もちろん、お昼のサイレンと共に黙祷しましたよ。
中学生の頃は「人間魚雷 回天」などの本を読み
非常にショックを受けた記憶があります。
今から40年以上も前ですので、回天の事は世間ではほとんど知られていませんでした。
特攻機が飛行機だけでなく、魚雷もあったという事が
感じやすい年頃には猛烈なショックだったことを覚えています。
おばばは当時の昭和天皇をテレビで見る度に恨み言を言っていたので
(戦争を始めたのが昭和天皇だと教育されていたから)
はじめは「そうなのか」
と思っていたが、でも昭和天皇を拝見すると、どうしても
「可愛い!」
という気持ちしか湧いてこなくて、自分が間違っているのかと悩んだ事もありました。
(その後、この歳になって戦争が3人の売国奴によって始められた事を知ったのです。)
しかし、その時の自分の気持ちは決して間違ってはいなかったということを
この歳になって再確認できたことは、自分が死ぬ前に知る事が出来て本当に良かったと思う。
自分の伯父も沖縄戦を生き延びて帰ってきている。
相方の伯父は飛行機乗りで戦死しており、
義父は潜水艦乗りでしたから、自分自身の身の回りには
まだ戦争が生々しく残っている人たちが多かった。
だから戦争はできればしないでほしいし、今まで平和を保ってきたこの国は
本当に素晴らしい国だと思う。
しかし、攻められたら守らなければならない。
ぼーっと指をくわえて見ているわけにはいかない。
「話し合って解決していこう」なんて言葉を理解してくれる相手ならばよいが、
「こっちはこの国がほしいんだよ!」
とばかりに攻められたらひとたまりもないようでは困る。
自分の国は自分で守らねばならない、それだけの覚悟は誰にでも必要なのだ。
だから、「話し合いで解決できる」
なんてお花畑な考え方は捨てなければならないと思う終戦の日でありました。
中学生の頃は「人間魚雷 回天」などの本を読み
非常にショックを受けた記憶があります。
今から40年以上も前ですので、回天の事は世間ではほとんど知られていませんでした。
特攻機が飛行機だけでなく、魚雷もあったという事が
感じやすい年頃には猛烈なショックだったことを覚えています。
おばばは当時の昭和天皇をテレビで見る度に恨み言を言っていたので
(戦争を始めたのが昭和天皇だと教育されていたから)
はじめは「そうなのか」
と思っていたが、でも昭和天皇を拝見すると、どうしても
「可愛い!」
という気持ちしか湧いてこなくて、自分が間違っているのかと悩んだ事もありました。
(その後、この歳になって戦争が3人の売国奴によって始められた事を知ったのです。)
しかし、その時の自分の気持ちは決して間違ってはいなかったということを
この歳になって再確認できたことは、自分が死ぬ前に知る事が出来て本当に良かったと思う。
自分の伯父も沖縄戦を生き延びて帰ってきている。
相方の伯父は飛行機乗りで戦死しており、
義父は潜水艦乗りでしたから、自分自身の身の回りには
まだ戦争が生々しく残っている人たちが多かった。
だから戦争はできればしないでほしいし、今まで平和を保ってきたこの国は
本当に素晴らしい国だと思う。
しかし、攻められたら守らなければならない。
ぼーっと指をくわえて見ているわけにはいかない。
「話し合って解決していこう」なんて言葉を理解してくれる相手ならばよいが、
「こっちはこの国がほしいんだよ!」
とばかりに攻められたらひとたまりもないようでは困る。
自分の国は自分で守らねばならない、それだけの覚悟は誰にでも必要なのだ。
だから、「話し合いで解決できる」
なんてお花畑な考え方は捨てなければならないと思う終戦の日でありました。