分の思う空手らしい空手に出会えました。

後に知りましたが、当時の名古屋支部は風林火山空手の中で最強の支部だったみたいで、風林火山主催の大会はいつも優勝、準優勝の1.2フィニッシュが名古屋支部でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い12

2020年06月05日 | 空手との出会い

早速キックボクシングの見学し、そのまま入会しました。

後にK1のチャンピオンを輩出するジムでした。

この頃は全日本チャンピオンが1名だけいました。

確か大学生だったと記憶しています。

始めてみると、キックの練習は自分的にはとってもつまらなくて先ずはロードワーク 縄跳び シャドウ サンドバッグ 柔軟etc

空手や少林寺拳法は対人での稽古体系が主で基本動作、移動動作、型etcでやってきてたので、なんか一人練習ばかりみたいで何だかつまらないと思っていましたが、せっかく始めたのでとりあえず頑張ろうと続けていました。

ちょうど3か月目だったか、私がサンドバッグを叩いている時に当時学生だった全日本チャンピオンが、リングの隅で練習後の柔軟をしている中年の練習生の方に対して「お前、じゃだからよそで柔軟やれ」と言ってるのを見て、しかもその横にジム の会長もいて、その言動を注意するわけでもなくそこにいて・・・

こいつらダメだ。

年長者の方に対しての礼儀が無いのか???

こいつら人としてはクソだなと思い、やはり武道の空手と格闘技のキックボクシングの本質的な違い(ここのジムだけかもしれませんが)を感じました。

その日を境にこのジムには2度と行く事はありませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い11

2020年06月03日 | 空手との出会い

当時の指導者のNさんは私の紹介で親友のジムへ入会無料割引等(私が親友のHさんにお願いして)の好待遇で通いだしました。

そこからか月がたって、ある日の稽古後の雑談で指導者のNさんが私に向かって、私の親友のHさんの事の悪口を、批判をし始めました。

私がHさんに頼んで好待遇でジムに通えているのに、その親友の私にHさんの批判を言うとは・・・

自分の友達に対しての悪口を言われるのは本当に嫌です。

もう何だかとってもガッカリ、もうどうでもよくなりました。

急にこの道場での空手熱が冷めていく感じしてきました。

空手熱がと言うよりも、その道場の責任者の指導者のその言動に・・

そう思ってみると道場内での事も人間も何が何だか、ありとあらゆる事が嫌になってきました。

当時会員数も大変多くいて、人が多いがゆえになのか、冷静に観察すれば全体の4割位が頭のおかしい人、性格のおかしい人、迷惑な人、人として恥ずかしい人ってっ感じ、後の4割が普通、そして2割の方は尊敬できる方達。

自分的には変な人の率は高いと思いました。

ドンドン気持もヒートダウン。

ここでの空手、あんなに好きだったのに、生きがいだったのに・・毎回ほぼ100パーセントの出席率だったのに・・・

これをきっかけにして、少しずつ稽古日数は減っていって、だんだんと稽古にはいかなくなりました。

丁度この時代は本業もかんばしくなくて、仕事も空手もジムトレーニングもいかなくなって人生で一番自分に元気の無い時でした。

何もしないで何か月か過ぎて、でも何かやりたい・・次にやってみようと思ったのはキックボクシングでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする