2月19日撮影 はれ
興福寺 東金堂「とうこんどう」国宝

興福寺には金堂が3っあり、この建物は東にあるので東金堂とよばれる。
神亀3年(726)年に聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って造立された。
現在の建物は応永22年(1415)の再建。
堂内には本尊薬師如来(重要文化財)日光、月光菩薩像(重要文化財)」
文殊菩薩・維摩居士像(国宝)、十二神将像(国宝)四天皇像(国宝)を安置。

五重の東(国宝)
天平2年(730)に公明皇后によって創建された。
現在の塔は応永33年(1426)に再建された日本第2位の高等(50,1m)だが、
初層内陣に薬師三尊像(東)、釈迦三尊像(南)、阿邪三尊増(西)、弥勤三尊像(北)
を安置。

猿沢池畔から見上げる雄姿は古都奈良が誇る絶妙の風景。
きれいに撮れていないな~~。
●池に背を向ける釆女社
猿沢池の聖域化にもっとも貢献したのは、釆女(うねめ)伝説である。
天皇のお側で仕える釆女が天皇に恋をした。一度召されたが、
その後召されないことを悲しんで猿沢池に入水する。
これを聞き知った天皇は猿沢池に行幸して、歌を詠んだ。
猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし
(猿沢の池までも恨めしくてならぬ。いとしい乙女が池に身を投げて
水中の藻をかつ(被)いだ時に、水が乾けばよかったのに)
「日本古典文学大系『大和物語』」より

【 猿沢池に関して 】
猿沢池は、興福寺の放生池で、周囲約360m、面積約7,200mの池で、
「興福寺流記」に、「宝字記云、南花園四坊、在池一堤、名佐努作波」
と記述があり、奈良時代には興福寺南花園に「佐努作波池」が
築造されていたと考えられています。
古くから「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙はわかず藻は生えず、
「魚が七分に水三分」猿沢池の七不思議とされています。
現在でも夏の放生会の際、鯉や鮒が池に放たれています.
国宝館では東金堂の本尊として祭られていたもの仏頭を見ることが出来よかった。
奈良の古い町並みを散策して東大寺へ・歩き疲れた~~~
奈良名物料理茶粥の昼食一休み奈良公園を抜けて徒歩で・
東大寺2月堂へ・・・・

興福寺 東金堂「とうこんどう」国宝

興福寺には金堂が3っあり、この建物は東にあるので東金堂とよばれる。
神亀3年(726)年に聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って造立された。
現在の建物は応永22年(1415)の再建。
堂内には本尊薬師如来(重要文化財)日光、月光菩薩像(重要文化財)」
文殊菩薩・維摩居士像(国宝)、十二神将像(国宝)四天皇像(国宝)を安置。

五重の東(国宝)
天平2年(730)に公明皇后によって創建された。
現在の塔は応永33年(1426)に再建された日本第2位の高等(50,1m)だが、
初層内陣に薬師三尊像(東)、釈迦三尊像(南)、阿邪三尊増(西)、弥勤三尊像(北)
を安置。

猿沢池畔から見上げる雄姿は古都奈良が誇る絶妙の風景。
きれいに撮れていないな~~。
●池に背を向ける釆女社
猿沢池の聖域化にもっとも貢献したのは、釆女(うねめ)伝説である。
天皇のお側で仕える釆女が天皇に恋をした。一度召されたが、
その後召されないことを悲しんで猿沢池に入水する。
これを聞き知った天皇は猿沢池に行幸して、歌を詠んだ。
猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし
(猿沢の池までも恨めしくてならぬ。いとしい乙女が池に身を投げて
水中の藻をかつ(被)いだ時に、水が乾けばよかったのに)
「日本古典文学大系『大和物語』」より

【 猿沢池に関して 】
猿沢池は、興福寺の放生池で、周囲約360m、面積約7,200mの池で、
「興福寺流記」に、「宝字記云、南花園四坊、在池一堤、名佐努作波」
と記述があり、奈良時代には興福寺南花園に「佐努作波池」が
築造されていたと考えられています。
古くから「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙はわかず藻は生えず、
「魚が七分に水三分」猿沢池の七不思議とされています。
現在でも夏の放生会の際、鯉や鮒が池に放たれています.
国宝館では東金堂の本尊として祭られていたもの仏頭を見ることが出来よかった。
奈良の古い町並みを散策して東大寺へ・歩き疲れた~~~
奈良名物料理茶粥の昼食一休み奈良公園を抜けて徒歩で・
東大寺2月堂へ・・・・
