気ままな推理帳

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伊豫軍印(17) 幕末~明治初期の印で 中山琴主の自作又は公家から贈られた説の提唱

2023-06-25 08:30:25 | 趣味歴史推論
1. 本印は、権威を示した公印ではなく、侘び寂びに則って作られた私印、工芸作品である可能性が高い。本印は、古印の特徴をほとんど持っていないことから、擬古印を狙った印ではない。擬古印を狙うのであれば、楷書体の「印」の字は使わず、篆書体、隷書体の字にしていたはずである。擬古印として皆を惑わす意図はなかったことがわかる。

2. 本印は腐食跡がないので、出土品ではない。伝来品(伝世品)の古印であれば、あるべき由緒書がない。由緒書が重要であることは、神社や公家なら当然知っていることであるにも拘わらず、由緒書がない。所有者の移り変わりを記す書き物もない。これらのことを考えると、本印には由緒書が無い方が都合よいと考えざるを得ない。

3. 本印は、中山琴主が奉納したようだと神社に伝わっている。琴主は、八雲琴を介して高位の公家や神官とつながりがあった。そのうちの誰からか贈られた印の可能性がある。しかし、彼らの地位や立場を考えると「伊豫軍印」という論議を呼びそうな印文の印を作らせることはしないのではないか。しかし、公に出ることがない遊びであれば、あり得るかも知れない。贈り主の名と添え書きがあってもしかるべきだが。

4. 本印は、中山琴主が印文を考え、京阪の工芸家に作らせた印である可能性がある。自身の守り印、天満の神社を護る印、故郷の伊予を護る印として奉納したのではないか。

5. 本印は、幕末~明治初期に作られたもので、公家や神官が琴主に贈ったか、琴主自身が作らせたものであるという説を提唱し、今後それを検証していきたい。

まず、中山琴主の生涯を知ることから始めよう。

 ここまで書いてきたところで、新たな情報を6月23日に入手した。それは、八雲神社のある天満公民館が令和3年に発行した「天満・天神学問の里巡り」冊子である。1) これには以下の文が載っていた。
1. 「伊豫軍印」は、八雲神社の「宝物古器目録」に、明治12年(1879)中山琴主寄附 とある。尚、琴主の入手経路は不明である。
2. 軍印の箱の中に「奈良朝時代、伊予に配置された軍団に下付されたもの」と記されている。

 少なくとも、明治12年の琴主寄附は確かであろう。琴主死去の前年である。箱書きについては、筆者の今までの検討結果からは、正しくないと思う。

注 引用文献
1. 天満公民館(近藤三千代編集)「天満・天神学問の里巡り」24番(天満公民館・天満自治協議会発行 令和3年8月 2021) 本冊子は、郷土史家岡本圭二郎が執筆し、平成13~23年の間、公民館報「てんま」に計100回掲載されたものをまとめたものである。地域の歴史や文化、風景、先人たちなどを紹介している。
本冊子は、公民館のご厚意で送っていただきました。お礼を申し上げます。

写 「天満・天神学問の里巡り」製作:天満公民館