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江戸期の別子銅山の素吹では、珪石SiO2源の添加操作はなかった?(4)

2020-03-15 08:47:21 | 趣味歴史推論

 別子銅山の銅鉱石の分析値を見ると脈石は10重量%以下と少ないが、実際の操業で流れる鉱石は、もっと脈石が多かったと筆者は推定する。鍰のSiO2源がこの脈石であり、珪石を融剤として特に添加していなかったという仮説の妥当性を調べる。
元禄期の素吹で、焼鉱に脈石がどのくらい含まれていたかを計算する。

計算の基になる値
(1)原料鉱石の黄銅鉱と黄鉄鉱の割合
鉱石の硫化物は主に黄銅鉱と黄鉄鉱から成る。
黄銅鉱(CuFeS2) 式量183.52 (Cu 34.63wt%  Fe 30.43wt%  S 34.94wt%)
黄鉄鉱(FeS2)   式量119.98 (Fe 46.55wt%  S 53.45wt%)
 原料の組成推定値1)によれば、重量比 Cu:Fe:S=11.5:36:43 であるから原子比に直すと0.181:0.645:1.34となる。黄銅鉱と黄鉄鉱のモル比率は0.181:(0.645-0.181)=0.181:0.464となる。重量比に直すと37.4wt:62.6wt。(SについてチェックするとS=0.181×2+0.464×2=1.29 分析のS=1.34と良く一致した) 硫化物100gの内訳は、黄銅鉱37.4g、黄鉄鉱62.6gとなる。
(2)鍰の分析値
開坑当時のものと推定される鍰の分析値2)
Fe 41.5  Cu 0.6    SiO2 30.0  Al2O3 9.0  CaO 1.8  MgO 1.1  K 0.6  Zn 0.5 S 1.0
(3)焼鉱率
選鉱して焼竈仕込み鉑石 Zkg   Z=硫化物A+脈石NA  ここでN=脈石/硫化物  
焙焼により、S分が大きく減少し、少しO分が増す。当時の焼鉱率は70~80%であったとされるので、1)ここでは、80%とする。この時、Cu,Fe,脈石は重量の変化はない。

 計算
素吹床への仕込焼鉱=0.80Z=硫化物由来+脈石NA 
すなわち硫化物由来重量=0.8Z-NA=0.8(A+NA)-NA=0.8A-0.2NA=(0.8-0.2N)A
鉑石Zkgは、焙焼率80%で焙焼されて600kgの焼鉱となる。すなわちZ=600/0.80=750kg。すなわち 750=A+NA  よってA=750/(1+N)   
素吹床への仕込焼鉱 600kgは、硫化物由来重量と脈石重量の和である。 
600=(0.8-0.2N)A+NA=0.8(1+N)A-----(1)
1. SiO2についての物質収支
 仕込 焼鉱の脈石から 0.70NA kg
    泥質片岩から  Q kg×0.68=0.68Q kg
    炭灰から    10kg(前前報より)
 回収 鍰 0.300K kg (鍰K kgとする)
    鈹 0kg     (鈹にはSiO2は少ないので無視)
 0.70NA+0.68Q+10=0.300K ----(2)
2. Feについての物質収支
 仕込 黄銅鉱から 0.374A×0.3043=0.114A
    黄鉄鉱から 0.626A×0.4655=0.291A
 回収 鈹中 0kg  (鈹は白鈹とのことなのでFeは0とする)
    鍰中 0.415K kg
 0.114A+0.291A=0.415K ----(3)
(1)(2)(3)の連立方程式を解く、
(3)よりK=0.976A
(1)よりN=750/A -1
(2)に代入して
 0.70×(750/A -1)×A+0.68Q+10=0.300×0.976A
 535+0.68Q=0.993A
Q=0の場合
 A=539kg N=0.391  焼竈仕込み鉑石750kg=硫化物539kg(72wt%)+脈石211kg(28wt%)となる。脈石中のSiO2=211×0.70=148kg
Q=40の場合
 A=566kg N=0.325  焼竈仕込み鉑石750kg=硫化物566kg(75wt%)+脈石184kg(25wt%)となる。脈石中のSiO2=184×0.70=129kg 
 比較 泥質片岩からのSiO2=27.2kg すなわち脈石からのSiO2は泥質片岩からのに比べ、(129/27.2=)4.7倍と大きい。

 別子銅鉱石には多量の黄鉄鉱が含まれるため、鍰の形成と除去が重要な操作になる。よって多くのSiO2源が素吹床に仕込まれる必要があるが、クルミ大の焼鉱には、意図せずして多くの脈石が付いておりそれがSiO2源になったのである。
鍰の主成分はfayalite 2FeO-SiO2である。SiO2の量論量はFe 2モルに対しSiO2 1モルである。これは重量比にすると、SiO2重量/Fe重量=60/(55.85×2)=0.54である。実際の鍰分析では SiO2重量/Fe重量=30.0/41.5=0.72 であり、SiO2は量論量の(0.72/0.54=)1.33倍に相当する。鍰にはまだ鉄と結合できるフリーのSiO2が少し存在すると考えられる。
Feの仕込み量は0.405A=0.405×539=218kg。 量論量のSiO2=218×0.54=118kgであった。脈石中のSiO2は148kgあったので、十分量であったと言えよう。選鉱をしていても脈石割合が28wt%と多く、SiO2の量論量を十分満たす量であったといえる。
泥質片岩からのSiO2量は少ないので、泥質片岩の添加で量を制御していたとは思えない。ただこれを添加すると早く融液ができ鍰ができやすくなったという効果があったかもしれない。そのために添加していた可能性はある。
 江戸期は、SiO2量を意図的に添加して鍰の形成を制御することはしていなかったのではないか。珪石と酸化鉄との反応で、鍰が形成されると推測していたであろうか。
古文書に融剤添加の記録がないこと、融剤の調達・管理を行う係りや手代の記録がないこと、脈石からのSiO2で必要量を賄えること等から、江戸期には珪石の添加操作はしていなかったと筆者は推測する。
 江戸期の別子銅山の素吹、真吹の床の構造・作り方や操業に関する技術を記した古文書が見当たらないのは残念である。先行した吉岡銅山や日本の他の銅山で融剤の添加がなされていたかを調べてみよう。

注 参考文献
1.  近世住友の銅製錬技術p133(泉屋博古館 2017) 熱力学的検討用いた原料鉱石の組成推定値(質量%)
Cu 11.5  Fe 36  S 43  Zn1.0  Co 0.1  SiO2 7.5  Al2O3 0.7  CaO 0.1  MgO 0.5
2.  同上 p98 表4-3 K05を除いた13件の平均値



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