
寺尾ツタの墓は井源寺にある。この事について郷土史家岡本圭二郎が次のように記している。1)「ツタの五輪塔は昭和30年頃、寺尾家墓地整備の際に井源寺住職、長惠敞氏の提唱により、坂之内池用水路が流れている境内に移転して祀られた」
1. 六代寺尾九兵衛宗清の妻ツタの墓 井源寺本堂石段脇
五輪塔 →写1
五輪高199cm、全高229cm 水輪(玉)径55cm(1.8尺)花崗岩製→図
地輪(竿)の北東面(客殿向)→写2
(アーク)實乗妙空大姉
俗名ツタ
地輪(竿)の南東面 →写3
寛○○○○
(ア)為誉(壽)(祥)(迁)霊
菩提也
二月○○日
ツタの位牌
寛延4辛未年二月十六日(1751)
(ア)實乗妙空大姉霊位
位牌を納めた観音開きの厨子の背裏に
施主 寺尾新兵衛
出所大嶋浦上野庄左衞門娘
俗名 寺尾おつた
行年 七十四歳
注 實乗:じつじょう 迁:遷
北東面の刻字は風化していて読みにくく、わずかな刻を頼りに推定して読んだ結果を記した。位牌で戒名、俗名が分っているので、記したが、墓の刻字だけでは読めない。
南東面は 「為誉(壽)(祥)(迁)霊」と読んだが、()内は読み間違っている可能性がある。
見世野墓地にある最大の五輪塔は 高198cm、全高228cm 水輪(玉)径48cm(1.6尺)花崗岩製である。これは五代寺尾九兵衛善三春清のものであろう。2)ツタの五輪塔は、それと同高であるが、五輪塔の大きさの指標である玉径は55cm(1.8尺)と一回り大きい。ツタがいかに大事に祀られたかがわかる。
2. 九代寺尾貞之進英清の妻ヌイの墓 塚の端墓地
ヌイの墓は塚の端墓地の中山琴主墓の40m先の本家墓石列の古くから2番目にある。
寄せ棟家形墓石 →写4
天明六丙午十月十二日 (1786)→写5
澗水妙謡大姉
土居郷士 加地仁右衛門盛内次女
寺尾貞之進英清室
俗名ヌイ
ヌイの位牌
天明六丙宇午歳十月十二日
(ア)澗水妙謡大姉
寺尾貞之進英清妻
俗名ヌイ女
注 澗水:かんすい 谷の水
寄せ棟家形墓石は珍しい。3) ヌイの墓では、屋根(笠)の上に載っている空輪(宝珠)・風輪(半月)は、元はなかったのではないか。その理由は石の材質が寄棟本体と異なることである。墓を移転するときに、脇にあった五輪塔が破損して横たわっていた宝珠・半月を、寄せ棟家形墓石の一部と勘違いして、屋根に載せたのではなかろうか。
加地仁右衛門は、土居村の土居組大庄屋で二、三、五、七代が仁右衞門を襲名している。4)盛内は第五代で郷士、大庄屋である。ヌイが嫁入りしたことで、寺尾家と加地家は、大庄屋同士で姻戚関係になった。大庄屋寺尾九兵衛当主年表修正版(2024.12)5)で分るように、十代(九兵衛)米次郎富清と十一代(九兵衛)為蔵盛清は、加地家からの婿入りである。
夫貞之進英清の墓は見世野墓地にあると推定するが、多くの五輪塔の刻字が風化して読みにくく、特定できなかった。
まとめ
1. 寺尾ツタの五輪塔は井源寺にあり、その大きさは五代寺尾九兵衛善三春清の五輪塔と比べて全高は同じであるが水輪(玉)は一回り大きい。
2. 九代寺尾貞之進英清の妻ヌイの墓は塚の端墓地にあり、珍しい寄せ棟家形墓石である。ヌイは土居組土居村の大庄屋加地仁右衛門盛内の次女であった。
注 引用文献
1. 「天神・天満学問の里巡り」10番(天満公民館 令和3年 2021)
2. 本ブログ「 天満村寺尾九兵衛(16)見世野墓地の大きな五輪塔は五代善三春清のではないか」
3. 児玉康兵「尾道の石造文化(2)石工のこころ見聞記第18回」p63 web.尾道市立大学学術リポジトリ
4. 「土居町誌」p84(1984)
5. 本ブログ「天満村寺尾九兵衛(26)宗清と貞之進英清の間に二代の当主がいた」
写1 ツタの五輪塔 井源寺

図 ツタの五輪塔大きさ

写2 ツタの五輪塔 地輪(竿)の北東面

写3 ツタの五輪塔 地輪(竿)の南東面

写4 ヌイの寄せ棟家形墓 塚の端墓地

写5 ヌイの寄せ棟家形墓の墓誌

1. 六代寺尾九兵衛宗清の妻ツタの墓 井源寺本堂石段脇
五輪塔 →写1
五輪高199cm、全高229cm 水輪(玉)径55cm(1.8尺)花崗岩製→図
地輪(竿)の北東面(客殿向)→写2
(アーク)實乗妙空大姉
俗名ツタ
地輪(竿)の南東面 →写3
寛○○○○
(ア)為誉(壽)(祥)(迁)霊
菩提也
二月○○日
ツタの位牌
寛延4辛未年二月十六日(1751)
(ア)實乗妙空大姉霊位
位牌を納めた観音開きの厨子の背裏に
施主 寺尾新兵衛
出所大嶋浦上野庄左衞門娘
俗名 寺尾おつた
行年 七十四歳
注 實乗:じつじょう 迁:遷
北東面の刻字は風化していて読みにくく、わずかな刻を頼りに推定して読んだ結果を記した。位牌で戒名、俗名が分っているので、記したが、墓の刻字だけでは読めない。
南東面は 「為誉(壽)(祥)(迁)霊」と読んだが、()内は読み間違っている可能性がある。
見世野墓地にある最大の五輪塔は 高198cm、全高228cm 水輪(玉)径48cm(1.6尺)花崗岩製である。これは五代寺尾九兵衛善三春清のものであろう。2)ツタの五輪塔は、それと同高であるが、五輪塔の大きさの指標である玉径は55cm(1.8尺)と一回り大きい。ツタがいかに大事に祀られたかがわかる。
2. 九代寺尾貞之進英清の妻ヌイの墓 塚の端墓地
ヌイの墓は塚の端墓地の中山琴主墓の40m先の本家墓石列の古くから2番目にある。
寄せ棟家形墓石 →写4
天明六丙午十月十二日 (1786)→写5
澗水妙謡大姉
土居郷士 加地仁右衛門盛内次女
寺尾貞之進英清室
俗名ヌイ
ヌイの位牌
天明六丙宇午歳十月十二日
(ア)澗水妙謡大姉
寺尾貞之進英清妻
俗名ヌイ女
注 澗水:かんすい 谷の水
寄せ棟家形墓石は珍しい。3) ヌイの墓では、屋根(笠)の上に載っている空輪(宝珠)・風輪(半月)は、元はなかったのではないか。その理由は石の材質が寄棟本体と異なることである。墓を移転するときに、脇にあった五輪塔が破損して横たわっていた宝珠・半月を、寄せ棟家形墓石の一部と勘違いして、屋根に載せたのではなかろうか。
加地仁右衛門は、土居村の土居組大庄屋で二、三、五、七代が仁右衞門を襲名している。4)盛内は第五代で郷士、大庄屋である。ヌイが嫁入りしたことで、寺尾家と加地家は、大庄屋同士で姻戚関係になった。大庄屋寺尾九兵衛当主年表修正版(2024.12)5)で分るように、十代(九兵衛)米次郎富清と十一代(九兵衛)為蔵盛清は、加地家からの婿入りである。
夫貞之進英清の墓は見世野墓地にあると推定するが、多くの五輪塔の刻字が風化して読みにくく、特定できなかった。
まとめ
1. 寺尾ツタの五輪塔は井源寺にあり、その大きさは五代寺尾九兵衛善三春清の五輪塔と比べて全高は同じであるが水輪(玉)は一回り大きい。
2. 九代寺尾貞之進英清の妻ヌイの墓は塚の端墓地にあり、珍しい寄せ棟家形墓石である。ヌイは土居組土居村の大庄屋加地仁右衛門盛内の次女であった。
注 引用文献
1. 「天神・天満学問の里巡り」10番(天満公民館 令和3年 2021)
2. 本ブログ「 天満村寺尾九兵衛(16)見世野墓地の大きな五輪塔は五代善三春清のではないか」
3. 児玉康兵「尾道の石造文化(2)石工のこころ見聞記第18回」p63 web.尾道市立大学学術リポジトリ
4. 「土居町誌」p84(1984)
5. 本ブログ「天満村寺尾九兵衛(26)宗清と貞之進英清の間に二代の当主がいた」
写1 ツタの五輪塔 井源寺

図 ツタの五輪塔大きさ

写2 ツタの五輪塔 地輪(竿)の北東面

写3 ツタの五輪塔 地輪(竿)の南東面

写4 ヌイの寄せ棟家形墓 塚の端墓地

写5 ヌイの寄せ棟家形墓の墓誌

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