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伊豫軍印(16) 本印は奈良朝の軍団制の印でも平安朝の健児制の印でもない

2023-06-18 08:17:27 | 趣味歴史推論
 本印は奈良平安朝の古印であるという説の真偽を、今までの検討に基づいて、判断したい。

 奈良朝の軍団制の伊予軍団の公印ではない根拠を以下に列挙した。「伊豫軍印」を本印と表す。
1. 現存古印の鈕制からすると、官公印の類はおおむね弧鈕無孔であり、もって当時のそれも弧鈕無孔であろうことが推測される。これに対して本印は、有孔である。
2. 遠賀団印・御笠団印に似た点がほとんどない。
両団印は篆書体であり、これに対して本印は楷書体である。両団印は方42mmに対して本印は方37mmと小さく、高さ52mmに対して25mmと小さく、鈕の厚さは11mmに対して3mmと薄く、印台の厚さ9mmに対して3mmと薄い。両印の重さ約210gに対して本印は51gと軽い。両印は重厚なのに対して、本印は軽妙である。
3. 古印(郡印・郷印)の鈕・印台は、左右対称で整った形状で、公印の権威を表している。本印は、左右非対称でゆがんだり欠けたりした形状で、権威とは遠く、古代の公印でない可能性が高い。
4. 古印の莟鈕の孔は、完全な円形である。一方、本印の鈕孔は円形ではなく、歪んだ方形でしかも滑らかな曲線で形成されていない。対称性がなく整った形ではない。
5. 古印の印側は、印面からほぼ垂直に数mm立ち上がりきちんと台が形成されているが、本印の印側は、立ち上がりがだらっとしてなし崩し的である。
6. 古印の印台の4縁は、直線的で欠けたところはないが、本印では左右に2ヶ所欠けた箇所がある。鋳造の際に銅がちゃんと入らなかっと思われる。印の表面状態は滑らかであり、腐食劣化でできたとは考えにくい。四隅の形状もまちまちで整っていない。
7. 古印の郭は、しっかり直線で形成されている。本印の郭は、直線的に繋がっておらず、欠けているところが多くある。
8. 現存する奈良平安朝の古印の方と重さの相関式を求めた。その結果、本印の計算値は実物の約3倍の重さであった。即ち本印は団印や郡印に比べて印面が少し小さく、重さが1/3と軽すぎる。奈良平安朝の公印でない可能性が高い。
9. 本印の楷書の「印」という字は 日本古印に見つからない。篆体様でないので、公印でない可能性が高い。
10. 奈良朝の130余りと推定される軍団のなかで、記録があるのは、25である。ほとんどの軍団の呼称は「〇〇団」であるが、中には「〇〇軍団」もある。しかし「〇〇軍」はない。よって本印の「伊豫軍印」の印文がある確率は低い。現存する印は、「遠賀団印・御笠団印」である。
11. 「〇〇団・〇〇軍団」の「〇〇」には、所在する郡名をあてた(例外1件あり)。たとえ伊予郡に軍団があったとしても、その軍団は、「伊予団」または「伊予軍団」と呼ばれ、「伊予軍」とは呼ばれなかったであろう。よって「伊豫軍印」という公印はなかったであろう。

 平安朝の健児制の健児所の公印ではない根拠を以下に列挙した。
1. 印の形状や重さが古印と異なる点や「印」という字が楷書体である点などから、平安朝の公印でない可能性が高い。
2. 健児は、国司の部下で国府廻りの警護が主な役目である。伊予国の健児数は僅か50人と少ない部署である。それが、「伊豫軍」という呼称を持つとは考えられない。部署の発する書に押す公印の存在を示す記録はない。
3. 日本古印で、印文に「軍」という字の入った印は見つからない。

まとめ
1. 本印は、奈良平安朝の公印としての特徴を持っていない。
2. 本印は、奈良朝の軍団制の印でも、平安朝の健児制の印でもないと結論する。


次回から、本印は中山琴主が絡んだ江戸時代以降の工芸作品であるという説を提案しその可能性を検証したい。